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1113 ダイビングの歴史 12 1960年代③ 館山 水雷根
今も昔も、スクーバは一人では潜れない。舘石さんにとって僕は都合の良いバディだった。東亜潜水機にいるから、空気の充填は大きなコンプレッサーで出来る。時には押し掛けをしなくてはならないが、舘石さんはダットサンを持っている。そして、舘石さんの実家は館山湾那古船形駅前の釣り宿である舘石館である。...
View Article1118 ダイビングの歴史 14 タンクについて
放出品ボンベ、uac のマークが入っているので、舘石さんのボンベ 館山湾に潜った時の写真だろう。レギュレーターは東亜製がついている。 ボンベ、タンクの話をしよう。...
View Article1124 ダイビングの歴史15 レギュレータ:コンプレッサー
レギュレータ 船の科学館での展示、左側が東亜 レギュレーターの話をしよう。 レギュレーターはジャック・イブ・クストーのプロデュースで、スピロテクニークの技術者エミール・ガニアンが作った。クストーの奥さんが、スピロの縁者だったらしい。...
View Article1126 ダイビングの歴史と最新水中撮影調査技法
ダイビングの歴史と最新水中撮影調査技法 ブログで書いているダイビングの歴史、下書きとしている。当初、出版を予定している本の最終的な下書きとしようとした。が、筆が進まない。 出版予定の原稿をブログにすることが、無理、不可能なのだ。と言って、ブログでの歴史をやめることもできない。始めたことはやめない主義だ。...
View Article1205 ダイビングの歴史16 レギュレーター② TOA SCUBA
TOA SCUBA 現存する中で程度の良いもの、もはや、水中で空気の吸えるものはのこっていない。こういうのを整備して使える状態で残して行く潜水博物館を昔、三宅島に作ろうと企画した。良い線まで行ったのだが、付帯設備として、プールを作りたいと主張したために、実現しなかった。しかし、その後で噴火がおこり、その予定地は、被害を受けた場所だった。 人間万事塞翁が馬 だ。...
View Article1218 ダイビンググラフィティ 18 新しい潜水機実験潜水
さて、怒濤の1960年代、次の話題を水中銃からスピアフィッシングの話にするか、デマンドレギュレーター付きのフルフェースの開発ストーリーでもある100m潜水の話にするか、迷ったが先に100mの話にして、次に水中銃で1た方が良さそうだ。...
View Article1222 ダイビンググラフィティ 19 新しい潜水機実験潜水②
舘石さんが使ったタンク 須賀が使った フルフェイスマスク 100m、どこの海で?、そして、使う船、母船をどうするか?。 潜水する場所は、当然、館山湾だ。宿泊基地も、那古船形駅前の舘石館だ。...
View Article1226 ダイビンググラフィティ 29 潜水着実験潜水 ③
左から、清水登総指揮’(帝国海軍伏龍特攻)舘石さん 須賀 潜水開始の挨拶 8月9日 5回目の潜水 使わせてもらっている漁業監視船「ふさかぜ」は、一刻も早く、この実験潜水から離脱しようとしている。本来の業務ではないし、危なっかしい。もしも、事故などが起これば、大きな問題になるだろう。...
View Article年の終わりに、2022年のダイビング活動、学生部活とのつきあい。
東京海洋大学潜水部辰巳での練習 2022年、 4月に病に倒れ、入院2ヶ月、幸運に恵まれて退院し、通院、闘病の生活に入った。その中で、海に潜れない中でも、出来る活動を続け、日本水中科学協会のメンバー、応援してくださる皆様のおかげで、引退せずに、ある程度の成果を上げることができた。年度の終わりにあたって、心からお礼を申し上げるとともに、やってきた活動の報告をして年を締めくくりたい。...
View Article0102 ダイビング グラフィティ30 90m実験潜水の結末
この文章は2022年、87歳になった自分が書いている。だからこそ書く意味があるといえないことはないが。27歳の自分、100m潜水が終わった時点の自分とは全くちがう自分が書いている。 とにかく、実行してしまった。90mは越えたと自分では思っている。テレビ番組も成功したと思う。...
View Article0107 ダイビンググラフィティ21 釜石湾港防潮堤①
カービー。モーガン バンドマスク(フルフェースマスク)、ダイバーは田島雅彦 本当は、このタイプのマスクとシステムを僕が作らなければいけなかったのだ。 1969年の秋、お世話になった東亜潜水機を退社した。ありがたいことに、ずいぶん引き留めてもらった。佐野専務は、鰻の「尾花」で席を設けてくれて、とどまるようにと言ってくれた。このことを一生忘れないけれど、決心したことだ。...
View Article0111 ダイビンググラフィティ 22 釜石湾口防潮堤2
釜石調査のスタッフは、元請けの日本シビルから、田中君、かれは、シビルの中堅で、この仕事の現場責任者、交渉事、すべての手配、経理を司る。この仕事がシビルにとって利益になるか、赤字になるか彼の双肩にかかっている。...
View Article0128 ダイビング グラフィティ23 摩周湖
摩周湖、湖岸、はるか遠くにカムイッシュ島が見える。 ブログが書けなくなってしまっている。といって、、今年中に出す。出さなければ、もう自分の生涯ではだせない。と必須の思いで居る本、二冊、最新水中撮影調査技法と、ダイビングの歴史、も書けない。 構えてしまっているから書けないのだ。まとまった形で書こう、きっちり書こうと思うから書けない。...
View Article0219 ダイビンググラフィティ24龍泉洞
2月5日に日本水中科学協会最大の年間行事である水中活動シンポジウムがあり、その後処理というか、皆さんにこのシンポジウムのことを知らせる作業に集中していて、ブログが滞っていた。 停滞すると連続性が切れてしまって、部分的には繰り返しになってしまうのだが、とにかく、接続しよう。 1970年代に話をもどす。...
View Article0307 ダイビンググラフィティ 25 沼沢沼発電所トンネル調査工事
沼沢沼 取水口トンネル、トンネルに入るには、地下30mまで降りなければならない、 龍泉洞に潜った次の年、昭和57年(1982年)3月、東北電力の依頼で、福島県沼沢沼水力発電所の取排水トンネルの調査を行った。天然の鍾乳洞に引き続いて人工の洞窟である取排水トンネルだ。...
View Article0313 ダイビンググラフィティ 26 100m潜水
人の人生、一本道では無い。いくつもの道が錯綜していて、それが絡み合い、より合わさっている。そして、それは、記憶の中で、時系列で並んでは居ない。 自分のダイビングライフもそのようで、いくつもの道が錯綜して流れている。生涯スポーツの流れ、リサーチ・ダイビングの流れ、テレビ撮影の流れ、それが撚り合わさって、1995年~96年に60歳のくぎりイベントで100mに潜っている。...
View Article0322 ダイビンググラフィティ 27 CCR ①
インスピレーションを着けて魚礁調査中の須賀、実は浅い、水深20m そして、予備のベイルアウトタンクを右側に着けているのはまちがいで 左側に着けるべきだという。...
View Article0327 最新水中撮影技法 1
「最新水中撮影調査技法」という本を書いている。自分が書こうと思っていた部分はほとんど出来上がっているのだが、気に入らない。 原稿はできていても、写真を多く使いたい、その写真が選べていない。早くしないと、命が尽きてしまう。命はあっても、知的な作業が出来なくなる恐れもある。急がなくては。 急ぐのだが、まず、序言の「はじめに」の部分が気に入らない。加齢のために表現がくどい。 何とか、形にした。...
View Article0330 グラフィティ 28 CCR ② ハナダイ深度
大瀬崎 先端 サクラダイ リブリーザの練習、独習をしていた2003~2004年に、波左間、西川名がホームだったら、ずいぶん楽だったと思う。その独習をしていた大瀬崎のゴロタ石の上で滑って転んだりして、けがをしたら、また、潜水後、御殿場越えをして減圧症になっていたら、千葉の館山だったら事故にならなかったのに、と悔やんだろう。...
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