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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1205 ダイビングの歴史16 レギュレーター② TOA SCUBA

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TOA SCUBA 現存する中で程度の良いもの、もはや、水中で空気の吸えるものはのこっていない。こういうのを整備して使える状態で残して行く潜水博物館を昔、三宅島に作ろうと企画した。良い線まで行ったのだが、付帯設備として、プールを作りたいと主張したために、実現しなかった。しかし、その後で噴火がおこり、その予定地は、被害を受けた場所だった。
 人間万事塞翁が馬 だ。



1960年から1961年、東亜潜水機での日々、レギュレータのことを書いているが、前回と間が空いてしまった。所詮、このテーマをブログで書き続けることがむりなのだが、継続は主義なので、続ける。
刊行するダイビングの歴史は、年表中心になる。その間にコラムを挟むのだが、その一つに、レギュレータも予定している。その下書きになれば良いのだが、前回のレギユレータが11月24日だった。


1960年、レギュレーターの在庫、3-5台程度だが、それがなくなりそうになると、補充の注文をする。レギュレーターを作ってくれているのは、田無というところの中野さんという方で、作ってくれるのは、菅原久一さんの潜水研究所の無印と同じものだった。
 つまり、このレギュレーターは、菅原久一さんが東亜潜水機に居た時代1954年の後半に作ったもので、それを持って菅原久一さんは退社し、東亜潜水機と同じ無印を売っていたわけだ。
 中野さんはおしゃれな人で、ベレー帽をかぶって、スバルの360cc、(ビートルの日本版)に乗って、レギュレーターを2台、3台と届けてくれる。
 
 そのレギュレーターが滞った。少しは売り上げが増えたのだ。納期に間に合わないので、田無の中野さんのところまで催促に行った。忙しくて手がまわらないということで、作業場で、僕が行ってから組み立ててくれた。作業場と言っても、レギュレーターに関わる工作機械は、万力が一つあるだけ、あとは、ドライバーとレンチの類があるだけだ。電子関係の何かを作っていて忙しいらしい。
 その時代、日本にはこのようなものつくりの達人がたくさん居た。後藤道夫もそうだったし、後に僕と組むことになる、島野徳明もそうだ。ソニーも、ホンダもスズキも、スタートはそんな感じ、そんな町工場だったのだろう。「簡単だから、君でも作れるよ」と中野さんは言う。
 僕の機械についての知識・経験は、深川、古石場のブルトーザ、建設機械のスクラップ再生工場での半年だ。機械は、バラバラにして、悪い部分、摩耗した部品を交換、部品がなければ切削加工で作って、マニュアル、組み立て図に従って、部品の脱落がないように組み立てれば良い。それで、機械は、原則として復活する。それに、自動車が好きで、大学2年で免許をとった。古石場の建設機械工場では、ディーゼルエンジンの組み立て再生部門で見学して、キャブレーターの調節ぐらいは出来るようになっていた。ついでに言うと、その頃の機械、自動車などは、こんな風に教えられた。「一にグリース、二にグリース、三、四がなくて、五にグリース」修理工はグリースガンを持って、車、機械の下に潜り込み、グリースニップルから、グリースを補給する。グリースが切れると、機械は摩耗して故障する。やがて車は、メンテナンス・フリーになり、グリースの補強は不要になった。今では、車の故障はパンクと、電子周り、先日は、自分の車のボンネットの開け方がわからないで、冷却水不足で困ったことがある。
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  その頃のレギュレータのセカンドステージ部分、こんなシンプルなものだった車のキャブレーターのようなものだ。左側が排気弁、フラッターバルブ。ダブルホースがなぜダブルホースかというと、排気弁の位置を、吸気の中心である、セカンドステージに接近させないと、位置の差で、空気が噴出してしまうからだ。


 とにかく、中野さんのところで、組み立てた一台と部品を10台分ほどもらって、戻ってきた。そして、その延長で、自分でレギュレーターを設計し、作ることにした。


 その頃の日常は、午前中は本を読むこと、午後は、工場の中をめぐって、見学、自己研修をして、少しばかり、月産で2台から3台、5台と増えて行く、アクアラング・スクーバの出荷だった。それに、2段圧縮の高圧コンプレッサーの組み立ても、その主任の亀田さんに習って、気が向くと熱心にやっていた。機械の類が好きだったのだ。


 本を読む、潜水関係の本は、特にアクアラング・スクーバの類に関する本は、日本語のものは無かった。日本語の本は、少し後に、後輩の浅見国治と共著で自分が書いてだした「アクアラング潜水」が日本で日本語で書かれた、アクアラングの本の初めてだった。アクアラング関連の本は、すべて英語、アメリカの本だ。英語は得意では無いが、高校卒業程度の翻訳はできる。特にアクアラング関連の本は、用語だけわかれば、あとは図で、大体の見当はつく。米国海軍のダイビングマニュアル、これは、学生時代から参考にしている基本だ。減圧表は、これにしたがって潜水した。ただし、学生時代は、水中時計は持っていないからいい加減だったが、減圧症になれるほどの空気はもっていない。東亜潜水機に入ってから、水中時計ケースという水密腕巻きケースを売っていることもあり、これを使った。商品名は「腕巻き時計ケース」であった。
 潜水医学については、Underwater medicine 著者は、英国軍医少将のスタンレイ・マイルズ、この本はノートをとってしっかり読んだので、翻訳書が出せると思ったほどだが、1970年に日本語訳が、東京大学出版会から、「潜水医学入門」というタイトルで出ている。この本で特に印象に残り、記憶に残っているのは、溺水についての章で、日本は溺水死者の数が世界一で、年間に8000人、人口一万人あたりで9人、二位がアメリカで7000人、三位が英国で2000人、オーストラリアが500人だが人口一万人あたりは二位で5.5人だ。統計の出所も書いていないから、アバウトなものだろうが、とにかく日本は溺水ではダントツで、8月の第一日曜には、50人が死ぬ。今のスノーケリング事故など、かわいいものだ。もっとも、海水浴でスノーケルをくわえていて死ぬとスノーケリング事故になリ、それが多いのだが。
 そして、溺水については、二次的な死、について書かれていることが記憶にのこった。溺水して、救助されて、元気になっても、肺に水を吸い込んでいて、肺の機能が失われてしまっていると、やがて死んでしまうこと、今では、これは常識であり、そのために、溺水の後は、集中治療室に入るのだが、当時は耳新しく、そして、その後歌手の尾崎豊がこれで死んだ。これは、無知による殺人のようなものだった。
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      USダイバーのアクアマスターの分解図が出ている、Basic SCUBA 1960


 読んだ本の中で、Basic SCUBA 1960 : Fred M Roberts が、レギュレーターについての参考になった。著者がどんな人かしらないが、レギュレーターについての分解図(マニュアル)が世界の各種レギュレーターについてでているのだ。製作については、サンプルが中野さん製作のレギュレーターで間に合うのだが、自分なりの設計がしたかった。その参考になった。真似はしたくないが、分解図、古石場工場で言うところのマニュアルをみては考え込む。
 
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 今、2022年にもこのBasic SCUBAは、書棚に鎮座している。今では、歴史的な意味だが、出版社はニューヨーク、1960年にこんな本が出せていたこと、アメリカは、ダイビングについての先進国である。
 同じ頃読んでいた、Dive が挿絵・写真がわかりやすく、このブログに採用している、図、写真は、ここからとっている。1960年の本から、切り抜いて、2022年の今、ブログの図に使っている。これも、すごいことではある。
 
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 話はちょっと横道にそれるが、そのアメリカのUSダイバーズ社に研修に行っていた、上島さんが戻ってきて、新しく出発する「日本アクアラング」と東亜潜水機の提携について専務の中村さんと一緒に、挨拶にこられた。日本アクアラングは、東京に工場施設をもっていないこと、また、非常に親しい、ダイビングでは、生死をともにした同級生の僕が東亜潜水機にいることもあって、密接に協力して行こうという話が出来た。日本アクアラングの親会社である帝国酸素(テイサン)は、フランスの会社で、日本アクアラング専務の中村さんは、フランス語ペラペラである。
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        川崎航空の 川崎スクーバ


 日本アクアラングが売るレギュレーターは、世界最高レベルのアクアマスターである。なお、日本アクアラングには、川崎航空も出資社として連なるので、川崎は、スクーバの製作を取りやめることになった。アクアマスターで目新しいのは、蛇管(ジャバラ管)のマウスピース部分に、吐き出した空気が、排気側の管に行ったら吸気の時にそれが戻ってこないように、マウスピース部分に不環弁、ノンリターンバルブが付いているところだった。


 なお、レギュレーターの性能で呼吸抵抗が重要であることは、すでに述べたが、その呼吸抵抗についていうと、レギュレーターそのものの抵抗が、20mmであろうと、50mmであろうと、位置の差の100m~150mmが大きいから、水中での苦しさには30mmの差はさほどのことではない。しかし、吸い始めの感覚が違うのだ。そして、陸上でテスト的に吸って見た感じがちがう。アクアマスターは、吸うとも無く吸って空気がでてくる。日本無印などは、意識して吸う必要がある。だから、アクアマスターは高級品、小売価格が2万8千円だ。僕の給料は、少し上げてもらって、1万8千円になっていた。ラーメンも、もりそばも30円ぐらいだった。
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        TOA SCUBA ドライバー一丁で開けられる。


 さて、僕の設計するレギュレーターだが、その設計思想、コンセプトは、潜水現場で、ドライバー一つでセカンドステージの蓋が開けられるようにする。これで、レギュレータの筐体の中にゴミなど、異物が入った時に取り除けることができる。また、セカンドステージのバルブを押しつけるスプリングと調整して、漏れや、呼吸抵抗の増大を調整することもできる。他のレギュレータは、アクアマスターも含めて、蓋はクリップで締めているので、特別なレンチが無いと、しっかり締めることができない。レギュレーターは、ダイバーの生命に関わる、心臓部だから、勝手に開けられては困るというのが、他のレギュレーターの設計思想だった。
 そのため、専門店に持って行かないと、微調整もできないのだ。これは、後に、ダイブウエイズがレギュレーターを作るときにも、リクエストしていて、セカンドステージはドライバー一つで開けられる。
 しかし、やはり、勝手に開けられては困ることもあるので、この特色は宣伝することは無く、だまっていた。自分が使って調整するためだけのの特色かもしれない。ダイバーの発想である。
 マウスピース部分もネジで空けられるように金属製にして、蝋付け加工で作った。アクアマスターは、ゴム製で、大きく、簡単には開けられない。汚い話だが、水中でダイバーが波に酔って、マウスピースの中に吐いたとする。開けて洗うことができなければ、修理に出すことになる。まあ、この部分はアクアマスターもドライバーがあれば開けられるが。
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   アップストリーム(右)とダウンストリーム(左)
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        二弾減圧

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          一段減圧


 レギュレーターの心臓部である弁構造だが、二段減圧になっている。150キロ以上の高圧を、二段階に分けて減圧する。一段目の減圧弁で、水圧(環境圧)プラス7~10キロ、これは機種によってちがう。これをとりあえず中圧と呼ぶ。二段目の減圧弁で、中圧を、環境圧(水圧)まで減圧して、ダイバーが呼吸、吸い込む、要求するだけの流量をながす。レギュレーターの性能には、呼吸抵抗の他にもう一つ、ダイバーが要求するだけの量をソフトに流すというポイントがある。ダイバーが激しい労働をすると、毎分、90リットル以上の空気、その水圧での空気量を吸い込もうとする。これは、消費した酸素量よりも、ずっと多い。酸素量は足りていても、本能的に、多量の空気を吸い込もうとするのだ。要求するだけの、デマンドするだけの空気量を、吹き付けるような噴出ではなく、ソフトに気持ちよく流して、供給してくれなくてはいけない。なお、通常の身体の動きならば、消費は、毎分、30リットルていどで十分、女性などは、15-20リットルだ。空気の持ちの悪い人は、40~50リットルも吸う。


 レギュレーターの設計製作、僕の場合には、すでにできあがっている原型をなぞりながら、改善を加えていくのだから、ブルトーザーを分解した程度の機械工学でなんとか対応できた。
 無印レギュレーターも、アクアマスターも、二つの減圧弁のうち、高圧から中圧への減圧は、図で見られるように、アップストリームタイプ、つまり、ノズルから見て圧力の高い上流側に弁のシートがある。このシートをノズルに、固定するスプリングで押しつけて、空気の流れを止めている。これを、水圧プラス7キロの、つまり7キロの力で押すスプリングで弁をこじ開けて空気を流す隙間を作る。空気が中圧室に流れて、中圧のスプリングと釣り合うと、おされなくなり、空気の流れが止まる。つまり、減圧された空気が中圧室に入っている。
 二段目の弁は、ダウンストリーム、ノズルから見て、下流に弁のシートがあり、これを、ダイバーの呼吸圧でダイヤフラムを動かしてレバーを押して開くことができる若干弱いスプリングで押しつけて空気の流れを止めている。ダイバーが吸い込むと、低圧室、レギュレーターの比較的大きい筐体が陰圧になり、可撓性のゴムのダイヤフラムがへこんで、レバーを押して、弁が開く、ダイバーが吸い込むことをやめると、スプリングの力で、ダイヤフラムが戻り弁が閉じて、空気が止まる。こんな仕組みで、タンクの高圧が、ダイバーが呼吸する水圧、環境圧に減圧され、要求するだけの空気が流れることになる。


 恐ろしいレギュレーターの故障であるが、一段目、高圧から中圧への減圧弁の故障は、アップストリーム、上流の故障だから、空気の流れが止まってしまう。二段目、中圧から呼吸圧までの減圧はダウンストリームなので、故障は、空気が吹き出す、噴出する故障になる。アップストリームの故障の方が恐ろしい。ダウンストリームの故障、空気が吹き出すのは、吹き出した空気が尽きるまでの少しばかりの余裕があるから、その間に水面に脱出出来る可能性がある。アップストリームの故障、空気の停止は、待ったなしで、死んでしまう。
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        シングルホースのセカンドステージ 下のチルトバルブは、簡略で良いが、アップストリームで、事故が起こり、そのために、製造を中止したはずだ。


 この高圧弁の故障で血の凍るような思いをした。東亜潜水機時代の最大のピンチだったろう。
 当時は若くもあり、平然と驀進していたが、今振り返ってみると、たいへんなことだった。
 自分で部品の製作ができるわけではない。すべての部品は外注で製作する。高圧弁、シートお部分はK産業という、パッキン、オーリングなど、水密、気密部分のシールの専門の商社に依頼した。東亜潜水機のコンプレッサーなど、すべてのシールをお願いしているところで、絶対の信頼を置いていた。中野さんからもらってきた高圧弁は、ノズルの当たる部分はテフロンの板のようなものを叩き込んだだけのものだった。K産業では、これを精密切削加工で、シートとノズルの当たる部分は狭く、その奥は広くなっている梯形の穴部分にテフロンを射出成形したものを作ってくれた。これならば、絶対に抜け外れることはないとの自信作だった。それを使い、ベンチテストは十分におこなったが、実際の海での潜水テストは行わなかった。そして、その新作レギュレーターの最初の一台を、富戸の定置網漁協に売った。使ってくれたダイバーは菊川さんと言った。それを一回目に使ったとき、レギュレーターがとまったという。そんな馬鹿な、すぐに富戸に急行した。まだ、伊豆急がなくて、伊東からバスで行った。海洋公園も未だない。富戸の漁港の前、今思えば前浜の深いところだと思う。菊川さんに小舟をだしてもらい、タンクも借りて、水深30mまで潜った。富戸の定置組合には、コンプレッサーも買ってもらっていたので、空気を充填できた。


 水深30m、砂地のちょっと凹んだところに、サクラダイが群れていて、この世のものとは思えない美しさだった。足下から大きなヒラメが飛び立った。大学4年次の人工魚礁でのエア切れの時も、ヒラメが飛び立った。なぜか、死に直面したときに大ヒラメに出会う。
 しかし、このときは何事も無く浮上して、菊川さんも納得して、東京にもどった。次の日、また菊川さんから電話があり、レギュレーターが止まったという。すぐに送り返してもらって、分解してみた。高圧シートが、おそらく、髪の毛一筋ぐらいの隙間があり、そこから、高圧空気が入り込み、テフロンのバルブシートを押し上げて、それがノズルに張り付いていた。
 弁の金属部分の形状を改善し、インジェクションの方法も変えて、解決したが、その当時、前橋だったかの駅弁で中毒症状がでて、その弁当屋のご主人が、自分のところのお弁当で中毒が起こるはずがないと、食べて見せて中毒死した事件が新聞に載っていた。それと同じことを僕はした。
 新製品を作った時、ベンチテストだけでは不十分、しかし、テストダイブも命がけだ。ダイビングの道具、タンクもレギュレーターもその不備、不良は命にかかわる。なおも僕は若さで驀進するが、後から考えるとこのときのことが、自分の心に陰を落としていた。
 
 とにかく、アップストリーム、上流側の弁は危ない。その後、日本アクアラングで売り出したUSダイバーのシングルホースのレギュレーターが、セカンドステージがアップストリーム(チルトバルブ)だった。このために何人かが命を落とし、そのレギュレーターは製造をやめた。
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          ミストラル


 その頃、初期のダブルホースレギュレーターに、スピロ製のミストラルという一段減圧のレギュレーターがあった。ケース、セカンドステージの筐体をプラスティックにしたジェットエアーというのも、減圧弁部分はミストラルと同じである。後藤道夫は、このジェットエアーを愛用していた。
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      その頃のレギュレータ、中心にあるのがジェットエアー


 このミストラルとジェットエアーがおそらく、ダブルホースレギュレーターの最高傑作だったと思う。これは、一段減圧で150キロの高圧を環境圧に減圧する。構造もシンプルである。しかし、日本の労働規則でレギュレーターの減圧は二段以上と定められているので、このレギュレーターは売ることができない。それでも海上自衛隊は、このミストラルのフアンがいたらしく、これを購入していた。日本の労働規則は、船上には適用されないとかで、これが許されていた。
 おそらく、日本のお役人は、一段減圧よりも二段減圧が安全と考えたのだろう。一段が壊れてももう一段あるフィエルセーブだと考えたのかもしれない。しかし、レギュレーターは、どちらか一段が壊れれば、つかえない。一段よりも二段の方が壊れる確率が二倍になる。
 一段減圧のミストラルの短所は、背圧、タンクの圧力の変化を直接に受けるので、圧が高いときにはジェットエアーだが、圧が低くなるにつれて、噴出が弱くなる。呼吸抵抗が直線的に大きくなっていく。二段減圧のほうは、終わりの頃、タンクの空気圧が中圧の10キロプラス水圧ぐらいまでは、変化がなく、それより低くなると、急速に空気が来なくなる。最後まで呼吸抵抗が低くてすむのだが、これは、どちらが良いか?残圧計の無い時代だ、一段減圧は、次第に大きくなる呼吸抵抗で空気の残を感覚的にしることが出来る、一段減圧の方が良いと、僕は考えた。自衛隊のダイバーも、そうだったのではないだろうか。


 一方で、そのころすでに、オーリングのピストンアクションのダウンストリームの一段目(高圧から中圧へ)減圧のレギュレーターが、外国では作られていたが、日本アクアも東亜潜水機もまだこれを作ることは無かった。いまのシングルホースのレギュレーターのほとんどは、このピストンアクションの減圧弁を一段につかっている。アップストリームの危険は避けたいのだ。レギュレーターの故障は、空気の漏れ噴出にしたいと思った。


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 レギュレータについては、まだ書きたいことが幾つもあるが、ブログでは間があいてしまうかもしれない。

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