釜石調査のスタッフは、元請けの日本シビルから、田中君、かれは、シビルの中堅で、この仕事の現場責任者、交渉事、すべての手配、経理を司る。この仕事がシビルにとって利益になるか、赤字になるか彼の双肩にかかっている。
スガ・マリン・メカニックは、潜水作業のすべての実施責任、僕と、河合、鶴町、米田、井上、フルメンバーのチーム、そして新入社員の田島雅彦が、この現場から入った。彼は大島の水産高校から茨城水産高校の専攻科に入り、甲種船長の資格をとっている。茨城時代、僕らが茨城水産試験場の調査仕事をするときの定宿であった萬年屋に下宿しており、そんな縁でスガ・マリン・メカニックに入社しての初仕事だ。
田渕君、ミックスガスのコントロールパネル
そして、フリーランサーのベテランダイバー、大阪の上村さん
JAMSTECから田渕君と米倉君が来た。混合ガスを使うシステム潜水の経験者として、指導アドバイスをする。米倉君はその後、日本水中科学協会がJAMSTECのプールで、プライマリーコースの講習をしたとき、JAMSTECの窓口になってくれた。長い付き合いの始めだった。
JAMSTECでのこのプロジェクトの責任者は、三宅玄造さんで、伏竜特攻隊の生き残りで、清水登(90m潜水の総指揮)の直弟子だった。その後、ずいぶん親しくさせていただき、一緒の仕事もしたのだが、このときは現場には来なかった。もう一人、清水の望月さん(指導団体ADSの創立者)のところから、応援で横田君がきてくれた。総勢で9人のチームである。
田中君の決めてきた宿舎は、古い旅館、旅館と言うよりも旅館の跡だろうかと思うような、八畳間を二つ、襖を取り払って、厚さ2センチ、本当の煎餅、全員が一部屋である。到着した日の夕食はカレーライス、家庭的なカレーだったが、蠅が一匹入っていた。この部屋で、春から夏の終わりまでを暮らす。
風呂は無いので、道路を挟んで向かいの銭湯に、入浴券をもらって行く。毎日この銭湯に通うのだが、土地の爺さんが同じ時間に来て、湯船の中で歌う。千昌夫の「北国の春」を歌う。僕らも声を合わせて合唱した。「白樺、青空、南風、こぶし咲くあの岡、北国の、北国の春」
今でもこの歌を聞くと目の奥があつくなる。
今の釜石は、僕らの釜石とはまったくちがう街のようだ。2008年だったか、龍泉洞に行ったとき、夜中に通り過ぎた。懐かしかったので街に降りてみた。見覚えのある街並みは見当たらない。通った喫茶店もどこにあったのか不明。
Googleearthで見た今の釜石港、Googleは本当にすごい。
釜石湾から街の中に続く甲子川には今も鮭は登るだろうか。川にかかっている橋の一本は、食料品市場で賑わっていた。町の人は、橋を渡りながら買い物をするのだ。橋の上市場だ。むろん車はとおらない。今、グーグルアースで調べてもそんな橋はない。その近くにイオンがある。僕は東京に帰る時、この市場で、新巻鮭を買った。
シビルの社長が視察にきた。夜、訪ねていくと、マットレスの上に厚い敷き布団を重ねている。同じ社長でもずいぶんちがうと口にしたら、入社したばかりの田島に言い返された。「いいでしょう。明日から潜水やめて隠居してください。もうダイビングはしなくて良いです。」「いや、このせんべい布団に寝て、潜りを続ける。」
副室のある減圧タンク、ヘリウムと空気のガスバンクを積むのは大きな台船とタグボートが必要だ。が、ちょうど良い200トンほどの船が、見つかった。船長は田岡さん、神戸の有名暴力団組長の縁続きだとか聞いたが、船乗りらしくない物腰の柔らかい人で、操船の天才だった。舫いの取り外しはぼくらが手伝うが、一人だけで、200トンの船を岸壁にピタリと着ける。
問題は、船縁と水面が遠く、長い梯子を登らなければならない。水面でタンクを外して、梯子を登り、3分以内、できれば2分以内に再圧タンクに入らなければならない。その間の重労働は、理論的には減圧症の原因になる。心配したが、減圧症は、毛筋ほども起きなかった。
1980年の自分、45歳、まだまだダイビングでは、人に負けないつもりだったが、やはりホースさばきが下手くそだった。やった事が無い、未経験なのだ。径が8mm、ホースとしては細いが、水深60mを越すから、120mぐらいのホースを曳いて潜らなければならない。二人で潜るとこんがらかってしまう。それでも、次第に上達して、終了ごろには、みんなと対等に潜れるようになった。
石を落として、山を作る。その山が設計の通りかどうか確認のための測量である。ソナーでも大体の形はわかる。しかし、10cmぐらいの精度で測るとなると、実測する他ない。石を落とす、エリアの四方周辺に、コンクリートブロックに鉄筋を埋めるようにたてた恒久的なポールを立てて、ポールの間に水糸を張る。水糸からスタッフを立てて、山の高さを測定する。本格的な測量をやった。透明度が良いので、こんな測量ができた。測量したら、次の日、またそこに、石を落とす。これを繰り返して行く。
40m以上に潜水する場合、ヘリウムと酸素の混合気体を使う理由は、窒素酔いを防ぐためだが、ヘリウムはすぐになくなった。ヘリウムは高価である。名古屋シビルダイビングの田中さんは、経費節減が主務で筋金が入っている。ヘリウムはなくなっても補充しない。空気で潜る。窒素酔いは、慣れでなんとか克服できるし、ホースで繋がれていれば命にかかわらない。減圧時間も少なくて済む。
ある日、本来の仕事である測量ではなくて、錨引き揚げの仕事が来た。大きな錨を、工事の船が落としてしまった。潜水して太いワイヤーロープを錨にはめこんで、ボルトを締めて来る仕事だ。錨を落とした地点に目印のボンテン(浮き)は入れてある。それを目印にロープを降ろしても海上のことだ、5mや10mは離れてしまう。海底でそれを引きずって、錨に取り付けなければならない。僕がやるような仕事ではない。だけど、なんでもやりたがる。ダイバーとして良くない性格だ。鶴町と一緒にやることにした。水深は少し浅くて、55mだったと思う。作業に10分はかかるだろう、余裕を見て潜水時間15分として潜降した。
アンカーと上から降ろしたワイヤーロープは10mほど離れている。引きずらなくてはならない。ワイヤーロープは重いから重労働になる。フルフェースの空気をフラッシングにした。フラッシングとは、前面のガラスが曇った時に、空気を吹き付けて曇りを落とすために送気をフリーフロー状態にすることだ。こうすれば、ヘルメット潜水同様になり、デマンドバルブ(レギュレーター)を経由する呼吸抵抗がゼロになるし、空気供給量も十分になる。90m潜水で、炭酸ガス蓄積中毒になった時もこの仕組みがあれば、問題なかったのだ。ヘリウムを使っていたら、金が吹き飛んでいくのだからこんなことはできないが、空気だから、幾ら吹かしても良い。二人でロープを担ぐようにして引っ張り歩いた。10mは遠い、ようやく錨にロープをボルト止めにして、そこで、力尽きて、二人とも打ち伏した。所要時間は5-6分しか経過していない。呼吸はもとに戻ったが、二人とも動く気持ちにならない。上から、電話で、時間経過を告げてくる。「8分経過、」しごとは終わったのだから、浮上しても良いのに、そのまま横たわっている。潜水時間15分というのが頭に焼き付けられているのだ。窒素酔いで、仕事が終わればすぐに浮上したほうが減圧時間が少なくて済むと頭がまわらないのだ。「15分経過、浮上してください」「了解」で浮上した。
何も考えられない、考えさせないほうが良いのかもしれない。すべて上からの指示で動く。
プロの潜水で深く潜るのは、このようなホース送気のシステム潜水でなければいけない。日本の高圧則でもそうなっているし、国際的にももちろんそうなっている。スクーバを使うテクニカルダイビングは、楽しみのための冒険である。業務として、命令指示で潜るのでは、危険度が高い。
仕事も完成が近づき、先が見えてきたある日、休日を作って付近の観光にでかけ、岩手県の竜泉洞にやって来た。洞窟の一番奥、引き込まれるように青い水を覗き込み、「潜ってみたいね」と話し合った。
僕らが引き揚げたあと、釜石の潜水で、ダイバーが死んだ。地質探査のために、海底に爆薬を仕掛けるダイビングで亡くなった。親友と言うより、弟のように思っている石巻の福田君が受けていた仕事だったので、仕事は終了して東京に戻っていたのだが、ピンチヒッターを買って出た。大阪のフリーのダイバー、上村君とバディを組んだ。彼はバンドマスクのホース潜水では名人だ。水深65m、普通の空気で潜る。 事故は、普通にスクーバで潜った窒素酔いが原因だ。僕は、窒素酔いにもなれ、重いカービーのバンドマスクにも慣れて、視界の狭さも苦にならない。秋も深まった釜石湾は澄み切っていた。見上げると、ホースが水面まで一直線に見える。海底に穴を開けて、ダイナマイトを差し込む。作業は簡単単純ですぐに終わったが、このままここに居たい。水面を見上げると、ホースがまっすぐに伸び、ホースに沿うように、気泡が輝きながら、浮いていく、陶然とそれを眺める。水面から浮上を指示してくる。仕方がない。ふんわりと上がって、楽しく減圧停止をする。
空気の質が良くて、空気量があまりあるほどあれば、窒素酔いは気分が良い。窒素酔いは、酒酔いとおなじように、ジャンキーになる。酒のように二日酔いにはならない。
鶴町 左と河合 右 みんな若かった、
湾口防潮堤の、測量工事が終わっても防潮堤の工事には、細かい潜水仕事が発生するかもしれない。日本シビルダイビングでは、釜石に駐在するダイバーがほしい。スガ・マリンメカニックから誰か一人出向してくれと依頼があった。鶴町が島流しになることになった。人事の序列と経験からしてそうなるのだ。河合と、鶴町が同列だが、河合は、コックの修行をしていたことがあり、要領が良い。軍隊の戦争で、下士官の要領の良さが、重要であるように、潜水仕事も要領、つまりずる賢く立ち回ることが事故を防ぐ、事故の起こる臭いを嗅ぎ分けて逃げることに巧みになる。鶴町はまっすぐないい男で、貧乏くじを引く。そんなこんなで苦労して、鍛えられて、やがては賢くなって独立するのだが、
予想していたような仕事もなく、半年ほど駐在した。