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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0307 ダイビンググラフィティ 25 沼沢沼発電所トンネル調査工事

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   沼沢沼 取水口トンネル、トンネルに入るには、地下30mまで降りなければならない、
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 龍泉洞に潜った次の年、昭和57年(1982年)3月、東北電力の依頼で、福島県沼沢沼水力発電所の取排水トンネルの調査を行った。天然の鍾乳洞に引き続いて人工の洞窟である取排水トンネルだ。


 沼沢沼は会津若松から只見川を遡ったところ、雪深いところで、調査を行った3月には未だ2m近い積雪が残っていた。この発電所は揚水発電所である。水力発電で、山の上に溜めた水を落として、タービンを廻して発電する。
 揚水発電所とは、夜間の電力消費が少ない時に、タービンを逆に廻して、発電で落とした水を逆流させてもう一度山の上の沼に引き上げる。すなわち揚水する。そして、昼間の電力消費の多い時間帯に、揚げた水をまた落として発電する。水を揚げたり落としたりするトンネルには巨大な力がかかる。トンネルに亀裂などが無いか、ビデオカメラを使用して詳細に撮影調査をする仕事だ。
 トンネルの全長はおよそ400m、出入り口は片側だけ、トンネルが地下30mにある。トンネルの径は、およそ4m。水温は3度だ。竜泉洞のような湧水ではなく、沼に溜めている水だから温度が低い。


 ※現在ではこの発電所は役目を終えて、閉鎖されている。一時、日本の電力供給は水主火従か、火主水従かという議論があった。水力発電を主にして火力を従にするか、火力を主にして水力を従にするかという議論だ。火力が主になり、また原子力発電所ができて、水力はみな廃止してしまった。水力はクリーンなエネルギーだから、もったいなかったと思わないでも無い。


 ホースもない、ラインも引いていない状態で径4mのトンネルに入ると、どちらが出口か完全にわからなくなってしまう。
 暗黒の水中、ライトの当たっているところしか見えない直径3m以上のトンネルは、ただの壁に見える。壁に手を触れながら泳いで行くと、自分の身体も回転してしまうので、どちらが出口かわからなくなる。


 鶴町と井上が入社したばかりの時だった。長野の山の中にあるダムのトンネル調査に、ある潜水会社の手伝いに出した。まだ、プロになりきっていない大学を出たばかりの彼らであった。その二人に、フリーランサーのダイバーを加えて3人でトンネルに入った。監督をする社長は水面にいて、ダイバー三人との間は、命綱ロープで繋いでいた。無事に作業を終えて一旦出てきたが、トンネルの中に工具を忘れた、ちょっと取って来ると言って、フリーのダイバーは、トンネルに戻っていった。面倒な命綱はつけなかった。これがトンネルや洞窟死亡事故の古典的パターンなのだが、奥に戻ったダイバーはそのまま帰らなかった。何分待っても帰えらないので、ロープを身体に結び付けて、捜索に向かった。入り口から30mほどのところで沈んでいて、息を吹き返すことは無かった。


 同行していた潜水会社の社長は、遺体と鶴町、井上を車に乗せ、ダムから下った。途中、車を止めると、社長は狂ったようにお題目を唱え、死んだダイバーの道具を谷底に投げ捨てた。しばらく狂うと、けろりと直って再び車を走らせた。お題目で解決したらしい。その後も多少の曲折はあったろうが、なんとも無くその会社は仕事を続けている。その会社は、渥美半島にあり、渥美半島はメロンの産地で、メロンが送られてきた。


 沼沢沼では、釜石で潜ったメンバー、プラス何名かのベテラン・フリーダイバーを集めた。
 そして、
 太いホースをトンネルの奥まで引き込み、先端で細いフーカーホース四本に枝分かれさせるシステムを考えた。スクーバタンクを背負って、スクーバで呼吸しながら先端に向かう。奥で、呼吸をホースに切り替えて作業する。枝分かれしたホースの先端は、水中で取り付け取り外しができるカプラー(接合金具)でフルフェースマスクに繋ぐ。そのままホースからの空気の供給で作業を行い、帰るときはホースを切り離して、背中に背負っているタンク、スクーバで呼吸して戻る。つまり、2系統の給気だ。太いホースを次第に先に進めながら撮影作業を進めて行く。
 僕は水中スクーターで往復し監督したが、社長はただ邪魔をしているだけだと顰蹙をかった。
 僕は手袋をしないダイバーなのだが、流氷の下、そして、3度Cの沼沢沼では手袋をした。手袋とドライスーツの間から水を入れたくないのでと手袋の上から、袖の部分を軽くビニールテープで締めた。そのビニールテープが水につかってゆるみ、手から少し外れてヒラヒラした。それがスクーターのペラに巻き付いた。危うく手を巻き込まれそうになったが、それは免れた。しかし、スクリューの軸にテープが巻き付いてしまって、停まった。停まったのでけがはしなかったが、スクーターは動かない。はずそうとするのだが、スポンジの手袋ではテープをはがすことができない。
 トンネルは真ん中あたりだ。もちろん真の闇で、ヘッドランプの明かりだけだ。トンネルには、ホースと一緒に通話器のマイクも30m間隔で付けてあるから、水面に救助を要請することは、できる。しかし、それをやれば、ますますみんなの邪魔になる。余計なことをすると怒られる。助けを求めずに、自分だけで解決しようとするのが、スクーバダイバーの誇りでもあるのだが、それが危険な事態を招くことにもなる。でも、この際だから、エィツと気合いを入れて、手袋を脱いだ。切られるように冷たい。しかし、10秒ほどで、手指が動くようになった。ビニールをはずして、再び走って戻ってきた。
 人間の手と顔は、冷たくても大丈夫だ。耐えられる。冷たさが寒さに変わった時、耐えられなくなる。


 トンネルには、何の異常もなく、沼沢沼で全ての作業が終了して、ホースの引き出し作業をした。何の障害も無く、するすると引き出せた。
 ホースを完全に引き出した後に確認すると、ベテランのフリーダイバー太田さんが工具の忘れ物が無いか確認に戻ったと言う。あの時と同じではないか。血の気が引いた。
 幸いにも、やがて太田さんは戻ってきた。


 
 沼沢沼に潜水した方法、道具で、竜泉洞が出来ると思った。山登りで言えば極地式のようなシステムで潜れる。沼沢沼の工事に参加したフリーのプロダイバーにも話したら、皆、やりたいと竜泉洞を楽しみにした。
 何通も企画書を書いた。
 昭和60年、フジテレビの開局記念番組に採用がほぼ決まった。しかし、この企画をやるかやらないか最後の会議で、龍泉洞に本当にX洞があるのかどうかを聞かれた。「あります。」と言い切れば良かったのだろう。テレビとはそうゆうものだ。
 「あります」と言い切れなかった。どうも、「海の世界」の越智さんの記事,、巨大な洞窟という話が幻想に思えたのだ。「あるかどうかわからないので調査します、」真実を答えた。あるかないかわからないのでは、と言う理由で最終的には没になった。フジテレビは、そんな会社だ。


 やがて、テクニカルダイビングという形で、アメリカでは洞窟潜水が盛んになり、フロリダでケーブダイビングに実績のある、ラマール・ハイレスというテクニカルダイバーを呼んで竜泉洞の潜水調査を行うという趣意書を見た。名古屋の中部日本潜水連盟の佐藤矩郎さんの企画だ。中部日本は、全日本潜水連盟の傘下であったこともあるので、佐藤さんとは親しい仲だった。X洞は、発見されなかったが、佐藤さんはTDIというテクニカルダイビングの指導団体も輸入して、その日本での、窓口になった。今、TDIは、日本のテクニカルダイビングの団体として、高い評価をうけている。
 また、佐藤さんは、龍泉洞をダイビングスポットにして、現地にダイビングショップをつくった。奥へと進む、観光道の行き止まりの水面ではなく、観光道の途中、観光道に沿ったように流れている中流、中間部分でやや巾が広くなったあたりに潜る。それでも、鍾乳洞に潜った気分にはなれる。しかし、思ったように集客することは出来ずにやがてダイビングショップは閉鎖になった。


続く



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