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海へ ⑦ This is philosophy
ジミー・イグレシアス 右 と僕の当時の撮影助手 鶴町通世(左) ジミーは本当に童顔だった。 これまで、フィロソフィーという言葉を気楽に使ってきた。フィロソフィーとは、哲学のことだが、ここでは難しい哲学のことではない。...
View Article0813 お盆
お盆です。 少し早めに、11日に潮美の車に乗せてもらって、墓参に行ってきました。14-15日には台風がきますから、お花をあげても、飛ばされてしまうし、お線香もあげられないです。早めに行けたのは、仏様の御利益でしょう。 宗教のことを少し書きます。...
View Article0824 スガ・マリンメカニック
ブログを書き始めたのは、2005年で、その頃は楽天ブログを使っていた。楽天ブログだったのは、2008年までで、掲載できる写真が小さいのとか、いろいろあって今のブログに代わった。 しかし、自分として、この楽天時代の文章が好きだ。...
View Article0903 日記
日記 9月3日 写真は、チューク・ブルーラグーンの創立者 キムオ(キミオ)さんに話をきいているところ、1980 年代かな? 書いていることと関係ありません、 気分のカットです。 午前中 シンポジウム報告ジャーナルの発送 応援していただいているメーカー7社に2冊ずつ送った。これに3時間かかってしまった。この頃やらない作業だったから時間がかかった。...
View Article0924 ダイビングの歴史 下書き(1)
ロバート・シンクレア・ディーツ(Robert Sinclair Dietz、 ダイビングの歴史 下書き (1) ブログがどうしようも無く、停滞している。心筋梗塞で入院中は、それでも、「海へ」というタイトルで、前に書いたブログのリライト出していた。退院したら、ダイビングの歴史と、最新水中撮影調査技法の執筆にとりかかろうと思っていた。もう、僕に残された時間は少ない。頑張ろうと思っていた。...
View Article1001 東京湾大感謝祭 ポスター
10月15日、16日、東京湾大感謝祭というイベントが、横浜の煉瓦倉庫で行われる、と思ったら、煉瓦倉庫は、お休みで、その近くの大桟橋ホールで行われる。毎年、元東京都環境課の風間真理さんがお世話してくださり、お台場の映像などを出展している。 大感謝祭に先立ち、シンポジウムがあり、それにポスターの出展があるということ、作ることにした。 メインの写真は、9月末のお台場、全景と、調査中の状況がわかる。...
View Article1009 ダイビングの歴史 下書き3
1957年 日本潜水科学協会の一般講習 ※ 前回、1954年事故の追悼記念碑の話を、下書きの(2)として、今回を(3)にした。 潜水科学協会の発足は、1957年の1月28日で、その3月14日~17日、その第一回スキュバダイビング基礎講習会が行われた。日本で最初の一般向けのスクーバ(スキュバと呼んでいた)ダイビングの講習会である。...
View Article1011 ダイビングの歴史 下書き4 1957 東京水産大学潜水実習
1957 東京水産大学潜水実習 1957年、7月 初旬調べること、 水産大学の潜水実習が大学三年次、希望者対象で行われ、待ち構えていた僕はこれに参加し、ダイバーの第一歩を踏み出す。 講習に先だって、健康診断が行われたが、息こらえ1分30秒が参加資格だった。 実習期間は一週間、まず潜水医学の講義があり、講師は、医科歯科大学の梨本一郎先生。...
View Article1015 ダイビングの歴史1958 余談
母校である東京水産大学のことばかり、述べてきたが、世の中は?、 ディーツ博士によってスクーバが紹介された1953年、イタリアでは、ドキュメンタリー映画の製作で職人プロデューサーのブルーノ・バイラティと、監督のフォルコ・クイリチのコンビが、紅海に水中映画撮影のチーム(14名)で遠征する。その結実が「青い大陸」で、1955年に日本でも公開される。...
View Article1023 下書き6 1958 サザエの棘
1958年・昭和33年 サザエの棘 昭和33年(1958)4年次になり、宇野先生の下で卒業論文のテーマでサザエの棘の研究を選び、夏には、伊豆大島の波浮港の近くで、材料のサザエを採集した。 サザエには刺のあるサザエと刺のないサザエがある。波の静かな内湾のサザエは刺がない。荒い波の打ち寄せる外海のサザエは刺がある。...
View Article1024 ダイビングの歴史 山田稔 年表
ダイビングの歴史を企画した2017年 共著でやろうと声をかけていた、山田稔さん(ジャムステック)が、たたき台の年表を作ってくれた。いろいろ錯綜し、たたき台をたたかないうちに、山田さんは世を去ってしまった。 手をつけている、書き続けているダイビングの歴史では、年表もかなり変更しているが、この年表、これはこれでまとまっているので、ブログに上げておきたい。山田さん、独特の視点もあるので、おもしろい。...
View Article1025 下書き7 太平洋炭鉱 1957「企業のスクーバ導入例
ライン調査を1957年に行った実例 これが、文書(印刷物)で発表された、スクーバによるライン調査の記録として、一番最初であろう。 僕らの素潜り(スキンダイビング)によるライン調査は、ライン調査としての発表は、当時、していない。 また、日本にスクーバが入ってきて、実際の海底調査を行った最初である。 どるふぃん 1-2(1957) より 「太平洋炭鉱におけるアクアラングの利用状況」...
View Article026 下書き8 大学4年次人工魚礁調査 1958年
写真はこの時のものではありません。別の時、別の場所ですが、イメージがにているので、 7月には、卒論のためのフィールドワーク、伊豆大島、波浮の港で、スキンダイビングでライン調査をやった。 毎日スキンダイビングで、それも次第に深みへと潜り、20mていどまで潜れるようになった。海士級であり、研究者、学生としては驚異的だと威張れた。 三越屋上のアクリル巨大水槽。...
View Article1027 下書き 調査潜水運用分析
ダイビングの歴史としては、余談になる。考えると事故についてのすべてが余談になってしまう。でも、重要だ。 前回に書いた 1958年の人工魚礁調査、危機一髪、以来、何度となく、おそらく1000回を上回る数、あの事故のことを考えた。このことについて書いたのも10回以上だと思う。生きていたから、考えたり書いたりできる。...
View Article1029 ダイビングの歴史 下書き9 卒業
1959ー3月 東京水産大学を卒業する。 スクーバダイビングでの生と死、そして技術を学んだ。撮影は、調査報告とは、イコール撮影なのだと知った。 映画の撮影については、岩波映画と新東宝の水中撮影の助手をやった。岩波映画は、小湊の磯でのクサフグの産卵、新東宝は「人喰い海女」という恐ろしい題名の映画に水中撮影の助手に付き、白浜のロケをやり、驚異的に身体がよく動くととほめられた。...
View Article1106 ダイビングの歴史 下書き10 東亜潜水機
この写真は、僕が入社する10年ほど前のものだが、傾いた引き戸の門、左手の事務所、など、ほとんどこのままだ。1959年、潜水業界としては、最大手の東亜潜水機、 1959年10月 上野から常磐線に乗り、日暮里、三河島、 南千住を過ぎて、電車の左側を見てゆくと、荒川の鉄橋に差し掛かるすぐ手前に、電車の窓から見下ろせるところに東亜潜水機がある。...
View Article1110 ウエアラブルカメラ
go-pro8が紛失して、go-pro10を買った。最新水中調査撮影技法にウエアラブルカメラの章を設けるので、go-proは重要なので、自分なりになっとく、きわめておかなくてはならない。 多数持っているウエアラブルカメラをこの機会に整理して、6台をのこした。この機会に、この6台について要点を記載しておこう。 go-pro10...
View Article1112 ダイビングの歴史11 1960年代②、舘石さんとの出会い。
フランスから輸入の 純正、アクアラングボンベ、アルミ製 リザーブバルブ付き、ハーネスは、単純だ。 東亜潜水機には、ダイバー、ダイビング出来る人は僕の入社時点では誰も居なかった。まだ、スクーバは、ほとんど普及していなかったからである。...
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