少し早めに、11日に潮美の車に乗せてもらって、墓参に行ってきました。14-15日には台風がきますから、お花をあげても、飛ばされてしまうし、お線香もあげられないです。早めに行けたのは、仏様の御利益でしょう。
宗教のことを少し書きます。
今、統一教会が、めちゃくちゃにお金を巻き上げる。それを総理大臣が応援していたとかで、殺されて、国葬になります。日本は面白い国です。このまま平和に、歳月が1000年、2000年と続いて行けば良いと願います。
宗教も、自分に関してはアバウトでのどかです。
殺されてしまった安倍さんも、宗教について、アバウトでノーガードだったのでしょう。この方、ノーガードのところがずいぶんあります。
お参りに行ったお寺は、千葉県白井市にある延命寺です。ウィキペディアで見ると、開山は、1050年、1000年以上前の名刹です。なぜ、そんな名刹にお墓があるのか?そのことを、書こうということです。
僕の母は、市川市行徳にある徳願寺という浄土宗の名刹に嫁ぎました。これもウィキペディアに紹介があります。また、宮本武蔵が修行をしたお寺で、吉川英治の小説に出てくるお寺です。遠い親戚であり、彼女は絶世とまではいえないまでも、美女でしたし、女学校を出て、英語がしゃべれます。望まれての結婚で、これで幸せになれるはずでした。ところが、この名刹の跡取りだった瑞玉さんは、みんなの評判のとても良い人でしたが、若くして亡くなってしまいます。美人ですから、男はほおっておかない。そのまま、寺で一生をすごすことなどできるはずもなく、出戻って、波瀾万丈の生涯を送ります。
寺に嫁いだためか、誰かの命日に当たるとき、仏前でお経を挙げます。無論、浄土宗のお経です。門前の女房、習わぬ経読む、でしょうか。そんな彼女が、僕が大学生の時に、創価学会に入信してしまいます。何故?どうして?辛い時期がありましたから、宗教に救いを求めたのでしょう。そこに創価学会がはまり込んだ。
母は僕に宗教の話など、何も言いませんが、僕のところにも折伏がきました。僕も若く生意気な盛りですから、死後の世界の有無、宗教について、楽しく、一日、議論を交わしました。論破したと僕は思いました。
そして、娘の潮美が10歳の時に、母は亡くなりました。64歳、癌でした。別居していたのですが、お葬式は僕が出さなければなりません。母の実家にも菩提寺はあります。どうしようと思っているうちに創価学会が押し寄せてきて、あれよあれよ、と言う間にお葬式をしてくれます。僧侶も団体で来てお経をあげてくれます。母は、その宗派では、かなりの有名人だったらしいのです。彼女の場合、献金などするお金もないですから、自分の細い商売(衣料関係)に創価学会ルートを使っていて、算盤は合っていたはずです。そのあたりが、創価学会が無難に拡大し、公明党になった所以でしょう。財産を不合理に巻き上げて、倒産させるようなことはない。生活が成り立つように逆に援助はしてくれる。そして、儲かれば相応の献金はするのでしょうが、倒産はさせない。このあたりのバランス感覚があれば、統一も、自民党の中に会派ぐらいはできたでしょう?が、もしそうなら、安倍さんは総理にはなれないでしょう。そのあたりが日本の政治と宗教のかかわり、日本人の宗教にかかわる、スタンスのおもしろい?ところでしょう。
嵐のように母の葬儀が過ぎて、お骨だけが、残ります。創価学会のばあい。お墓は、富士のお山にあるのだとか、僕が信者でしたら、そこに納めてお参りするのでしょうが、信者にならないこと、わかっていますので、お骨だけ取り残されています。実家の菩提寺に相談したところ、もう一度、浄土真宗の葬儀をしなければ、墓に入れることはできないということでした。
今、2020年であれば、その辺のところに、納骨堂がたくさんあるし、嫁ぎ先の徳願寺も、次の世代が商売人で斎場を寺の隣につくったりしていますが、1969年です。それに、僕もアバウトではあるもののお墓がないと落ち着きません。墓地をさがしまわります。
霊園はたくさんあるのですが、管理してくれるお寺がやはりああった方が良い。
その頃、僕は千葉県の鎌ケ谷と言うところに、住んでいて、白井市とは、空いた道を走って、30分ぐらいのところでした。延命寺の墓地の宣伝が何かに出ていて、訪ねて行きました。
別に、葬式をもう一度やる必要は無い。お経ぐらいはあげてくれるが、真言宗のお経で、その他の条件としては、創価学会の信者が来て、シキミをあげたりするのはこまる。お花にしてください。墓地の価格も、リーズナブルであったので延命寺にきめました。和尚さんは学校の先生で、かなりの知識人で、バランス感覚のいい人で、テレホン相談などもしていました。お墓を作るお金が無かったので、納骨の土台だけをつくって、木の柱を立て、お金ができたら、墓石をつくるからね、と母に伝えました。死後の世界など信じていないのですが、心の中で話しかけます。そのあたりは適当で、心の中に生きています。自分の心の問題ですから、適当で良いのです。
そして、木の柱にお参りを続けて、歳月が過ぎて行き、潮美が水中レポートを始めたころでしたから、1985年か6年ですが、母の夢を見ました。何かを訴えるような感じで気になったので、ちょうどお彼岸だったので、お寺に行きました。腐っていた木の柱がポッキリと折れて、それでもお寺が何か支えをして立っては居ました。
やはり、死後の世界があるのだろうか?ありはしない、自分が気にかけていたからだとはおもうのですが、墓石を立てなければ、格好が悪い。母にもうしわけない。お寺に相談して、出入りの墓石屋を紹介してもらい。お墓を作り、お経をあげてもらって、お骨を入れました。その時も潮美と二人で参列し、住職と、テレビの話が弾みました。
その後は、毎年一回は墓参に行き、お花、お線香を上げ、墓地の管理料、6000円を払います。その時、タオル1本と「光明」という真言宗豊山派の宣伝誌をもらいます。なかなか趣味のいい小冊子で、読むようにしています。今度の号は、浄土真宗の僧侶、曹洞宗の僧侶、そして真言宗豊山派の僧侶が食について超宗派で語り合うというので、なかなか面白かった。食とは、人間が生まれて、2番目に行うことだとか、一番は呼吸で、二番目がお乳を吸うこと。
そして、そうめんの汁は、昆布だし汁で薄めるとおいしいとか、各宗派の若い僧侶が仲良く語り合っている。日本の仏教はいいな、とおもったりします。
残念なことに、先代の住職は亡くなり、次の、住職が継いでいて、多分、息子さんだと思うけど、一回お目にかかっただけ、やはり、高校か何かの先生で、現代的な人です。
このごろ、Facebookに、海への散骨の広告がやたらに送られてきます。そろそろだろうと、見計らった広告なのでしょうが、散骨される方に選択権はないわけで、まあ、後のことは、いずれにせよ、自分がやることではないので。息子や娘よりも先に死ねそうですから、なんとか上手くやってくれるでしょう。