ジミー・イグレシアス 右 と僕の当時の撮影助手 鶴町通世(左)
ジミーは本当に童顔だった。
これまで、フィロソフィーという言葉を気楽に使ってきた。フィロソフィーとは、哲学のことだが、ここでは難しい哲学のことではない。
1980年、日本テレビ、山中康夫プロデューサーとガラパゴスに行った時のことだった。撮影隊にはエクアドル国立公園のスーパバイザーが一緒に行動する。ガイド兼、監視員だ。僕たちに付いたのは、ジミー・イグレシアスという若者、小柄だったから、ただのガキ、少年のような奴だった。それでも難しい試験を通り過ぎてきたということだから、エクアドルでは秀才だったのだろう。ダイビングができるガイドということで、彼が来た。最初は威張っていたのだが、一緒に潜って溺れかけて、僕たちに助けてもらってから、態度が変わり、仲良くなった。Cカードレベルのダイバーだった。日本から、スクーバで潜りに来るロケ隊が来るというので、急遽ダイビングを習ったのだろう。
僕は、朝早くおきて、シーイグアナ(海イグアナ)が水に入って、海藻を食べるシーンを撮ることになった。イグアナはたくさん居て、溶岩のような岩の上でじっとしている。海に飛び込んでくれなければ水中撮影はできない。仲良しになっていたジミーに、「ちょっと、二三匹海に落としてくれないか。」とたのんだ。首を横に振る。だめだ。という。イグアナは、気温が上がり、厚くならないと水に入ろうとしない。海藻は,陽が高くなり、暖かくなっても逃げることはないのだから、当然と言えば当然なのだが、とにかく、待って、11時頃にならなければ水に入らない。そのうちにアシカがやってきて、おもしろがって、手鰭をパタパタやって、イグアナを落としはじめら。「ほら、アシカがやって良いならば、僕らもやっていいだろう。」
「だめだ。あれはアシカ、野生動物だからイグアナを落としても良い。人間はやってはだめだ。」「結果は同じではないか。」「いやちがう。ジスイズ・フィロソフィー」と言われて、僕は納得した。
ルールだとか、義務だとか言われると、縛られるようで嫌だ。フィロソフィーといわれると、うん、そうかと納得できる。それから、僕はフィロソフィーという言葉を愛用するようになった。スクーバダイビングでも、一人にならない、フィロソフィーなのだ、とか。
ジミーだが、僕たちに心服して、僕の持っていた全日本潜水連盟のインストラクターライセンスがほしいと言う。OKして、会費をもらってきた。全日本潜水連盟に言うと、理事会に掛けられて、だめと言う答えが来た。ガラパゴスで潜れるスーパバイザーは、ジミーぐらいのものだ。その後、世界の水中撮影隊が行くたびに、全日本潜水連盟のインストラクターであることを誇りに思って、見せて廻るに違いないのに。
僕は、めんどうなので、お金を返さずに猫ばばした。いいのだ。ジミーには、僕のダイブウエイズのフィンとマスクをあげてきたのだから。
それから、十年ぐらい時間がたち、ガラパゴス撮影の計画が持ち上がった。僕は、ジミーをガイドにリクエストした。元気でやっているということで、承諾が来た。今度こそ、全日本潜水連盟のインストラクターのカードを持っていってやろう。インストラクターではなくても良い、特別のカードを作れば良い。日本語で書いてあれば、どれも同じだ。それともまた理事会でわけのわからないことを言われたら、お金を返そう。やはり、気がとがめていたのだ。
しかし、出発直前にこの企画は流れてしまい。ジミーからはかなりの金額の違約金をとられた。まあ、これでお金を返したことになる。それでも、十年後、ずいぶん成長し、きっと偉くなっていたジミーに会いたかった。