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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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海へ⑥  地中海のアカサンゴ採り。(60歳の100m潜水より)

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              地中海の赤サンゴ
 
 関教授は、ある時期、サンゴの研究に集中していた。現在ではサンゴというとサンゴ礁を造る造礁サンゴのことを思ってしまうが、その昔はサンゴと言って庶民の思い浮かべるのは、「金銀珊瑚綾錦」と言われる宝石サンゴである。その宝石珊瑚の養殖の研究だ。 今頃の若い女性ダイバーは、造礁珊瑚に熱心だが、日焼けした肌にワンポイントの深紅の宝石珊瑚は、とても似合う。「コーラル・ルネッサンス」珊瑚を今再びというプロジェクトを珊瑚取扱業者が企て、関さんの研究のスポンサーになり、係わるようになった。関さんが仕掛け人なのかもしれない。多分そうだ。

 この人、どうやって、こういうところに潜り込むのだろう?やはり神奈川大学教授という看板、そしてフランス語がペラペラなのが良いのか。さらに、表現に独特の説得力がある。

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       巨大な宝石サンゴを持つ、関博士

 ※今、2022年、
 1980年代の「ダイバー」の書写をしているが、その中に関教授(当時)の連載がある。抜群に面白い。「生きた海中の秘宝(Ⅳ)宝石珊瑚」1986年4月号ダイバー 関 邦博 によれば、宝石珊瑚には、日本産は、シロサンゴ アカサンゴ モモイロサンゴがあり、地中海産はベニサンゴで、最大でも親指大である。


 1980年代だったが、新宿の京王ホテルのロビーとワンフロアーを貸し切りにした大イベント「コーラル・ルネッサンス」宝石珊瑚の展示、即売、関さんの講演もある。招待チケットが来たので、僕も行ってみた。宝石珊瑚の特売は、賑わい、売れていた。講演の内容は、日本の珊瑚の品位を落としたのは、沖縄国際大通りだとか、そして、宝石珊瑚の養殖を計画しているとか。


 珊瑚は動物である。やがて、希少生物を採集したり移動したりすることを禁じるワシントン条約の対象になるのではないかと珊瑚商社は気遣う。サンゴの人工的な養殖が成功すれば、養殖した珊瑚はワシントン条約の対象にはならない。しかし、関さんは、その同じ舌の先で、イタリアの珊瑚商人は、もう充分なストックを持っているから、ワシントン条約ができても、そのために値上がりするから良いのだといったりする。ともあれ、年間100億円の外貨を日本の宝石珊瑚は稼いでいるという。その養殖を試みることは、急務であるとともに、お金になる、と関教授は書いている。
 とにかく、日本も珊瑚の生産地である。小笠原、四国の高知、九州の男女群島、奄美大島、沖縄などで水深100m以上の岩礁に珊瑚が生きている。ここぞと言うところに鉄のドレッジのような珊瑚網・採集器を降ろして曳き廻す。この方法では折れ砕かれて採集される。希に、折れていないのが上がると、大変な値段になる。珊瑚採りは、博打なのだ。そして、人を惹きつける。
 小形潜水艇、あるいはダイバーによる方法ならば、砕けないで採集できる可能性が高い。300mまで潜れる日本の小型潜水艇「はくよう」は、漁船登録をしている珊瑚採り漁船でもあった。数千万の珊瑚を採ったという話を聞いたことがある。
 宝石サンゴのもう一つの本場中の本場は地中海である。地中海のサルディニア、コルシカでは、ダイバーによる採集が日常的に行われている。
 養殖のために珊瑚の棲息場所の状況を調査しつつ採集しようとするならば、ダイバーが潜水して行うのがベストである。関さんは二人のダイバーをコルシカ島から呼んで、四国・高知の足摺で潜水させた。お金はコーラル・ルネッサンスから引き出したのだろう。きっと。
 アランとエリの二人がコルシカから来た。僕が係わったのは、水深80m以上で壊れないスチルカメラを持っていたので、それを貸すことであった。なぜか、浜松町のホテルで、二人のダイバーに会い、カメラを手渡して、使い方を教えた。関さんは二人の珊瑚ダイバーを連れて、高知行きのフェリーで、四国は、宿毛の森田君のところに行き、森田も参加して、珊瑚採りダイビングをやった。
 森田は、親しいダイバーで、中尾先生の海綿採集で、何度も、毎年のように通っているのだが、その前に、四国足摺で、浮き魚礁の撮影で、潮流3ノットの黒潮の直中で、二人で無謀なダイビングをやったりしている。65歳の時だ。その直後に僕は癌になり・・・その話は、また何時か。
 アランとエリの生きた宝石珊瑚採りダイビングは成功して、採集できた。


 同行した森田君によれば、珊瑚のある沖ノ島は、潮が速く、しかも複雑。小さい玉浮きを連結したブイを入れる。中層に流れがあれば、表面で流れていなくても、ブイが沈む。何個ブイが沈むかで流れを判断して、行くか止めるか決める。80mから100mに潜っている。宿毛にヘリウムを送ったのか?、送ったとしても、そんなに多くは送れないだろうし、混合するステーションもない。どうやったのか、森田に今度会ったら聞いてみよう。
 森田も一度だけ一緒に潜って、宝石珊瑚を見たという。言葉で表現できない特別だという。ヘリウムを入れたとしても、後に聞くことになるアランの流儀ならば、水深60m相当の窒素分圧で潜っているはずだから、窒素酔いで朦朧となった頭で宝石珊瑚を見れば、この世のものとは見えないだろう。
 とにかくこのダイビングは、森田にとっても生涯最大の冒険だったにちがいない。


 ※そうだ、「窒素酔いジャンキー」の話も書いておかなくては。
 窒素酔いの恐ろしいのは、アル中と同じように、窒素酔い中毒になることだ。これは、ダイバー以外はかかる心配がないが、透明度の良い水深60-70mで窒素酔いになると、ほぼ天国二いるのと同様になる。
 窒素酔いそのものは、何の害も無い。二日酔いにもならない。浮上してくれば爽快である。ただ、浮上タイムテーブルをを忘れて長く水中にとどまって減圧症にかかる恐れがある。1980年代の終わりから1990年代のはじめ、僕が窒素酔いジャンキーに近お状態になっていたころ、大瀬崎の先端に行くと、水深30mあたりで、浮上して行く自分とすれ違うようにして、まっしぐらに、深みへ降りていくダイバーとよくすれちがった。たいてい一人だけだ、すばらしく上手に見える。多分、窒素酔いジャンキーだ。


 僕の貸した耐圧100mの分厚いハウジングは凹んで戻ってきた。だから、彼らはまちがいなく、100mに潜っている。円筒形だから、凹んでも水は漏らなかったが、写真は撮れなかっただろう。写真は見せてもらっていない。
 決死で採った、生きた宝石珊瑚はどうなった?真鶴、琴ヶ浜のダイビングセンターの福島君のところに預けて飼育してもらったというのだが、すぐに死んでしまったらしい。関さんは別に落胆している様子はなかった。とにかく、生きた個体を手にして撮影できれば、良かった?
 今、沖縄の美ら海水族館では、生きている宝石珊瑚が、飼育、展示されている。水槽で見ると地味な珊瑚だ。


 1996年、僕の60歳記念で100m潜水をすることになり、そのテレビ番組撮影の一環として、関さんに紹介を頼んで、コルシカ島にアランを訪ねて、彼の潜水方法を詳細に見て、要点を教えてもらうことになった。


 ニースからコルシカ島のアジャクシオに飛び、さらに車で2時間、サルテーヌという町へ、ここに泊まった。ここからは、通訳としてパリ大学に留学中の三浦さんが加わった。朝、アランの奥さんが迎えに来てくれる。ベトナム人で個性的な美人だ。先導する奥さんの車はルノーで、ホンダのオデッセイに似ている。どうもホンダが真似したらしい。フランスでは、ルノーとプジョーに同じような車があり、どちらも人気があるそうだ。舗装していない道のしかも下り坂の曲がりくねった道を奥さんは平均80キロで飛ばして行く。ほとんど暴走族だ。30分で港に着いた。チザノという小さい港だ。小さな漁船が15隻ほどで満員になってしまっている。
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 アランの船は30フィートほどの高速艇で一人用の再圧チャンバーが積んである。
 アランが床が錆で抜け落ちたような、車検がある日本ではお目にかかれないようなジープでやってきた。
 お互いの顔は覚えていないが、四国行きのフェリーの乗り場でカメラの受け渡しをしたことは覚えていた。顔は忘れていても、会ったことがあると言うことは、一瞬にして古くからの親友のような気分になれる。二人とも互いに親友の様な顔をして、再会を喜ぶ風にテレビ番組のカメラに収まった。
 私はバイキングのドライスーツだけを持って来た。それにデジタルの小さなビデオカメラだ。タンクとウエイトを貸してくれるようにアランに頼んであるのだが、これがスクーバは無いという。愕然とした。
 アランが用意していたのは、タンクは30リットルくらいの大きなタンクに、空気は100キロぐらい入っている。20mのホースがついたフーカーのレギュレーターがあった。船底などの掃除につかっているらしい。これで何とかなる。鉛は周囲の漁船から、魚網の鉛をかき集めてロープに通した。これを腰に巻く。日本だと、ダイビングをやると言えば、例えば僕のところには、予備のレギュレーターもBC.もウエイトもいくつもあるし、タンクも数本はあるのだが、ここコルシカ、地中海では、余分なものは、置いていない。


 アランにはジャックという助手が居て、彼が殆ど全ての仕度、雑用、船の操船をする。アランはただ潜るだけに集中できる。
 出港して10分ぐらい走ると、今日の潜水予定点に到着した。目印に、ペットボトルが浮かべてある。タコ糸よりも、もう少し太い、水切りの良い丈夫な糸が海底に伸びている。この糸に沿って潜るのだ。
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 アランが背負うタンクは、二本組のタンク、これは10リットル程度のタンクを二本連結してある。二本のタンクの間に少し細長い12リットルぐらいのタンクを乗せて束ねてある。三本セットになっている、二本組には空気が詰められている。それに乗せられた一本がボトムガスで、今日は70%の空気に30%のヘリウムを加えてある。空気は酸素と窒素だから、このガスはトライミックスである。計算すると、14%の酸素、30%のヘリウム、56%の窒素になる。これで100mまで潜ると、空気で70mに潜ったのと同様な窒素酔いになる。アランは、この程度ならば窒素酔いに耐えられるのだ。ヘリウムを多くして、減圧停止時間を長くするよりは、窒素酔いに耐えた方が良いという選択だ。毎日潜っているので、窒素酔いに対する耐性も強くなっている。自分の経験だが、普通の空気で60mに潜ると窒素酔いになり、気分が良くなって浮上したくなくなる。また、窒素酔いは、酒酔いと同様、強くなる、若干ジャンキーにもなる。それが、怖いのだが。窒素酔いの眼で見るハナダイの群れなどは、格別なのだ。


 ボートの上には親ビン(街の鉄工場でよく見かける、大きな酸素ボンベ。)が二本ころがしてあり、一本は酸素、もう一本は50%の酸素と50%の窒素の混合ガスが詰められている。これは減圧用のガスで、フーカーホース式で供給する。
 
 私は先に入って、潜ってくるアランを迎えて、下に送りだす撮影をする。私の使うフーカーのホースには電話線を付けて、水面と話が出来るようにした。
 アランは、潜水前に瞑想して、これから水中に入ってからの手順、どんな風に推移するか頭の中でシミュレーションする。これをやらないと、危ないし、成功することもできないという。アランはこの瞑想集中の時間を大切にしている。深く潜るダイバーはいくつかのパターンがあるが、みんな潜水前の心の集中をやる。私はやらない。 テレビの撮影は水に入る直前まで色々な指示を受けなければならないし、水に入ったらすぐにでもインターカムで潮美の声とか、カメラワークの指示が入ってくる。落ち着いて集中することなどできない。
 7mのところまで潜ってアランを待つ。鉛のロープが緩んだらしく、下にずりおちそうになる。片手にカメラをかまえ、片手でずり落ちる鉛を抑えると言う悲惨な形になった。浮上して鉛を締め直してくる時間は無い。片手で鉛を抑え、片手でカメラをかまえて、水面の輝きを見上げるポジションでアランの飛び込みを待つ。
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アランは凧糸のような潜降索に沿って、矢が突き刺さるように潜って行く。手には、平べったい篭を持っている。篭には鉛が入っている。海底に到達したら、鉛は捨てて、この篭に珊瑚を摘み取って入れる。宝石サンゴと言っても地中海のこの場所の珊瑚は、人間の手の指より細いくらいの太さで、長さも短い。磨けば真紅の色になる。奄美大島や小笠原にあり、潜水艇で採集している珊瑚は太い樹木のようなものもあり、一本が数千万円もするものもあるが、ここの珊瑚はそれほど大きなものは無い。種類がちがうのだ。
 一旦、船上に上がり、アランが戻ってくるのを待つ。
 潜降と、海底では、トライミックスを呼吸している。これはタンク一本だけだから潜水時間は短い。水面から海底に降下する時間と、海底での時間、そして、50mまで浮上してくる時間、全部を加えたもので、だいたい15分ぐらいだ。50mまで浮上してくると、呼吸を空気に切り替える。方針としては、できるだけヘリウムを吸わないことが、減圧停止時間を短くする結果になる。50mまで浮上すると、アランは、空気を入れてふくらました黄色いブイを水面に上げる。黄色いブイにはもちろん細いロープが付いていて、そのロープにアランはつかまって、少しずつ浮上してくる。
ボートはこの膨らませたブイをつかんでボートに上げる。ブイに付けられたロープはそのままだ。これでアランはボートと直接にロープで繋がったことになる。ブイのロープに這わすような形で、12mmぐらいのロープに10キロ以上のウエイトをつけが減圧索をおろす。減圧索には大きな白いブイが付けられている。白いブイは、水面に浮かすが、ブイと船とは、別の細いロープと取って結んであるので、船の縁から5mほどのところにブイがある。さらに、この減圧索に沿わせるようにして送気ホースを降ろす。送気ホースには、有線通話機の線、温水のホースが束ねられている。アランが50mの地点で待っているのだから、ホースの長さは、50mと決めていて問題ない。
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 アランが背負ったタンクから降ろされたホースからの送気に乗り換えると、電話線からアランの呼吸音が聞こえてくる。ホースから送っているのは、50%の酸素と50%窒素の混合気体だ。浮上・減圧の課程では、酸素中毒にならない範囲内で出来るだけ酸素の分圧の高い気体を呼吸することが、減圧の時間を少なくする。言い換えれば減圧症(潜水病)になる可能性を少なくする。
 テンダー(水面で世話をする人)のジャックは忙しい。最初に浮き上がった黄色いブイは、船に取り入れてあるのだが、そのロープを引き揚げる。ロープの先には、採取した珊瑚の篭が結び付けられている。無駄が無い。
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 珊瑚を処理しながら通話機を通じて送られてくるアランの指示に従って、アランの浮上に従って送気ホースを少しずつ手繰り込んで行く。
 浮上の速度をその時に計測していなかったのだが、毎分1mから2mの速度である。
 水深12mまで上がってくると、送気を純酸素に切り替える。通常、純酸素の呼吸は、酸素中毒を防ぐために水深4・6mまでとされている。しかし、減圧時間を短くするためには純酸素の呼吸が最高度に有効であり、ヘリウム-酸素混合気体潜水では、18mで純酸素を呼吸する減圧表もある。酸素に対する抵抗は個人差があり、耐性試験を行ってからでなければ水深4.6mを越しては純酸素は呼吸できない。
 私は潜水の仕度をして、今度は腰からずり落ちないようにしっかりと鉛ロープを腰につけて、減圧中のアランを撮影するために水に入る。
 アランは温水のホースを手首からウエットスーツに差し込んで、身体をゆすって温水を身体全体に行き渡らせている。ホースから温水を手に受けて見ると、ほんのり暖かい程度だ。船上に置いてあるのはプロパンガスを使う家庭用の湯沸かし器で、小さなものである。コンプレッサーの冷却水ポンプのような小さいポンプでお湯を送り出している。温かい地中海の海では、これで充分なのだ。
 ドライスーツは首を締め付け、手首を締め付け、服の中の空気の浮力を相殺するために10キロ以上のウエイトを着ける。水中での敏捷性と快適性はウエットスーツに遠く及ばない。日本での私の潜水は、12月の中旬まではなんとかウエットスーツで潜る。1月から4月まではドライスーツである。ウエットスーツで寒さを感じない水温は18度であるが、寒い年は、6月になっても18度に達しない。寒さを我慢しても、5月にはウエットスーツに戻る。地中海のこの辺りは、秋の10月、普通のダイビングならば、ウエットスーツでも問題ない。しかし、長時間の減圧をする深い潜水では、温水装置が必須である。ドライスーツは敏捷に動けないし、体力が消耗させられるので、大深度潜水には向いていない。
 私は、薄いゴム引きファブリックのドライスーツを着ている。ドライスーツは空気を服の中に入れて服内外の圧力をバランスさせないと、身体が絞られる。旅行用に持参する衣服がコンパクトになるように、服を入れて、空気を搾り出して縮小する、密閉できるビニール袋が売られているが、あれと同じである。正規のスクーバレギュレーターならば、服内に空気を注入する装置が使えるが、アランのフーカーホースでは空気が注入できない。足が締め付けられて爪先が痛くなった。時間の経過とともに痛みが耐えられなくなったので、アランに浮上するとサインを送った時、アランが手招きする。近づくと有線通話機のレシーバーを手渡す。耳に当てると、水面からの指示で、「これから全部の装備を外すから撮影するように」と言って来た。
 減圧コンピューター、ナイフなど小物をはずして、タンクのハーネスベルトにくくりつける。タンクを脱いで、ロープを下ろさせて、水面に引き揚げさせる。ホースの呼吸に切り替えているので、とうにタンクは不要になっている。アランは薄い3mmのウエットスーツを重ね着している。そのウエットスーツを水中で脱ぎ始めた。装備を外すといってもウエットスーツまで脱ぐとは予想できなかった。かぶりのウエットスーツだから上着を脱ぐためにはマスクを外さなければならない。ズボンを脱ぐためにはフィンを外さなければならない。日常のことなので、慣れであるが、大変な技術である。脱いだウエットスーツやマスクフィンを次々とロープにくくりつけて水面に上げさせ、最後にフーカーのマウスピースを口から放して、水深9mから水面にベイルアウト(緊急脱出)の姿勢で浮上する。
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アランの減圧は、日本では船上減圧と呼ばれている方法である。減圧は12m、9m、6m、3mの4段階で停止するが、6mとそして3mの段階が最も長時間が要求される。、最大では、3時間必要である。それを水中ですごすことは、辛いだけでなく効率が悪いし、海が時化てきたときなどは港に逃げ戻れないので危険である。6mと3mの段階を、船の上のタンクに入って加圧すれば、安楽に効率良く、安全に過ごすことができる。船上減圧を行うためには、9mから浮上して、再圧タンクに入り、6mの水圧に加圧する間の時間を出来るだけ短縮する必要がある。船上減圧は、9mから減圧途中で浮上したダイバーは、減圧症に罹患した状態にあるのだが、症状が発現しないうちに、再圧治療を開始してしまおうとするものだ。
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通常は3分以内にタンクに入り、加圧が開始されれば良いとされているが、時間が短ければ短いほど良い。
 水中でウエットスーツまでも脱いだアランは、浮上すると同時にバスロープを着てそのまま再圧タンクに跳び込む。おそらくは、1分もかかっていない。アランのボートのタンクは一人用であり、タンクの中でウエットスーツを脱ぐスペースは無い。タンクの中での長い時間をウエットスーツを着たまますごすのは、不快であり、毎日のことだから、不健康でもある。ボートの上でウエットスーツを脱いでいたのでは、3分の制限時間を越えてしまう可能性がある。それにあわてて、激しく身体を動かせば、減圧症が発症してしまう可能性もある。 
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 水中でウエットスーツを脱いでしまったアランは、酸素を吸入しながら、本を読んだり音楽を聴いたり、リラックスして時間を過ごすことができる。その日、アランがタンクの中で減圧していた時間は2時間強だった。
「減圧テーブルは、どんなものを使っているのか」とアランに訊ねた。減圧表は何種類もあり、企業秘密になっている表もある。毎日のように100m前後を潜っていて、事故を起こしていないアランの表は、世界に通用するものであり、関心も深いものだろうと思ったのだ。
 返って来た答えは、「表など使っていない。」であった。これには少しばかり驚いた。サンゴの採取は、その日その日で深さも違う。身体の疲れ方も違う。自分の身体と相談して、無理をしたなと思う時は、タンクの中の減圧を長くする。およそのことを言えば2時間から3時間で、自分の身体で感覚的にわかるから、自分で良しと納得すればタンクから出てくる。もちろん一連の流れは決まっている。最後の船上の再圧タンクで減圧する時間で適宜調整している。
 
 アランの家に昼食を招待された。このために今日は深さと潜水時間をコントロールして短時間で減圧を切り上げたのだろう。
 塩気で錆が出て、底が抜けているようなジープに同乗して、アランの家に向かった。海岸近くに家があるのかと思ったが、山の上にある。車で20分ぐらい走る。羊飼いの家を作り変えたという家だ。プールが一段下がった目の下にあり、その先は低い山の連なりの先に青い海が見える。海の近くなのに、山の上にプールまで、作っている。
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 奥さんの作った料理はベトナム料理だという。箸で食べる。まずまずおいしく食べられた。昨夜、コルシカの猪料理を食べたが、高くておいしくなかった。日本人の口にはベトナム料理が合う。だから、フランスに来て、ベトナム料理ばかり食べていたことになった。フランスはベトナム料理店が多い。
 アランとの話を撮影した。複雑な話になると、二人の英語では無理なので、通訳として来てくれた三浦さんにお願いした。
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 アランに聞かれた。「なぜ、仕事でもないのに100m潜るのか。そして、深く潜るのは、毎日のように潜っていて、次第に深く潜るのが普通で、一発勝負で100m潜るのはプロのやることではない。」答えるのが難しい。
「若い頃、27歳の時に空気で100mを目指して、死にそうになって90mまでしか潜れなかった。今度は60歳になった記念に念願だった100mに潜りたい。日本では60歳の節目で自分のやりたいイベントをやる習慣がある。還暦のお祝いだ。」
「それに、100m潜るのに方法は様々だ。僕はダイビングを自分の身体で極めたい。そこからダイビングの最善の方法を探りたい。とにかくダイビングによって海で行う様々な仕事を見たり聞いたり、自分でやってみたりして、最善の方法を探りたい。」
「それで納得したが、それならばここで潜ることにしたらどうだ。毎日のことでなければ、再圧タンクも二人は入れる。パリのテレビの記者が来て、一緒に潜ったことがある。後でテープを見せるが100mまで潜った。同じようにやれば良い。」
「日本でのスケジュールを決めてしまっているので、残念だけれどそれは出来ない。」
「それならば、僕が日本に行ってやろう。旅費と宿泊費を出してくれれば、ギャラはいらないよ。この前に関と一緒に足摺の珊瑚を潜水した時もそうだった。あの時は本当に冒険だった。自分の船も無いし、道具も不満足なものだった。でも僕は、この仕事を半分はスポーツのつもりでやっている。だから、日本で潜って見たかった。日本の珊瑚を見たかったんだ。」
 これは大変に魅力的な提案で、後になって本気で検討することにもなった。
 アランの潜水方法は100mに最小のコストで、コストの範囲で最大限の安全が期待できる、これまでに見た大深度の潜水方法のうちで最もスマートな方法だった。
 同じような潜水方法はサルジニアでもイタリーのダイバーが行っていて、何人もの事故を乗り越えて、作り上げられた方法だという。
 部屋の中に自転車が2台置いてある。奥さんと二人で自転車競技をやっている。
「このまま、一生ダイバーをやっているつもりは無いんだ。ある程度やったら商売を変えるつもりだ。」
 ダイビングだけにしがみついている自分が、なんとなく馬鹿に思えた。
 アランの採集した宝石サンゴの3cmほどの一片をもらった。ぼやけた色をしているが、磨けば真紅になるはずだ。
 次の日、アランに別れを告げに港に行った。早朝に沖に出て10時ごろに入港すると聞いていた。ボートは港に入ってきたが、アランは未だ再圧タンクの中だ。インターフォンで話ができる。「また会いたいね。」「今度は一緒に深く潜ろう。」


※ もらってきた記念の赤サンゴ、机の引き出しに入れておいたのだが、磨きをかけないうちに紛失してしまった。今、あれば、と思う。


※ 写真を使わないで、文章だけと思っていたのだが、やはり、写真があれば写真をつかってしまう。





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