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0131 1月30日 お台場 定例(月例)第194回 調査
1月30日 お台場 定例(月例)第194回 調査 須賀、山本、尾島雅子、清水は、撮影調査を、多留、尾島、山田、臼島は、底棲生物調査を行った。...
View Article0205 1957年 (4) 協会の一般講習
第一回スキュバダイビング基礎講習会 日本で最初の一般向けの,と言っても会員対象であるが、スクーバ(スキュバと呼んでいた)ダイビングの講習会が開催された。日時は、昭和32年(1957)3月14日~17日 、1月28日の協会発足であるから、かなり前から準備を進めていたのだろうと思う。 行われた場所は、江東楽天地温泉プール、錦糸町の江東楽天地の何階だったか、とにかく、ビルの上の階にあった。...
View Article0209 ダイビングの歴史 41 1958(1) 史 ペガス(ペガース)
ペガス(ペガース) 1957年発足したダイビング協会は講習に明け暮れる。協会は、スクーバの普及、講習が最重要な使命である。1958年も講習を続行する。 自分は大学4年次卒業論文を書かなくてはならない。1年から3年までは、勉強は最低限度として、ダイビングにかけたが、ダイビングを駆使して調査をして、論文を書けば、めでたく勉強と潜水が両立できる。...
View Articleダイビングの歴史 42 1958年(2)サザエの棘
ザエには棘のあるサザエと棘のないサザエがある。波の静かな内湾のサザエは刺がない。瀬戸内海びサザエには棘がない。荒い波の打ち寄せる外海のサザエは刺がある。外房のサザエには棘がある。...
View Article0215 ダイビングの歴史 44 時がすぎて、目的・目標と安全について
1958年の人工魚礁調査、危機一髪、以来、何度となく、おそらく1000回を上回る数、あの事故のことを考えたろう。書いたのも、10回以上だと思う。生きていたから、考えたり書いたりできる。...
View Article0218 ダイビングの歴史 45 1954年事故追悼記念碑
小池康之氏撮影 1959ー3月に東京水産大学を卒業する。このダイビングの歴史もそれをなぞるのだが、その前に1954年の事故、その記念碑についてのその後を述べる。 小池康之先生から再度 記念碑についてメールをもらった。...
View Article0306 ダイビングの歴史46 1959 卒業
ここで、カバーにする写真がない。あとでまた探すことにして、とりあえず、そのころを象徴する写真。 セピア色だ。 勝鬨橋が開いている。万歳をしている。 停泊している船は、当時の水産大学の練習船、大中小、三隻あった、海鷹丸(大)、神鷹丸(中)、そして、はやぶさ丸(小)、これははやぶさ丸、そして、この船は、ビキニ環礁で放射能を浴びた第五福竜丸なのだ。残存放射能の実検のために練習船に使った?...
View Article0310 日本水中科学協会シンポジウム ①
茨城県立海洋高校のプール、水深10mにスキンダイビングで潜る。左手は水深5mで、石が積まれている。このプールは、ヘルメット式の潜水も教えることが目標になっていて、ヘルメット式で港湾工事の海底石積みの訓練をするための石である。 3月27日 日本水中科学協会シンポジウムずいぶん先のように感じていたのだが、押し迫ってきた。大きなプレッシャーになっている。...
View Article0311 日本水中科学協会 シンポジウム ②
東京海洋大学 潜水部 1年生、2年生、潜水部練習 3月27日 日本水中科学協会シンポジウムずいぶん先のように感じていたのだが、押し迫ってきた。大きなプレッシャーになっている。 やるべきことを整理して、アクセルを踏まないといけない。 ■日時:2022年3月27日(日)13:00~ ■会場:オンライン(Zoomウェビナー&YouTube Liveを予定)...
View Article0325 シンポジウム ③
2010年12月 第一回のシンポジウムです。船の科学館 オーロラホールで200名がおいでになりました。 下の写真は、今回のリハーサルを、PCで見たもの、司会は須賀潮美です。スモール放送局の様相です。 第11回ですから、10年の歳月が流れました。今後もオンライン、下の方式が続いて行きます。全国どこからでも発表ができ、今回も、沖縄、北海道からの発表があります。見るのも全国でPCで見られます。...
View Article0405 シンポジウムを終えて ①
シンポジウム 現場の写真は中川隆 撮影を使った。 シンポジウムが終了して、いくつかの感慨、いくつかの反省点、そして、たくさんの思いがある。全部、すべては書き残せないにしても、ブログ、記録の形で残しておこう。...
View Article0529入院中です。
一ヶ月半の入院で、そして、ここのWi-Fi環境が悪く、悪くしてある?ので、PCを持ち込んでも、何の役にも立たない。 幸いキングジムのデジタルメモが、テキストライターとっして、よくできていて、Wi-Fiがなくても使えるのでものを書くことができている。 ※デイルーム(面会室休憩室)に行けば、フリーWi-Fiがあるのだけれど、 とにかく、PCが使えないので、Blog...
View Article東京湾の風
東京湾の風 Jul 11, 2005 2005-6年頃に書いたブログが好きなので、リライトして出します。 写真に何の意味もありません。カットです。入院中で、ここに写真のファイルがないので、適当に選んでいます。 年をとると、早起きになる。3時に目覚めてしまったので、そのまま起き出して...
View Article0604 海へ!②
海へ! 2 ナン・マタールの呪い。 1979年 日本に帰ってきて、まじめに社長さんをやりはじめた。つまり、自分でなんでもやろうとせず、社員を活かす、働かす、営業努力をするということだ。...
View Article0606 海へ! ④ 小笠原と牟田先生
写真は小笠原ではありません。ミクロネシアのどこかです。ここ、入院先には、写真ファイルが来ていないので、適当です。 Oct 11, 2006 小笠原と牟田先生 中島敦の南洋通信を読むとも無く、読んでいた。好きなのだ。...
View Article06131.「海へ!⑤』 マイヨールは何故死んだ再び。2.水中結婚式。3.水中カラオケシステム
「海へ!」⑤ 入院中でも、ブログを途切れないように、2005~6年のブログのリライト+α で始めたのだが、これはこれでしばらく続けたい。 2005年 7月22日 1.マイヨールは何故死んだ再び。2.水中結婚式。3.水中カラオケシステム 茨城県立海洋高校で、水産高校と海洋高校の先生たちをスクーバダイビングの指導者にする講習の指導をしていた。2002年の8月中旬のことだ。...
View Article海へ⑥ 地中海のアカサンゴ採り。(60歳の100m潜水より)
地中海の赤サンゴ 関教授は、ある時期、サンゴの研究に集中していた。現在ではサンゴというとサンゴ礁を造る造礁サンゴのことを思ってしまうが、その昔はサンゴと言って庶民の思い浮かべるのは、「金銀珊瑚綾錦」と言われる宝石サンゴである。その宝石珊瑚の養殖の研究だ。...
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