Jul 11, 2005
2005-6年頃に書いたブログが好きなので、リライトして出します。
写真に何の意味もありません。カットです。入院中で、ここに写真のファイルがないので、適当に選んでいます。
年をとると、早起きになる。3時に目覚めてしまったので、そのまま起き出して 朝、4時、車に乗り、館山に向かって走り出す。初夏、と言ってもまだ梅雨だが、早朝の朝の空気が好きだ。9時までに館山に着けば良いのだから、時間が余りすぎだ。海の見えるところまで行ったら、寝ていよう。
途中から、雇う小舟の船頭に電話すれば良かったのだが、早すぎるので電話しなかった。館山に近づいてから電話をする。大風でとても潜れる状況ではないと言う。何時も天候には神経を使っているのだが、このところ、2月以降、館山は全部、潜れているので、ルーズになっていた。入梅の終わりの大風だろう。沖縄では、梅雨明けの大風を夏至の風(カーチバイ)と呼ぶ、強い南風が、10日も吹き続く。千葉県には夏至の風はないから、ただの不連続線の風だろう。それとも、なのある風かも知れないから、あとで調べて見よう。
とにかく、この風では、とても沖には出られない。
ところで、僕のお世話になっている船頭、網代さんというのだが、このあたりの船頭は、みんな定年退職後の趣味の漁業者ばかりだ。船頭と呼ぶのはどうもふさわしくない。船長と呼ぶのも、たかが船外機一つの小舟だから大げさすぎる。呼びかける時は、名前を呼ぶから良いのだが、こんな文章を書くときに困る。
※網代さんも亡くなってしまって、この漁区で舟を出してくれる人がいなくなってしまった。波左間の隣なのに、領域侵害はできないのだ。
「東京湾で魚を追う」1986年、11月刊 草思社
大野一敏、敏夫 著 加藤雅毅 編
大野一敏さんは、東京湾・船橋の巻き網漁の船頭で、三番瀬の保全運動などでも苦労された。僕とは、ニュースステーションの始まり(1985)に東京湾を取り上げた時に知り合った。以後、何度も巻き網漁を撮影させてもらった。私の http://homepage2.nifty.com/j-suga/ 「須賀次郎の潜水」にも、「video 日本の漁法」で小型巻き網漁 として紹介している。
※このホームページずいぶんとたくさん書いて、気に入っていたのだが、たくさん書いたのが徒になったのだろう。あるとき、NIFTYに消されてしまった。以来、NIFTYを憎んでいるけれど、別のプロバイダーにするのも面倒なので、NIFTYを使って、お金を取られている。重ね重ねNIFTYは憎い。ニクテイだ。
敏夫さんは、大野一敏さんのお父さんで、ニュースステーションの時(1985)には、もう現役ではなかったがお目にかかることができた。加藤雅毅さんはテレビ朝日の社員で、日本の沿岸漁業を紹介する本の編をいくつも手がけている。千葉県千倉の海女さん、田仲のよ さんの本も加藤さんが作った。
歳月は移り、敏夫さんも加藤さんも、故人である。
※一敏さんは、お元気のはずだが、巻き網船団は、一敏さんの息子さんが継いでいる。
さて、風の話だが、この加藤さんの本から書き出す。敏夫さんが語る形になっている。僕はこの語りが大好きで、前に書き出したのだが、無くなってしまい今度が二度目の書き出しだ。
「朝起きれば日の出の空を見て、今日は雨か風か、どっちから風が吹くか、こんどは夕日のころ。山の上の雲を見て、ああ、あそこはどういう風が吹いている、すると明日の天気はどうだ、商売しながらも顔を上げて空と雲を見る。自分は毎日、風というものを肌身で感じていました。和船では風が無ければできないウタセのような漁もあるが、天候を読み違えて沖出しして、シケでも食らえば船は木っ葉になって流される。タラセ(シーアンカー)を引いてしのぐしかない。自分が危険にさらされるわけで、風を読むのは漁師のイロハでしたね。
風を見るには山の上の雲で見るのがいい。なにしろ山というのは動かない。それから雲は風の上へは行かないで、ふわふわ風に押し流されていくから一目でもって風の強さや向きがわかる理屈です。ここで見る山は、まず富士山、茨城県の筑波山、ヤマゼ(南東方向)にある鋸南町の鹿野山、いまはどの山もスモッグで滅多にしか見えませんが、昔は日時で毎日出ていました。
風が吹いていると、雲の頭と尾っぽは箒ではいたようにながれていく。それが吹っ切っちゃうと富士山のてっぺんや肩に止まっちゃう。笠をかぶしたような笠雲になる。真っ白じゃなくて、たいてい黒いのがまじっている。これが次の天候の前兆になって、やがて雨かコチ(北東風)にかわる。土用の笠雲というと、向こうはビクッとも動かないのに,こっちは流しミナミで南西方向からの風が吹いている。富士山にまた風が当たり出すと雲が動く、すると一時たって、こっちの風の方向が変わってくる。
季節、季節で風には特徴があります。春は北東の風、夏は南東、秋は北西風、そして冬は南西から北西の間の風が強い。すこしくわしくいいますと、イナサ(東)は千葉の方向、ヤマゼ(南東)は鹿野山、木更津のほう、そしてミナミが湾口です。西へ回ってサガ(南西)が富士山の方向、サニシ(西)は東京、そしてサニシナライ(西北西)にナライ(北西)、それからマナライ(北)が湾奥の船橋です。東に回ってシモウサオゴチ(北北東)という風がある。それからコチ(北東)となります。
注:船で、沖に出たところから方向を見ている。
なんでこんなに細かく風の方位をわけていたかといえば、和船では風が命とりになるので、危険な風を区別していたわけです。
一番こわい風は冬の初めから春先にかけてのハヤテ(突風)で、逃げようがない。サガバヤテ、サガオロシ、富士オロシと富士山方向から吹きつけるハヤテ、また十二月の初めにくるサニシ、サニシナライの風。「サニシの八日吹き」といって、八日も十日も西が入れる。それからおっかないのが春のナライとミナミからの風、これも突風でくる。「二八の雲無し空に船出すな」で、二月の風はめくら風、空模様より早く風が入れてくる。沖で風につかまるのは漁師、なれていても嫌なもんで、綱笛、棹笛と言いますが、帆綱や積んである棹に風が当たると笛のようにピューピュー鳴る。一度なんかは大帆柱が根元から折れた。それほど強い風がきます。
雲がどんどん飛んでいれば風が見えるわけですが、晴天の日は要注意です。大風の前触れで裏風、ひっこみ風というのがある。ミナミがそよそよ吹いている。そのミナミを信じるととんだことで、ぱたっと止んで、その次に、本まもんのナライ、マナライがぐあーんと入れてくる。また風には回り風がある。コチがヤマゼ、ミナミに回ると大風が入れてくる。秋になるとヤマゼに注意する。「吹いたヤマゼが別れ風」といって、台風を背負ってくることがありました。
コチ雲、ナライ雲、サニシ雲、タチ雲(入道雲)タツ(竜巻)カンダチ(雷雨)そういう自然の動きにいつも注意していても、遭難騒ぎがよくありました。「西が曇れば雨となり、東が曇れば風となる」で、昔の漁師は自分、自分で天気予報をやっていたもんです。
これはもう詩だと思う。
東京湾では、と言うよりも、江戸湾では、風が吹いてくることを、風が入るという。
舘石昭さんの実家は館山の一つ手前、那古船形駅前の旅館、「舘石館」で、有名な釣り宿だった。舘石さんと二人で、館山湾のすべてのポイントに潜ろう、と、せっせと潜った。焼き玉の小舟で、ぼくらの専属船頭は、山立てのたしかな、政やんだった。
「早く上がらないとニシが入る(いる)ぞ。」館山で潜っていて、よく政やんに言われた。
東京湾のハヤテは本当に大変で、千葉県の試験船で潜っていて、ハヤテが来るぞと、保田から館山に戻ろうとして、間に合わず、大房岬をかわすのに冷や汗をかいたことがある。僕だけ、ドライスーツを脱がないで、フィンも履いたまま、甲板にいた。自分だけは助かるつもり、船が転覆しても、岸まで泳ぐつもり。その日、20隻以上の釣り船が沈没した。
※那古船形駅前の舘石館は、消え、舘石さんもいなくなり、マリンダイビングも雑誌では消滅した。
世界の風も有名な風には名前がある。直ぐに頭に浮かぶのが、シロッコ、ミストラル、これは地中海の突風だ。ミストラルはレギュレーターの名前になっている。一段減圧のダブルホースで、僕が一番好きなレギュレーターだった。残念なことに日本の規則で、一段減圧は売れない。海上自衛隊が治外法権で、これを使っていた。
ベルグズインは、バイカル湖に吹く突風だ。バイカル湖で撮影していたとき、この風が吹かないように、神様にお祈りをしたので覚えている。ロシアでは、お賽銭を水に投げ込む。お祈りをして、背中越しに後ろに投げるのだ。
最近、自然との一体感が無くなっていて、風を読み、潮を読む習慣が無くなっている。だから、館山まで出てきて、波を眺めることになる。
前には、市原のサービスエリアで船頭に電話をして波を確認した。「今日は吹いているよ」と言われて中止にして、あとで聞いたら、あの日は凪だったと言われた。日本沿岸の多くでは、だいたいのところ、朝は凪で、午後から吹いてくる風が多いのだが、館山では、午後から風が止むことが多い。とにかく、現場まで行かなければ局地的な風と波はわからない。だから現場まで出てくるのだが、それにしても、風を読み、潮を読むことに集中心が無くなっている。
現場に出て、おまえは、ヤマゼとミナミを確実に区別出来るかと言われると首をかしげてしまう。