1958年の人工魚礁調査、危機一髪、以来、何度となく、おそらく1000回を上回る数、あの事故のことを考えたろう。書いたのも、10回以上だと思う。生きていたから、考えたり書いたりできる。
ダイビングの道具もずいぶん変わった。しかし、基本的なことは変わっていない。スクーバダイビングは自分が持っている空気が無くなる前に水面に戻らなければ生命を失う。そして、ダイビングの安全について、答えのほとんどすべては、私が初めて人工魚礁を撮影しようとして、エア切れを起した昭和33年の人工魚礁調査の中にあった。 調査のためのダイビング、リサーチ・ダイビングについて、危険の種は三つある。 ①義務感・使命感、:目的・目標に対する執着、モチベーションと呼んでも良い。 ②運用方法の誤り: 知識・経験の不足 ③フィジカルな条件:身体的な技術の未熟、体調、健康状態
まず①目標目的に対する執着が強すぎるための危険。 1958年、戻りながら魚礁を見つけたとき、そのまま浮上して船に上がり、そのことを伝えれば良かった。ただそれだけのことだった。 言い訳をすれば、空気が無制限に得られる今ならば、ためらわずそのまま浮上できただろう。しかし、あの時代には、空気を充填したタンクを木枠で荷造りして送らなければならなかった。空気の一呼吸ずつが貴重だった。しかも残圧計は無い。 ダイビングが危険なのではなくて、強いモチベーションが危険なのだ。といって、強いモチベーションを持たなければ、何事も出来ない。 要はバランス感覚なのだ。宇野先生は良く、「ダイビングは、Sense of puropotion だよ」といっておられたが、とんでもない弟子を持ってしまった。 こんなジンクスがあった。「大学出身の作業ダイバーの二年目のシーズンに事故が集中する。」まじめで仕事熱心な若いダイバーは、強いモチベーションを持ち危険に突き進んでしまう。逃げるずる賢さがない。仕事に責任を持たされ始める、2年目があぶない。単なるジンクスではなく、あれも、これも、そして、自分の痛恨の事故、1990年の脇水の事故も、大学卒2年目だった。
次の②運用方法の誤り: 知識・経験の不足 大学4年生の時の人工魚礁調査では、運用方法に決定的な誤りがあった。 運用よりも、オペレーションと言う言葉の方が現代的かもしれないが、「海での仕事(海事と呼んでも良い)の成否の80%までは、運用の巧拙にかかっている。」と昔から言われている。 あの時の運用で決定的に間違っていたのは、アンカーロープを伝わって潜降したことだ。
現在(1970年以降)行っている人工魚礁調査では、まず船上から魚群探知機を使って探索しながら魚礁の上を縦横に走る。探知機の反応で魚礁の中心らしいところを見つけたら、仮のブイを入れる。大きな石(3キロほどの鉛でも良い)に径が十ミリほどの細引きロープを結びつけ、ロープの端に丸い浮子をつけたものを目印に入れる。ロープの長さは、測定した水深の10%増しぐらいにする。長くしすぎては、魚礁の位置と浮子の位置が大きく違ってしまう。短すぎると、流されやすい。仮のブイを目当てにして、さらに魚群探知機を使って探査して、どこが魚礁の本当の中心であるかを調べる。そして、潜りたい位置、魚礁の中心付近に、本格的なブイを入れる。これには、後でダイバーが手繰っても容易には引き揚げられないほどの重さが必要である。10キロほどの鉛を付ければ、ダイバーが二人でつかまっても浮いてくるようなことはない。10キロ以上の鉛をつけると、後で引き上げるときに苦労する。漁船の場合、たいていはアンカーを揚げるための巻き上げドラムを持っているが、これが無いと人力で揚げなければならなくなる。ダイバーが浮上してすぐにロープの引き上げなどの労働をすると、肩や肘に減圧症を発症する可能性が高い。 スガ・マリンメカニックでも、このために、一人が腕の減圧症になり、入院して加圧治療した。ダイバーがブイ打ち、ブイ引き揚げ作業をしてはいけない。
浮子には旗や,布切れをつけた長さ二メートルほどの棹を付けておき、繰り返し同じ場所に来る時の目印とする。このような棹をつけた浮子をボンデン(もしくはボンテン)と呼ぶ。このボンデンからは、ほぼ垂直に海底にロープが立っているはずであり、このロープをたどって潜降してゆく。この垂直に立ったロープを潜降索とも呼ぶ。 潜降索を目標の人工魚礁の中心に下ろし、これを伝わって潜降すれば、どんなに濁っていても、目標の人工魚礁を見逃してしまうようなことはない。 このように目標物の直上に索を下ろし、水面で目標物の位置がわかる浮子を付けることを、海上自衛隊などでは直上設標と呼び、漁業の方では,ボンデン打ちと呼ばれる。かんじんなことは、ロープが垂直に近く立つように,ロープの長さを設定することである。漁師は、錘を投げ入れておいて、錘が海底につくまでロープを手に持っていて、海底についた手ごたえがあったならばその部分でコイルに巻いておいた余分のロープを手早くくくって、それ以上は伸びないようにして浮標を投げ入れる。これが、手早く出来れば、水深に対して五メートル以下、手がのろくても十メートルぐらい余分に長いだけで設標ができる。もちろん、ロープの長さを最初から測っておいても良い。 漁師は尋(ひろ)という長さの単位を使う。 尋とは、日本の古い伝統的な単位で、1尋は五尺(1.515m)で、だいたいのところで、両手を広げた手先から反対側の手先までの長さに相当する。深さが十尋であれば、十回手を広げれば、手早くロープの長さを決められる。漁師は海底に網を入れるときのボンデン打ちを日常にしているわけだから、メートル単位ではなく、尋単位の方が使い勝手が良い。 海底から垂直にロープが立っていると、もしも流れが速いとロープが斜めになり、浮きが沈んでしまう。旗をつけた棹が取り付けられているボンデンならば、浮きが沈んでも旗だけが水面に出ているはずである。旗までが沈んでしまうような強い潮流であれば、「潮が速くて仕事にならない」と言うことになる。 学生の時の人工魚礁調査で、手伝ってくれた漁船は、網の漁もするはずだから、頼めばボンデンを打ってもくれたはずだった。網を使う漁師はボンデン打ちのプロだ。アンカーは、魚礁にかかってしまうと揚げられないこともある。人工魚礁の調査では、ボンデンを入れればアンカーを打つ必要が無い。ボンデンを入れてダイバーを降ろし、潜降索に沿ってダイバーが潜降するのを見とどけたら、船はボンデンの付近を見張って流していればよい。ダイバーはボンデンの位置に浮上してくるから、ダイバーが上がったら接近してダイバーを収容すればよい。1957年、こんなに単純な運用の要領を水産大学の先生と、生徒二人がそろっていて知らなかったのだ。 ボンデンを入れて潜水する。これは、レクリエーションのボートダイビングでも重要である。作業や調査だけが海事ではない。レクリェーションダイビングも海事である。運用が悪ければたちまち危険に陥る。 初心者のスキル講座とかの欄で、ボートダイビングではアンカーロープを伝わって潜降することが普通と述べられている。ボンデンを入れる潜降の方法はほとんど述べられていない。初心者が潜水できるような安全な水域に限るならば、アンカーロープを伝わって潜降しても、事故が起こる可能性は少ないのかもしれない。しかし、アンカーロープを使う潜降が慣わしになって、より難しい潜水をアンカーロープで潜降する方法で行うと危ない。アンカーロープを伝わって潜降させたために何人かのダイバーが死んだ死亡事故の例がある。 アンカーは船を海上に確実に停止させることを目的としている。水深の二倍から三倍の長さのロープを繰り出してやらなければ、船は留まっていられない。これを伝わって潜降するダイバーは、水深の二倍から三倍の距離を往復しなければならない。空気の量に限りのあるスクーバでは、アンカーロープで降りる方法は、余分な空気の消費でもあるし、体力の消耗にもなる。 船は、水面を流れる潮流や、波、そして風によって押し流される。アンカーが外れてしまって船が流れる心配はいつでもある。 また、ダイバーが潮に流されるような事態が起こった時や船から離れた位置で溺れかけているとき、アンカーを入れて停止している船は直ちに救助に向かえない。複数のグループが同時に潜水しているとき、一つのグループの救助のためにアンカーを上げてしまうと、アンカーロープを伝わって戻ろうと予定していたダイバーはよりどころを失ってしまう。これも事故例がある。 減圧症防止のためにアンカーロープにつかまって減圧停止をしようと予定していたダイバーにとっては、重大な危機になる。 風と流れによって、アンカーが海底からはずれてしまった場合にも事故が起こる。 ダイビングリゾートなどでは、あらかじめポイントに半恒久的に設置してあるブイにボートを止めて、このブイを潜降索として潜ることが多いので、アンカーロープにつかまって潜ることは少なくなっている。この半恒久的なブイをアンカーと呼ぶのは、言い間違いである。
最後の一つとして、③フィジカルな条件 :身体的な技術不足、健康状態がある。これについては、別の例で述べるが、原因不明の多くが、これであろう。
この①②③三つのどれもが、重要でありどれにまちがいがあっても危険な事態に陥る可能性があるが。三つのうちの二つが重なって起きれば、死亡事故になる可能性が大きい。 昭和33年の人工魚礁調査では、アンカーロープを伝わって潜ったという運用のまちがい、思い止まれない強いモチベーション、①と②二つが重なったために死亡事故になりかねない事態になったが、③私の個人技と身体的な技術能力、スキンダイビング能力が十分であったために大事を免れた。
しかし、このことが、後で、スキンダイビング能力への過剰な信頼と、ハードな練習を強いるプログラムを作ることに繋がった。ハードな練習による死亡事故も起こり、自分とは直接関係がなかったが、ハードな練習を提唱していたので、責任を感じた。 まとめとして、視点を変えて、事故の原因について述べて置く 事故の原因は、病気、下手くそ、思い上がり とする。 この三つが、単独で、あるいは絡み合って事故がおこる。 病気とは、フィジカルな条件、状態のすべてを言う。 下手くそとは、技術的な間違い、運用の間違い、考え方の間違いのすべてを言う。アンカーとボンデンのことも、この分野に入れられる。 最後に、そして最も恐ろしいのは、思い上がりである。 1958年の事故は、自分の思い上がりが主要な原因である。懲りたはずであり、それには、十二分に注意していたつもりだが、30数年後1990年、自分の経営していたスガ・マリンメカニックは、自分たちは無敵だ。不死身のチームだと思ってしまう。そんなこと、口に出して言うことは無いが、空気がそうなっていた。そして、致命的な事故が起こる。 その事故の時、自分は現場にいなかったが、空気についての責任は、経営者にある。
ついでに、事故について、もうひとつ、目的、目標をもつリサーチ・ダイビングのような行動と、特に目的目標をもたない、遊び、との危険度についての比較だが、遊びで、楽しみのために潜るので安全だと思ったり、口にしたりする。目的、目標をもたないとすれば、目的・目標をコントロールすることもできない。何をしているのかわからないことも多い。現在、学生の指導にリサーチ・ダイビングを推奨しているのは、目的、目標を明確にさせるためだ。 「安全に遊ぶことを目的にしています」と聞くと、「危ないな」と思う。目的が遊びであっても、何を、どうする、どこまでやるのかの目標を明確にしていないといけない。なお、危ないなと思うことが、安全のはじまりだ。
※「ダイビングの歴史」として、ここで、このようなまとめ的なことを書くのは、流としては適切ではない、と迷ったし、同じことを何度も書くことにもなるが、単行本になれば、前のページを見ることもできるが、ブログ、ネットではできない。そして、そのことこそが、リフェレンスして見てもらえることが単行本にする目的の一つなのだが、本ではなく、ブログなので、流れがとぎれても、分析的なことも、ここに書いておく。なお、ダイビングの歴史としたが、安全こそが最大のテーマなので、第二部では、事故の歴史を設けて、安全についての考えからの推移を見て行きつつ、安全を追及するノンフィクションになるだろう。