爆破が成功した後、沖に泳ぎでて、列を作って待っていると高速の上陸用舟艇がくる。ゴムボートが舷側にもやいであり、輪のような、ロープにゴム製の緩衝カバーを着けたもので、腕を引っかけるようにして、ゴムボートに跳ね上がる。これは、実話だが、かなり難しい技だ。上陸作戦でのUDTの損耗率は、40%であったというから、半端ではない。 アメリカ人というのは、戦争でも、冒険的な、バカなことをやる者がいて、そういうのがUDTになったのだろうが、砂浜に、海兵隊ウエルカムの横断旗を設置する。これは実話らしく、「人間魚」にも書かれていた。「バカなことをやめるように」という指令が出された記録があるらしい。
映画では、このエピソードも使っていて、準主役のロバート・ワグナーは、これで、撃たれて危ない眼にあう。 日本の伏龍特攻とは、だいぶちがう。いや、伏龍も古参の下士官は、アワビやイセエビとりに励んでいたという話もある。
右は、タンクを着けているフロッグマン
作り話だ。
フロッグメンを日本の潜水兵が迎え撃つとどうなるだろう。映画、フロッグメンの二つ目の潜水はそういう想定だ。しかし、このエピソードは、ありえないでたらめな話だ。まず、3本組のタンクのアクアラングを使って潜っている。太平洋戦争は1945年におわっているが、アクアラングができるのは、1945年よりも後だ。(クストーのプロトタイプは1943) 映画では、フロッグメンは、潜水艦に乗り移り、潜水艦が港の中に忍び込む為にじゃまをしている防潜網を切断、切り開くのだが、それを日本の潜水兵が迎え撃つ。日本の潜水兵は、伏龍で、歩く潜水だが、映画では、イタリーのフロッグメンがつかっていたようなオキシラングのような潜水器を使っている。つまり、アメリカはアクアラング、日独伊はリブリーザというくくりになっている。 まあ、あんまり力を入れた大作ではなくて、二流、三流の映画だけど、製作した1950年にこれだけのものをつくったのは、それなりに大したものではある。フェインさんの「人間魚」では、UDTがアクアラングをテストしたのは、1949年だという。それを1951年の映画でこれだけ使いこなしている。 なおフェインさんの「人間魚」では、UDTのメンバーたちは、フロッグメンと呼ばれるのを嫌っていたとか。UDTという名前に誇りをもっていたのだろう。 ※「人間魚」は、UDTの事始めと、戦闘につい書かれた本で、著者のダグラス・フェインさんは、UDTの創立者の一人で、戦後、日本の三浦三崎に住んで居られた。訳者は佐々木忠義先生と言うことになっているが、訳文がめちゃくちゃで、日本語になっていない。しかし、資料としては一級品だ。
ハワイ・ファイブ・オーでおなじみになったシールズSEALsは、UDT が、発展したものである。