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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0217 ダイビングの歴史 フロッグマン(映画)

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 ダイビングの歴史の資料として、印刷物(本、配布された資料)自分が書いた、記録したもの、そして、映像、映画を取り上げて使っている。映画も、これまで、「青い大陸」「沈黙の世界」を取り上げてきた。その節に、リチャード・ウィドマーク主演の映画「フロッグメン」のことを書いた。前に劇場で見たのだが、資料として持ってはいないと書いたら、沖縄の村田幸雄さんがDVDを送ってくださった。お礼を申し上げるとともに、ここで、別枠で取り上げる。 ネットで調べると、主演のリチャード・ウィドマーク Richard Weedt Widmark 1914-2008は、代表作は、自分が見た映画としては、「情け無用の街」で、ニヒルなイメージの個性的なスターである。映画:フロッグメン the Frogmen は、1951、日本にアクアラングが来た、紹介されたのは1953年として、その2年前、アメリカでは、USダイバーが創業した年である。僕は高校生であり、映画館でこの映画を見た。見たことは間違いないのだが、村田さんから、もらって見て、驚いた。自分が見た記憶では、カラー作品だったのに、モノクロだ。公開された映画もモノクロだったとすれば、人の記憶などあてにならないものだ。 映画は太平洋戦争、攻め寄せるアメリカ軍が日本をやっつける話だ。二つの潜水戦闘ストーリーがあり、前半のは、南の島、どこかわからないが、椰子の生えている島だ。上陸をじゃまするように、障害物が浅瀬に設置されている。上陸用の舟艇が、これに乗り上げて、日本軍の砲撃で大きな損害をだす。「人間魚」でタラワの例をすでに述べているが、映画もこの部分は、史実に近いようだ。スキンダイビングで、チャンピオンのようなフィンを履き、海岸に日本軍が作った、上陸舟艇を妨害する障害物を爆破する。
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              「人間魚」より
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            「人間魚」より。飛び込みシーン
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              映画の飛び込み(エントリー)シーン
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             映画 ピックアップ シーン



 爆破が成功した後、沖に泳ぎでて、列を作って待っていると高速の上陸用舟艇がくる。ゴムボートが舷側にもやいであり、輪のような、ロープにゴム製の緩衝カバーを着けたもので、腕を引っかけるようにして、ゴムボートに跳ね上がる。これは、実話だが、かなり難しい技だ。上陸作戦でのUDTの損耗率は、40%であったというから、半端ではない。 アメリカ人というのは、戦争でも、冒険的な、バカなことをやる者がいて、そういうのがUDTになったのだろうが、砂浜に、海兵隊ウエルカムの横断旗を設置する。これは実話らしく、「人間魚」にも書かれていた。「バカなことをやめるように」という指令が出された記録があるらしい。
  映画では、このエピソードも使っていて、準主役のロバート・ワグナーは、これで、撃たれて危ない眼にあう。 日本の伏龍特攻とは、だいぶちがう。いや、伏龍も古参の下士官は、アワビやイセエビとりに励んでいたという話もある。
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            映画より、左はオキシラングを着けて戦う日本兵
            右は、タンクを着けているフロッグマン
            作り話だ。


 フロッグメンを日本の潜水兵が迎え撃つとどうなるだろう。映画、フロッグメンの二つ目の潜水はそういう想定だ。しかし、このエピソードは、ありえないでたらめな話だ。まず、3本組のタンクのアクアラングを使って潜っている。太平洋戦争は1945年におわっているが、アクアラングができるのは、1945年よりも後だ。(クストーのプロトタイプは1943) 映画では、フロッグメンは、潜水艦に乗り移り、潜水艦が港の中に忍び込む為にじゃまをしている防潜網を切断、切り開くのだが、それを日本の潜水兵が迎え撃つ。日本の潜水兵は、伏龍で、歩く潜水だが、映画では、イタリーのフロッグメンがつかっていたようなオキシラングのような潜水器を使っている。つまり、アメリカはアクアラング、日独伊はリブリーザというくくりになっている。   まあ、あんまり力を入れた大作ではなくて、二流、三流の映画だけど、製作した1950年にこれだけのものをつくったのは、それなりに大したものではある。フェインさんの「人間魚」では、UDTがアクアラングをテストしたのは、1949年だという。それを1951年の映画でこれだけ使いこなしている。 なおフェインさんの「人間魚」では、UDTのメンバーたちは、フロッグメンと呼ばれるのを嫌っていたとか。UDTという名前に誇りをもっていたのだろう。 ※「人間魚」は、UDTの事始めと、戦闘につい書かれた本で、著者のダグラス・フェインさんは、UDTの創立者の一人で、戦後、日本の三浦三崎に住んで居られた。訳者は佐々木忠義先生と言うことになっているが、訳文がめちゃくちゃで、日本語になっていない。しかし、資料としては一級品だ。
  ハワイ・ファイブ・オーでおなじみになったシールズSEALsは、UDT が、発展したものである。

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