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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0218 ダイビングの歴史 45 1954年事故追悼記念碑

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小池康之氏撮影 
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 1959ー3月に東京水産大学を卒業する。このダイビングの歴史もそれをなぞるのだが、その前に1954年の事故、その記念碑についてのその後を述べる。



 小池康之先生から再度 記念碑についてメールをもらった。
 小池先生とは、昭和47年1972年に共著で「水中写真の撮影」を書いた。「水中写真の撮影」は、1970年代の水中撮影のすべてを書いたもので、名著だと自負している。当時、先生は宇野教室の研究生だったが、すでに写真撮影、水中撮影については実績を残しており、水中の科学的写真のライブラリーも作っておられた。
 やがて、フランスに留学、そのまま研究者としてフランスにとどまり、フランス、大西洋岸のアワビの増殖に功績があり、後にフランスの勲章、叙勲を受けた。宇野先生も同様にフランスから叙勲を受けているが、先生の勲章よりも、上の勲章だとか聞いたが、勲章の名前はよくわからない。
 今は、こんな他人行儀な書き方をしているが、本を一緒に書いた時には、楽しく兄弟付き合いをしていた。
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 最後に小池先生と仕事、一緒に潜水したのは、2008年に伊戸のイセエビ礁にフランスの国営テレビの取材撮影だった。現在、伊戸は、鮫の餌付けで、国際的に有名なダイビングスポットになっているが、そのダイビングサービスができる前のことである。フランスからレポーターとして来た研究者が、スキンダイビングにこだわりがあり、スクーバのタンクがいくらでも使えるのに、スキンダイビングで潜った。
 そのイセエビ礁も小池先生が研究してつくったものであり、イセエビがあふれていた。
 その時の映像は、https://www.youtube.com/watch?v=RWBmk6beWvs で見られる。 
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 さて、記念碑についていただいたメールだが、以下である。


 須賀さんと2018年暮れにこの件につきメールを交換した後、私自身も気になっておりましたので2020年12月に大学に出向き、現在の実験実習場長(現在はセンター長)の吉崎悟郎先生(旧育成学科出身)に会い、この件をお話ししました。


大学が合併したとはいえ、この慰霊碑がミュージアムの収蔵庫に保管されたままでは建造された同級生の皆さんの意図がどこにも伝わらない状態なので、しかるべき箇所に再度展示するよう善処していただきたいとお願いしました。
吉埼先生はこの意図をすぐご理解され、ミュージアムの館長と相談の上、再度玄関ホールに設置したと連絡をいただきました。
その後大学に出向いた折に確認して参りましたが、像は、玄関ホールの入り口付近の見やすい場所に展示されておりました。写真を添付しますのでご覧ください。
吉崎先生は、坂田で私から「潜水調査実習」を受講された経緯がありますので、事情をご存知でした。


 実は、坂田移転後の潜水実習は旧増殖学科から離れて坂田実習場専属の実習に変更され、主任教官は私が拝命しました。
 山川先生と大葉先生にもサブの指導教官をお願いして3人体制を取り、さらに潜水部OBを2名助手として雇いました。名称も「潜水調査実習」に変えました。
お陰様で宇野先生から引き継いだ潜水実習を退職まで25年間無事に継続することが出来ました。


 坂田においても「この事故のいきさつを学生 に説明し、実習の最後には海難の守り神である洲崎神社を詣でて先輩方の「追悼」を行いました。
また、実習中に小湊の豊かな磯を学生に見せるため遠征しましたが、潜水後に潜水台の上で同様に「追悼」を行って参りました。


 なお、小湊実験場の閉所式当日は、当時の実験実習場長であった小池篤教授および全参列者とともに潜水台において当時の天野学長によって「般若心経が」犠牲者に捧げられたことを追記させていただきます。
潜水実習の監視に「サジッタ」が不可欠」であったとのことですが、坂田での実習では宇野先生からの轍を踏襲し、移転した櫓こぎの「サジッタ」と新造した12人乗りのグラスファイバーボート(サジッタⅡ)の二隻を使いました。
坂田での「潜水調査実習」は前浜を使い、ビーチから50mのロープラインを3本沖合(水深約7m)に向けて繋ぎ、50mごとにアンカーとブイを設置するとともに「サジッタ」を浮かべて技官さんと私が乗り、潜水者の泡を追うワッチ体制を取りました。


 また実習後半には沖合の水深13mの魚礁(須賀さんが沈設を担当して下さった)でサジッタ二隻によるボートダイビングを行いました。
調査中は潜水部OBもタンクを背負って同時に潜水し受講生のワッチをしてもらいました。


以上がメールの抄録だが、自分の記憶とは、若干違う部分もあるが、ブログに書いてみてもらうことで、友人知己、あるいは、ダイビングの歴史に関心のある方から、新しい情報、あるいは修正の情報をいただいている。本にする前に、ブログに書いておくこと、必要なことなのだ。
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 なお、自分は度々海洋大学に行くのだが、「マリン・サイエンス・ミュージアム」に入ったのは、あの忘れもしない2011年3月11日、東北大震災の時だった。次に行くときには、必ず、見に行こう。その時には、潜水部の現役後輩と行くようにアレンジしたい。
 そんなことで、ここに掲載した、記念碑の写真は、すべて小池先生の撮ったものである。
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  東京海洋大学において、スクーバダイビングとは、特別なものだと思う。そして、そのスクーバダイビングを研究のために生かすことも、そのことをこの記念碑は語っている。 そして、  現在潜水調査実習は中断されている。





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