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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0405 シンポジウムを終えて ①

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     シンポジウム 現場の写真は中川隆 撮影を使った。


 シンポジウムが終了して、いくつかの感慨、いくつかの反省点、そして、たくさんの思いがある。全部、すべては書き残せないにしても、ブログ、記録の形で残しておこう。
 まずは、いっしょにやってくれた、中尾先生、はじめ、日本水中科学協会の実行委員会、応援してくれたみなさまに、本当に、儀礼的な意味ではなくて、お礼を言いたい。というと、自分が、自分がやり遂げて、みんなが応援してくれたように聞こえてしまうので、いやなのだが、いっしょに一つの目標に向かって、無報酬で努力を傾けた。「いっしょに」という言葉がぴたりする。年老いて、ごろごろ、するだけの自分である。はがゆかったが、それはそれで、良しといえるほど、みんなの、それぞれのシンポジウムであった。それぞれに収穫、得るものがあった。その中で、娘の潮美が、リーダーシップをとって、まとめあげてくれた。性格は、全く違う。心の底はわからないが、表面的な意見は全く違う。自分とちがい、冷静で、的確、に見える判断をいつも下す。老いた自分は、従っている。と、謙遜する。向こうには向こうの意見があるだろう。
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 さて、シンポジウムの内容だが現時点で発信したいことは、80%発信でき、届けたいと願ったところの60%には届けられた。綜合的には90点、大成功の部類に入れられる。オンラインの効用である。しかし、オンラインという手段を受け入れない方もいるし、時間的に参加出来ない方もおいでだったろう。
 この手段の良いところは、記録を後から配信できることだ。前回、のシンポジウムも良かったのだが、出演、登壇者のプライバシーの問題もあり、自分が思うような記録配信ができなかった。今回は、しつこく、これができるようにと言い続けたので、多分出来るだろう。お知らせするので、ぜひ見てください。
 もちろん、活字の報告も4月いっぱいが原稿締切なので、がんばる。
 
 そして、内容なのだが、三部構成になっていて、第一部は水産・海洋高校の発表、第二部が日本水中科学協会のフィールドワーク、会員メンバーの活動、研究成果の発表、第三部では、大学の部活動の発表。この構成は今後も維持継続していって良いのではないかと思う。自分の信条は継続こそが力であり成長であり、たとえ拙くても継続は人を納得、うまく行けば感動させることができる。このシンポジウムで、前回、第10回で、おぼろげながら見え、第11回で継続するスタイルをつかむことができた。


 その第一部をアレンジしてくれたのは、東京水産大学、現、東京海洋大学の潜水部第43期の主将だった小坂君だ。この主将という言葉、表現、なんかちがうのでは、その辺に第三部の大学部活動の改革点があるのでは、と思ったりする。ちなみに、第二部で発表してくれて、今後も、この位置で、毎年の成果を発表してもらいたいと思う東大海洋調査探検部では、ちょっとちがう。それについては、別にのべるが、とにかく、第43期、1999~2000 年の中心だった小坂君である。
 この第一部、リハーサルをやった時には、あんまり面白くないのではないか、と思った。各高校の紹介PP、先生の紋切り型の説明?
 しかし、講演は最高だった。まったく退屈しない。それぞれの学校の特色も個性的だし、まったく別のキャラクターの先生、なぜ面白いのかというと、それぞれ、その地域と密接にかかわり合い、地域振興の力になろうとし、それに役立つ人材を養成して地域に送り出そうとしている。ダイビング教育のプログラムもそれぞれだ。そして、それぞれ、冒険し、奮闘している物語だ。
 水産高校、海洋高校は、練習船、ダイビング訓練プールなど施設とその維持にお金がかかる。その割には生徒数が少ない。大学進学を目指す高校に生徒がながれ、どちらかと言えば問題のある子が、入学してくる,いわゆる教育困難校であった。そこで、これだけの実績をおさめることができたのだ。たいへんなことだと思う。そして、地域についても、相応な実績を残して来た。もちろん、成功ばかりではなく、それぞれ、存続の危機もあった。進学校との合併、商業も農業もの綜合高等学校になったところもある。その中でのダイビング教育、今後、日本水中科学協会のシンポジウム第一部として、応援して行きたい。
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 発表してくれた、茨城県立海洋高等学校は、1990年に潜水訓練プールができ、そのプールで1991年から高校の先生たちにダイビングを教えはじめ、以後、夏の何日から那珂湊に行って、このプールに通っていたという思い出深い場所、高校である。
 潜水訓練プールは、那珂湊水産高校の教員だった(後に校長)岡部礼二先生が、鹿島港の建設にからめて、水中工事のために潜水士養成を目標とする教育の企画として提案したら、通ってしまって驚いたと語っておられた。そのため、プールは港湾工事の石均しの訓練用の大きな均し石が水深5mに置かれている。水深は、この石がある5mと3m、一番深い10m、そして、通常の水泳プールの水深1,5mと四つの水深を持つ26mプールで、ダイビング関係者には夢のプールである。屋内プールであり温水にできる。
 港湾工事のためのヘルメット式の訓練がその目標であったが、このプールを使って、水産高校でのスクーバの訓練を推進したのは、当時文科省におられた、中谷三男先生だった。そして、1988年より、生涯スポーツの指導を司っていた社会スポーツセンターに話が持ち込まれ、生涯スポーツの指導者養成を担当していた僕がそれに飛びつき、JUDF,JP,ADS、JAPAN・CMASなどと語らって講習会を実施した。以来、社会スポーツセンターが、このお世話をしていて、テキストの執筆なども担当してきたが、この3月31日に、社会スポーツセンターは、多摩スポーツセンターというスポーツ施設の運営で、経営が行われていて、コロナによる施設利用者の減少と施設の老朽かのため、幕を閉じることになり、以後、高校のお世話は、DAN・Japanが行うことになった。そのタイミングを意識したことでは全くなかったのだが、このシンポジウム第一部が水産・海洋高校の特集となった。
 茨城県立海洋高校についてお話をしてくれた矢沢昴也先生は、僕が茨城海洋高校で夏を過ごしていたころの記憶になかったのだが、覚えていてくださった。多分、ご一緒に泳いだことがあるのだ。これを機会に、もう一度、でも、二度でも、那珂湊のプールを使う企画をしたい。どこまで、生きられるか微妙だが、企画は残して行きたい。
 なお、水産・海洋高校のダイビング教育を推進された中谷三男氏は、つい昨年、亡くなられてしまった。このシンポジウムにも何度も足を運んでいただいていたのに、これに間に合わなかった。もっと早くやればよかった。この特集の企画は、僕ではなくて潮美だったのだが、録画した報告を中谷先生の墓前に捧げたい。


 次の報告、といっても順序は発表の順とは変えてしまっているが、新潟県立海洋高校の金子善昴先生、こここプールは茨城海洋とほぼ同じで、発表した映像には、フルフェースマスクを使っての、フーカー潜水での石均し練習がでてきた。港湾工事では、今でもダイバー、人間の手で、人間の手の力で石を動かす石均しが重要であり、これはヘルメット式潜水器を使うダイバーの職人仕事である。それをフーカーに変えて行かなくてはならない。ヘルメット式の場合、潜水服にに空気を入れて、その浮力で石を持ち上げることができるが、フーカーでは、それが出来ない。すいめんに浮かべた潜水船のウインチで巻き上げて動かす。これもなかなかの技で、この練習は、種市高校、これは、半ば潜水の専門学校であるが、これに近い教育をおこなっている。冬の日本海の荒波を防ぐ防波堤の研究なども発表された。
 続いて発表の沖縄水産高校と宮古の水産高校、発表する寺崎雄太先生が、両方の高校に勤務したキャリアがあるので、両方について、発表された。沖縄の高校には、深い水深の潜水訓練プールはない。プールは普通の競泳プールだけである。代わりというわけではないが、美しい珊瑚礁の海がある。潜水教育の目標も当然、レクリェーションとか、リサーチになる。海洋サイエンス科マリンスポーツ類型というタイトルになっている。レクリェーションについては、インストラクターになるための専門学校がある。尾道にある、マリンテクノ(日本海洋技術専門学校)がそれで、以前には横須賀にYMCA海洋技術専門学校、東京の荻窪にエムテス(東京航空工業専門学校)などがあった。レクリェーションのインストラクターは、ご存じのように、ダイビングショップで、PADIやNAUIなどのコースディレクターの指導でなることができる。専門学校は当然成り立ちにくい。残っているのは、尾道のエムテスだけだと思う。このことに正否、どうあるべきかについては、さまざまな議論がある。いくつかの道程を経て、こうなった。こうなった姿を肯定し、それをよりよくしていかなくてはならないのが世間、ダイビング業界なのであるが、水産・海洋高校もインストラクターを育てるルートの一つになっている。卒業生がダイビングショップに就職し、ガイドダイバー、インストラクターになる例は多い。


 現在の日本では、職業教育をめざしている高校よりも、進学を目指す生徒が圧倒的に多い。職業教育を目指す高校は、統合され、よほどの理由がないと存続が難しい。それが、水産・海洋高校のジレンマであり、同時に、水産業、港湾工事業の後継者難に繋がる。日本が海に囲まれた海洋国家であるとすれば、真剣に考えて行かなくてはならない。水産高校、海洋高校から、大学へ進学の道ももちろんある。身近には、伊豆大島にある海洋高校で潜水を習い、中央大学のダイビングクラブで活躍し、アジア海洋作業に就職した八木沢君がいる。八木沢君は、タバタの川端潮音と結婚して、潮音は、八木沢潮音になり、福岡に行ってしまったが、可愛がっていた二人の結婚だから、めでたい。


 水産高校の統廃合の渦に巻き込まれたのが、若狭高校の小坂先生で、発表は、先頭であったが、最後に取り上げることになった。小坂先生は、海洋大学潜水部、当時は水産大学潜水部第43期の部長で、これは、第三部の大学のダイビング部活動に繋がる。
 海洋大学潜水部は67年前に僕たちが創立した。以来、着かづ、離れずであったが、その40期から、50期ぐらいまでは、自分の仕事に余裕ができて、密接に指導した、指導したというよりも、親密に遊んでもたったという方が適切で、今度も遊んでもらっているのだが。
 43期代表の小坂先生とは特別に親しく、問題のある水産高校へ行って苦労しろ、などと奨めてしまったのだが、その奮闘で成功している。
 小浜は、一度だけ調査で潜水したことがある。悪い海ではないと思うが、日本海の普通の海だ。沖縄のようには行かないし、潜水訓練用の特別なプールもない。しかし、ダイビングの授業もクラブ活動も行って、そして、ヘドロの海底、地先の海底にアマモ植え海底を草原にするアマモ・マーメイド作戦をクラブ活動で開始する。アマモの草原がどのくらい広がったのかよく知らないけれど、小浜で、アマモ・サミットという全国的なプロジェクトをやった。
 小坂先生は潜水部ではあったが、海洋資源科とか、海の生物の専門家としてのコースではなく、水産大学食品加工科、つまり缶詰などを作る専門家のコースである。水産高校にも食品加工の科があり、各地の水産高校では、その作る缶詰類は、コストを度外視した良品として人気があり、文化祭などでは、あっという間に売り切れるらしい。
 小浜水産高校の作るさばの缶づめも地元では、人気がある。生徒の一人が、さば缶を宇宙食にして飛ばせないだろうかと発言した。、
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 それが、アマゾンでのノンフィクション・ベストセラーにばった「さばの缶づめ宇宙に行く 小坂康之 林公代著」の発端だった。この本は水産・海洋高校がどんな教育をしているのかがよくわかり、そして面白い。「さばの缶づめ宇宙に行く」の途中から小坂先生の小浜水産高校は2015年に閉校となり、進学校の福井県立若狭高校海洋科学科になった。海洋科学科として残れたのは、小坂先生等の奮闘のおかげだろう。
 発表は小坂先生とともに、ダイビングクラブの指導を担当している小畑有海(ゆうみ)先生が行った。
 なお、小坂先生は、潜水、ダイビングが高校の教育に効果をもたらすことについての研究を福井大学の大学院で研究を進めており、実は今回の発表はそのことと予期して、企画を進めた。結果として、こうなり、日本水中科学協会のシンポジウムの向こう20年?のコンセプトを定めることになるプログラムになった。



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