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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1011 ダイビングの歴史 下書き4  1957 東京水産大学潜水実習

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1957 東京水産大学潜水実習
 1957年、7月 初旬調べること、
 水産大学の潜水実習が大学三年次、希望者対象で行われ、待ち構えていた僕はこれに参加し、ダイバーの第一歩を踏み出す。


 講習に先だって、健康診断が行われたが、息こらえ1分30秒が参加資格だった。
 実習期間は一週間、まず潜水医学の講義があり、講師は、医科歯科大学の梨本一郎先生。


 続いて、マスク式の体験、潜水台に手押しポンプを置き、旭式マスクで潜る。ホースで繋がれているので安全に、潜水慣れ、耳抜きの練習ができる。潜水台の直下の磯に、這うようにして潜った。
 
 実習場には、櫓漕ぎ、木製の小舟「サジッタ」がある。サジッタとは、大型プランクトンであるヤムシのことである。ヤムシは、矢のような形で2cmほどあり、矢のように泳ぐ。大学の臨海実験場の櫓漕ぎの小舟は、サジッタと名付けるらしく、下田の教育大学実験場でもサジッタだった。いま、海洋大学の館山ステーションのサジッタは、櫓漕ぎではなく、船外機だが、サジッタである。
 木製、櫓こぎ、5人ほど乗れる、定員は3名?のサジッタは、学生のペットで、一年次の実習の時から、櫓こぎの遊び練習をする。サジッタ、矢のようには走らず、のろのろ、よたよた漕いだ。サジッタは、櫓こぎは立って漕ぐので、ダイバー^を見張るのに良い。今の館山ステーションにあるのはシーカヤックだが、カヤックでは、緊急時に溺者を引き上げて救急蘇生法などできない。載せて岸に漕ぎ戻るのだが、その間に死んでしまうかもしれない。


 小湊の実習場は、ぼくらの海の家のようなもので、ウニの発生実験、ヒラメの発生実験、などなど、次々と実験がある。
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 かつての、東京水産大学小湊実習場 中央の円形の建物が、一階は水族館、二階が実験教室
 磯の上をまっすぐ伸びる道、左手に生け簀、その沖側が潜水台、海は入り江で、限定水域になっているのが良くわかる。


 小湊実験場の小さい入り江は、禁漁区になっている。実験場の建物から、海に降りる階段を降りると小さな突堤のような船着き場がある。海に向かって右手の磯には、コンクリートの通路があり、通路を歩いて、左側には観光生け簀、そしてその先に潜水台がある。左手の磯は、磯の先端にはコンクリートの棒杭が立っていて、この杭と右手の磯の先端を結んだ線の内側が禁魚区である。禁漁区は50mプール四つ分ほどの広さがある、とても良い岩礁、藻場である。藻場、すなわち天然の水中庭園である。
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          この写真は 2007年のもの
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今、実験場は千葉大学に移管され、水産大学→海洋大学の実験場(センター)は、館山に移った。館山の方が東京からの交通の便は良いが、海は、小湊を100点として、館山は60点、辛うじて合格点だ。小湊は、写真で見ればわかるのだが、このごろの潜水用語で言えば、限定水域、コンファインド・ウォーターである。
 マスク式を終えると、潜水台から、岸の小さな舟着き場突堤の間の海底にラインを敷いた。ライン敷きにも、ラインの撤収にも、潜水監視にもサジッタが活躍した。
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 プログラムは、以下のようなものだった。
 ①水面をフィン・マスクで泳ぐ。
 舟着き場と潜水台の間を往復。限定水域、入り江の中を泳ぐ。まだ、スノーケルは使わなかった。
 フィンはチャンピオン(フィンの項参照)を使った。チャンピオンは、ワンサイズで左・右の区別もない。ワンサイズだから、足の小さい者は、靴下を重ねて履くか、運動靴を履く。足の大きな者は、痛みに泣くしかない。幸いにも、そんなに大きな人はあまりいない。


 ②水平素潜り、少なくとも、10mは潜る。
 ③タンクを背負って、水面を泳ぐ、スノーケルなし
 ④水中を潜って、潜水台と船着き突堤の間の海底に引いたラインをたどって往復。
  タンクは、小湊実習場に4セット、館山に4セット(実習の時は、両方使うので8セット)
 ただし、コンプレッサーの能力が低かったので、午前に使うと午後までに2-3セットしか充填できない
 ⑤マスククリアー練習
 ⑥マスクなしで潜り、水平潜水で、潜水台までラインに沿って潜る。
 ⑦仕上げで、舟着き場突堤下で、水中脱着
 これを4日間かけて行う。常にサジッタは、みんなで交代で漕いで気泡を追っている。
 
 講師は、海老名謙一(魚類学教室の教授)宇野寛(小湊実習場場長)服部仁(魚類学教室の助手)実習場の技官 古川さんだった。
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 受講生は、写真 右から、上島:後に日本アクアラング社、社長、
 帽子に眼鏡が原田進、親友で僕のバディ、真珠会社で成功したが亡くなっこの写真は彼のアルバムから使っているので、「俺」となっている。
 須賀。
 松原:カナダでマグロの定置網畜養で成功。
 鈴木:貝類のコレクターであり、大島の水産高校の教諭になったが、若くして逝ってしまった。
 伊藤:大阪で事業家として成功。
 清水:南米でウナギの養殖をしようとしたが、ウナギが飛行機の中で死んでしまい、苦闘して船具屋として成功、成功談を先日、母校の海洋大学で講演した。
 立川:北陸の水産試験場の場長になり鱒の養殖の権威になったが、亡くなってしまった。
 原:全国水産技術協会の統括理事で、2020年現在、僕の日本水中科学協会はその調査仕事を手伝っている。 


 プログラムは、難なくこなすことができると思ったが、最後の水中脱着は、海底が石で平たんではなく、ウニが居て刺さると大変、ウツボが繁殖期?で集まっていて、ウツボの上に手を付いたりしたら噛みつかれるので苦労、プールでやるのとは大違いで、苦闘した
 










   

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