館山湾に潜った時の写真だろう。レギュレーターは東亜製がついている。
ボンベ、タンクの話をしよう。
東亜潜水機に入社した1959年ごろ、高圧容器は、昭和高圧の作ったものが、在庫されていた。ボンベ、タンクのことを高圧容器という、小さいので小型高圧容器。最も多く作られている高圧容器は、酸素ボンベ、酸素を充填し、酸素溶接に使われるもので人が担ぐのは、重量挙げになるので、工場などでは、立てたまま回転させるように転がして運ぶ。ちょっとした要領のいる作業である。小型容器は現在では10リットル、12リットルがスクーバの標準である。
東亜潜水機に在庫されていたのは、10リットルだった。マンガン・スチール製で、FP.標準充填圧が120気圧であった。質があんまり良いものでは無く、鉄鋼の地肌がざらざらしていた。
なお、この時点1959年には、オーリングは普及していない。オーリングというのは、今は見慣れていて、だれも注意を払わないが、画期的な発明で、この発明のおかげで、水中で使う道具のほとんどの水密、防水ができ、高圧空気のタンクを容易に取り扱う事が出来、宇宙へロケットを飛ばすこともできる。アメリカのスペースシャトルの爆発墜落事故は、機体に何万と使われているオーリングの一個が不備だったからだとか聞いている。そのオーリングはまだない。
ボンベとバルブの接合部のネジはテーパー、斜面ネジで、たこ糸のような糸を巻いて、リサーチという乾くと完全に固着する黄色い薬品を塗って締め付ける。これはもう、絶対的に外れない。バルブが壊れたり、などして、外すときには大変だ。高圧容器専門の工場ならば、外す道具があるのだろうけど、東亜潜水機では、中庭にある大きな万力にバルブを挟んで、丸太にロープを取り付けたロープをボンベに巻き付け、丸太を梃子にして強引に回す。その時にガスバーナーでボンベのバルブ取り付け部を熱して膨張させる。もしも、ボンベに空気が高圧で残っていたりしたら、大変だ。ポッキリと折れれば、ボンベはロケットになる。専務の佐野さんがこういう危険なときには出てきて指示してくれる。千葉大卒業だが、元戦車兵で、怖さ知らずらしい。ボンベがはねて飛んだら、まず伏せる。次に飛んだ方向を見定めて、反対側に逃げる。とんだ方向を見定めた時には勝負は決まっていると思うのだが、飛んだ方向にも何か爆発物があるかもしれないから、とにかく逃げる。
やがて、オーリングが発明され、普及してからは、タンクの首の部分内側が45度に切削されていて、バルブのオーリング溝に、オーリングをはめ込んで、レンチで軽く占めてやれば良い。タンクが充填されれば、その高圧がオーリングを押しつけて締め付けるので、漏ることはない。
昭和高圧の120キロボンベの他に、米軍船舶解体で出てくる消火器ボンベも取り扱った。もちろん、戦中のものだから、オーリングシールではないが、このボンベ、材質はクロームモリブデン鋼で、国産よりも材質が良い。元はといえば、厚木あたりの進駐軍兵隊が、どこかで探してきて、持ちこんだものだが、東亜潜水機では、横須賀の解体スクラップ屋にそれを探しに行った。容器は正式には、耐圧検査を受けなければならない。耐圧検査を受けていない消火器ボンベを売って、爆発すれば、大変なことになる。振り返ってみれば、よくもそんなに危ない商売が出来たものだと思うけれど、生きるか死ぬかの戦争が終わった戦後のドサクサが残っていたのだと思う。平気だった。自分が生きていさえすれば、なんとかなる。これが戦中のコンセプトで、その乱暴な精神が残っている。
それでも、出来れば耐圧検査を受け証明をとりたい。検査を受けるためには、そのボンベと同じ型式のボンベを一本、圧壊試験をして材質を検証しなければいけない。横須賀で70本まとめて見つけた。1本を圧壊して、初めて耐圧証明付きの放出タンクを売ることができた。ただし、放出ボンベは、オーリングは使えない。テーパーネジのアダプターを付けなければならなかった。
そんなこんなの苦労のうちに昭和高圧もようやく、クロモリ、クロームモリブデンの小容器、9リットルを作ってくれることになり、200本買った。それ以下ではつくってくれなかったのだ。これを二本組にした。二本組みのバルブを作りたい。二本のうちの一本は、リザーブバルブにしたい。
バルブを作ってくれるところを探した。埼玉県、上尾にある大東バルブに行き当たった。上尾にぶっつけで乗り込んで交渉した。社長は大野さん、ガタルカナルの生き残りだった。担当は渡辺さんだった。渡辺さん、後に専務になった?が、東亜潜水機に来てくれて、作ってくれることになった。
ダブルタンクの片方に付けるリザーブバルブは新たな設計にした。ネジを押し込む事によってスプリングの強さを可変し、そのスプリングの強さに対応する、リザーブ圧力を加減できる。つまり、普通のリザーブバルブは、およそ20キロの圧で作動するのだが、スプリングを押し込んで例えば50キロでも作動させられる。
リザーブバルブの欠点は、レバーが岩角などにあたると、おりてしまう。こうなると、リザーブが残っているつもりでゼロになってしまう。これで亡くなった事故もあった。たしか、四国の方の警察官が捜索をしていての事故だった。新聞に大きく出たので、リザーブは危ないという意見もでてきた。レバーの部分に切れ込みノッチを作って、ここにもスプリングを効かせて、岩角なんかでは、簡単におちないようにした。しかしこれは、リザーブが動かせないという苦情が来た。スプリングを緩めれば、ゆるくなり、危なくなるのだが、その説明が必要だった。ダイバーは、説明書を読まない奴が多い。
また、背中が当たる部分を板にして、あたりをやわらげた。このダブルタンクはその当時の傑作だったとおもう。なお、この時代、1960年代の前半は、タンクはダイバー個人が買うのが普通だった。タンクは、自分で買い、空気を充填して車に積んで、持って行く。これはなかなか大変で、このことがダイビングクラブができる要因にもなった。ダイビングクラブがみんなのタンクを保管、預かって空気を充填しておく、そのタンクをトラックに積んで、みんなで出かけて行く。
9リットルダブルタンクは、そんな時代の傑作機だった。