Quantcast
Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
Browsing all 1388 articles
Browse latest View live

Image may be NSFW.
Clik here to view.

0821 潜水の歴史 10 ヘルメット潜水③

竜宮城、観客席から視た。  ダイビングの歴史を企画し、梗概をかいているときは、あんまり脱線せずにシンプルにまとめようとおもっていた。  しかし、原稿を書くための参考書として、「人類20万年 遙かなる旅路:アリス・ロバーツ」...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

0823 潜水の歴史 11 減圧症

  潜水して、水圧と等しい、圧力の高い空気をこきゅうするようになったとき、そして、ダイバーの水中滞在時間が長くなり、潜水機が実用になることによって、潜水病、減圧症と人間との戦いが始まる。  潜水病、減圧症については、ダイバーの常識でもあり、専門の書籍も多数でているので、ここでは減圧症そのものについては説明しない。  「房総の潜水器漁業史...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

0830 潜水の歴史 12 アラフラ海 ダイバーの墓場

 明治から大正にかけて、そして、第二次大戦まで、日本のヘルメットダイバーは、世界に出稼ぎにでる。  カリフォルニアのモントレーには、アワビ採りが、出て行き、アワビステーキをその地の名物にした。オーストラリア、そして、アラフラ海へ、白蝶貝の採捕に出て行く。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

0902 日記

日記 0901  2021/09/01 11:28...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

0906 潜水の歴史 13 南部ダイバー

 ヘルメットダイバーは、自分の出身地、もしくは修行したところの地名を肩書きのように使うことがある。名が通っているのは、房州潜り、そして、南部潜り、アラフラは紀州潜りだ。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

0909 ダイビングの歴史14 ヘルメット式潜水機のすべて

 話の順が逆になってしまったように思われるかもしれないが、ヘルメット式潜水機について説明しよう。  ダイバーはまず潜水服を着る。着ると言うより手足の付いた袋に入ると言った方が良い。           水返し 手首はリストシール、きついゴムの袖口、足は袋だ。ドライスーツと同じであるが、ドライスーツのように、身軽ではない。身動きできないので、椅子に座って、綱持ち(アシスタント)に、すべてやってもらう。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

0913 ダイビングの歴史 15 海底二万里

  海底二万里  南フランスの真ん中あたり、エスパリオン(Espalion)(エスパロン?)という街に潜水博物館がある。周囲に海もないのに、なぜ?  https://www.divingheritage.com/espalion.htm  1864年、フランス人鉱山技師ブノア・ルケロール Benoit...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

0924 ダイビングの歴史 14 マスク式 1

          マスク式は、長くなりそうだ。  本にするときに、全部収録できるかどうか?  そして、資料にもう一度目を通さなくてはならない。これが大変で、停滞していた。 マスク式とは  マスク式とは、顔を覆うマスクを着け、水面からのホース送気で呼吸する潜水機である。顔の全面、眼、口、鼻を覆っているのが原則であるが。大串式のように、目鼻を覆い、口は送気の弁操作にあてるものもある。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

0925 ダイビングの歴史15 マスク式 2

大串式潜水機 2  岩雄は、上京して東京潜水工業で、歯で噛む方式の潜水器を完成させる。特許は東京潜水工業の渡辺理一の名前で、世界各国、イギリス、アメリカ、フランスに出願される。1918年(大正7年)のことであった。  上に示した写真、図は、英国の潜水団体BSACのテキスト(英文)「Sport...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

0928-29 波佐間 水中調査研究会

 波佐間 水中調査研究会 水中ドローン演習    東大海洋調査探検部を指導する形で合同プロジェクト  東大からは、5年生 田村君 3年生 菊川君、2年生 深谷君、伊藤君の4名が参加する。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1006 ダイビングの歴史 16 マスク式 3 「海底の黄金」

   沈没船の宝さがし、宝の引き上げは、誰でも興味を持つテーマである。そして、その富の量に比例するように危険でもあるから、冒険、命がけにもなる。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1009 潜水の歴史17 マスク式4 山本式マスク

 ものを作って売るという行動、商売は、特許と切手も切り離せない。大串岩雄氏は、発明一筋、すなわち特許一筋だったわけで、自分もあんまり成功しなっかったが、いくつも特許をとった。  そもそも、特許とは、ある工夫、ある製造物について、その考案者が出願して認められた場合、ある期間それを独占的に、製作し販売できるもの、と僕は理解している。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1010 潜水の歴史18 マスク式6 山本式2

...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

1013 潜水の歴史 19 マスク式7 三浦定之助

 トップに出したのは、三浦定之助著 「潜水の友」に出されている三浦先輩の写真、手にしているのは山本式マスク、マスク式は潜水服は着ていないないでも、この服装で潜れる。  三浦定之助は、1887年 明治20年 生まれ、1909年 明治42年 農林省水産講習書漁撈科卒業、  水産講習所は、東京水産大学の前身だから、先輩になる。  長崎県水産試験場技手、東京潜水工業 技師を経て 静岡県伊東水産試験場場長...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1014 魚の泪

  僕がブログを書き始めたのが、2005年 6月11日、楽天のブログで書いた。写真を大きく乗せられない、などの不満があって、現在のエキサイトにかえたのが、2008年の9月5日だ。  自分の書いたものを資料として使っているので、度々見直すのだが、楽天時代の方が、良い文章があったような気がする。加齢とともに文章力が衰えて行くので仕方がないことではあるが、...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

1016 図鑑を読む 1 酒井恒 日本蟹類図説

                  イシガニ ダイバーの大半は図鑑好き、図鑑を手にして使っているはず。それぞれ、好きな図鑑があるだろうし、図鑑に一言あると思う。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1017 ダイビングの歴史20 山下

 三浦定之助の「潜水の友」に続くのは、その同じ昭和10年、1935年には、A型マスク、旭式マスク、それに対抗する海王式もつくられ、平行して地中海では、フィンが生まれ、使われて、第二次大戦に突入していく構成を考えていた。  しかし、三浦定之助と並ぶ、これも講習所の先輩の山下弥三左衛門を置いていくと、どこに填めようか?...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

1018 図鑑を読む 2 甲殻類(カニ)

     酒井先生の蟹の図鑑からはじめてしまったので、蟹から行こう。  [カラー図鑑 カニ百科、1986年、村岡健作、小田原利光 監修、]...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1105 ダイビングの歴史 21 旭式マスク 1

旭式 気嚢付きが特色のマスク  旭式は、浅利熊記(1908-1963)が、昭和8年(1933)頃 後の「浅利式軽便潜水器」の原型となる「ポピュラー潜水器」をつくった。、  そのマスクの残骸が船の科学館に所蔵されている。全くの残骸で、顔に当てて見ることもできない。ゴム製で、フルフェースだったとわかるだけだが、アサリの字が見える。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1110 ダイビングの歴史22 マスク式 2

旭式マスク  第二次大戦が終わり、戦後、1945年、日本の急務は、食料の確保だった。 食料生産者である農業、漁業はなによりも優先した。 北洋漁業、サケマス漁は、現在でこそ200海里の領海の線引きがあり、ロシア、アメリカの領海には出て行かれないが、戦後、1960年代までは、独航船と呼ぶ数10トンの漁船で、数千トンの母船を中心に船団を組んで、オホーック海、ベーリング海に出漁して行く。...

View Article
Browsing all 1388 articles
Browse latest View live