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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0909 ダイビングの歴史14 ヘルメット式潜水機のすべて

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 話の順が逆になってしまったように思われるかもしれないが、ヘルメット式潜水機について説明しよう。  ダイバーはまず潜水服を着る。着ると言うより手足の付いた袋に入ると言った方が良い。
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           水返し
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 手首はリストシール、きついゴムの袖口、足は袋だ。ドライスーツと同じであるが、ドライスーツのように、身軽ではない。身動きできないので、椅子に座って、綱持ち(アシスタント)に、すべてやってもらう。 靴を履かせてもらう。大きな靴で、靴底は錘が貼り付けてある。シコロと呼ぶ、胸当てを頭からかぶせて、シコロから上に向けて生えるように突き出ている、12本のボルトを、潜水服の首回りの厚手のゴム、襟ゴムに開いている穴に差し込む。その上に抑え金という孔の空いた板をのせ、その上から蝶ねじというナットで締め付ける。これで潜水服とシコロの接合部の防水密着ができた。
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 この上から、潜水直前に兜を乗せる。兜とシコロは嵌合式のねじになっていて、四分の一回転させるとカチッとはまりこみ、接合部のパッキンも圧着する。
 これで、水密になったのだが、オーリングのような一滴の水も入れない水密ではない。若干の水が漏れ入ってくる。この水を首の周りで食い止めるために、水返しと呼ぶ長い襟が潜水服の首の部分に付いている。この襟の部分にたまった水を外に追い出す蛇口のような、ドレンコックが付いている。ヘルメットの内圧は、少し水圧よりも高くしているので、ドレンコックを開けば水返しに載っている水は移出される。
 ヘルメットを被ったら、外の景色は、正面と側面、三つの窓からしか見えない。視界はかなり狭い。
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 太いホースから空気はどんどん送られてくるが、そのままにしていると空気で潜水服が膨れ上がって風船になり、水面に吹き上がってしまう。適当に排気しなければならない。排気弁はキリップと呼ばれ、兜の側面に付いていて、内側に突き出している排気ボタンを頭で押してやると排気できる。この要領、こつがある。海底を這うように歩いているだけならば、少し多めに排気していれば良いが、中性浮力で浮いていることは、至難の業である。竜宮城で、器械根のダイバー、大野さんが、中層に浮いてロックを踊って見せたすごさ、上手な海産潜りのダイバーは、排気の調節で浮いて、飛ぶように海底を走る。 ちなみに、僕は東亜潜水機の裏庭にあった小さなプールで、清水登大尉(伏竜の項に出てくる)に教えられて、ちょっと沈んでみただけの体験ダイバーである。 空気を調節するのは。頭で押すキリップだけではなく、送られてくる空気の量を調節するコック、腰バルブというのがあり、これを腰の位置につけて、送気式を絞ることができる。いずれにせよ、空気の送気排気はスクーバのように自動ではない。頭動、手動なのだ。この頭動のために、ヘルメットダイバーは、はちまきをしたり、毛糸の帽子をかぶったりする。
 ヘルメット式に限らず、送気式潜水機は、ホースに電話線を束ねることが容易にできるから、電話付きである。電話と言っても、インターフォンだが、ダイバーの電話での指示で、クレーンを動かしたりするので、港湾潜水士、工事潜りでは、電話が必須だ。
 ヘルメットに空気を送るのは、現在では勿論コンプレッサーだが、長い間、種市高校に潜水科ができる1960年代でも手押しポンプが使われていた。
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 手押しポンプには利点があったのだ。深く潜る潜水、たとえば、100mに潜ろうとすると、11気圧の空気を送らなくてはならない。小さいダイバーボートには乗せられない大きさのエンジンとコンプレッサーが必要になる。 手押しポンプならば、ポンプを押し切るパワー、人数を増やせばできる。天秤型のポンプに丸太を結びつけ、片側が6人、合計12人で押し切れば、ホースが破裂しなければ100mまで、空気が送れる。 
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           潜水作業船 普通の潜水では、せいぜい40mぐらいまでだろう。それならば、コンプレッサーで行ける。コンプレッサーは場所をとらない。僕が東亜潜水機で働いていた1960年代には、手押しポンプは、年に数台売れるだけ、コンプレッサーが東亜潜水機の主力商品になっていた。コンプレッサーから出てくる空気を貯気タンクに貯める。これで、空気の脈動を止めるとともに、もしもコンプレッサーが故障で止まった場合、このタンクの空気で浮上する予備タンクの役目も果たしている。
 ヘルメット式の項の終わりに、現在のヘルメット式の生産事情、1959年から1969年10年間お世話になった東亜潜水機は?とさがしたら、YouTubeにあった。 サイエンスチャンネル・匠の息吹 「きれいなクウキを送れ」 https://www.youtube.com/watch?v=ZqUIx8fWgUA
 頭に被るヘルメットは、1mmの銅板を深絞りという工法で曲げて成型して錫メッキする。銀色に光っているのはこの錫メッキ、メッキはすぐに剥げるから、赤銅色に戻るのだが、なぜか、新品は錫メッキする。このヘルメット本体に真鍮製の螺旋である首輪、ガラス窓などを ハンダで接着する。 このハンダ接着の職人、は山沢さんだ。僕が東亜潜水機のころ、いい男で、女の子に人気があった。
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            山沢君と制作中のヘルメット
 僕が東亜潜水機を退職するとき、なんでも好きなことをやらせてやるから、辞めるなと引き留めてくれた佐野泰治社長も出てくる。後から考えれば、辞めないで子会社を作ってもらっても良かった。そうすれば、僕の人生も、潜水機の歴史も変わっていただろう。
 現在の東亜潜水機の売り物は、スクーバのタンクに充填する高圧コンプレッサーであり、僕が100m潜水を試みた1963年頃から、今後の潜水の鍵はヘリウムだとして、混合ガスの高価なヘリウムを回収するコンプレッサーなども開発した。その高圧圧縮技術が現在の東亜潜水機の売り物だと、後を継いだ佐野弘幸社長は言う。彼は僕が退社すとき中学生だったのだが、芝浦工業大学に進んで、芝浦工大のスクーバ潜水部を設立した。そして、現在の日本水中科学協会のスポンサーの一人でもある。
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         佐野社長 計り知れないほどお世話になった。

 この匠の映像が作られたのは2001年、それから20年、僕の「日本潜水グラフィティ」発刊記念パーティでは、主賓挨拶をしてくれた、佐野社長(お父様の方)も世を去り、山沢君も居なくなった。もはや、新しいヘルメットも作られることはない。しかし、ヘルメットの耐用年数は、100年以上ある。新しく作れなくても、これまであるヘルメットを補修することで新品同様になる。 ヘルメット式潜水機は2021年現在まだ生きている。1820年とほとんど同じ姿で。
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 そして、現在の潜水服は、ドライスーツと同じラジアルスポンジ生地で作られる。服そのものに保温力がある。種市高校の子たちが着ていたのは、この新しい潜水服である。
 そして、一方で、置物、装飾品としての人気もあり、6万~12万で売りにでている。 https://www.mercari.com/jp/search/?keyword=%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88 ヘルメットの中古、置物用 販売 メルカリ
 そしてこれら、の置物も、東亜潜水機に持ち込んで、修理、整備すれば、実用潜水機として蘇ることも可能である。 
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 ※ヘリウム潜水も初期は、そのための特殊ヘルメットで行われた。その技術は、米国海軍で発展したものだったが、ここでは詳しくは述べない。 写真 セミクローズ ヘリウムヘルメット 混合ガスを循環させ、ヘルメットの後部につけたキャニスターで、炭酸ガスを除去している。いわゆるセミクローズである。 

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