これで、水密になったのだが、オーリングのような一滴の水も入れない水密ではない。若干の水が漏れ入ってくる。この水を首の周りで食い止めるために、水返しと呼ぶ長い襟が潜水服の首の部分に付いている。この襟の部分にたまった水を外に追い出す蛇口のような、ドレンコックが付いている。ヘルメットの内圧は、少し水圧よりも高くしているので、ドレンコックを開けば水返しに載っている水は移出される。
ヘルメットを被ったら、外の景色は、正面と側面、三つの窓からしか見えない。視界はかなり狭い。
ヘルメット式に限らず、送気式潜水機は、ホースに電話線を束ねることが容易にできるから、電話付きである。電話と言っても、インターフォンだが、ダイバーの電話での指示で、クレーンを動かしたりするので、港湾潜水士、工事潜りでは、電話が必須だ。
ヘルメットに空気を送るのは、現在では勿論コンプレッサーだが、長い間、種市高校に潜水科ができる1960年代でも手押しポンプが使われていた。
ヘルメット式の項の終わりに、現在のヘルメット式の生産事情、1959年から1969年10年間お世話になった東亜潜水機は?とさがしたら、YouTubeにあった。 サイエンスチャンネル・匠の息吹 「きれいなクウキを送れ」 https://www.youtube.com/watch?v=ZqUIx8fWgUA
頭に被るヘルメットは、1mmの銅板を深絞りという工法で曲げて成型して錫メッキする。銀色に光っているのはこの錫メッキ、メッキはすぐに剥げるから、赤銅色に戻るのだが、なぜか、新品は錫メッキする。このヘルメット本体に真鍮製の螺旋である首輪、ガラス窓などを ハンダで接着する。 このハンダ接着の職人、は山沢さんだ。僕が東亜潜水機のころ、いい男で、女の子に人気があった。
僕が東亜潜水機を退職するとき、なんでも好きなことをやらせてやるから、辞めるなと引き留めてくれた佐野泰治社長も出てくる。後から考えれば、辞めないで子会社を作ってもらっても良かった。そうすれば、僕の人生も、潜水機の歴史も変わっていただろう。
現在の東亜潜水機の売り物は、スクーバのタンクに充填する高圧コンプレッサーであり、僕が100m潜水を試みた1963年頃から、今後の潜水の鍵はヘリウムだとして、混合ガスの高価なヘリウムを回収するコンプレッサーなども開発した。その高圧圧縮技術が現在の東亜潜水機の売り物だと、後を継いだ佐野弘幸社長は言う。彼は僕が退社すとき中学生だったのだが、芝浦工業大学に進んで、芝浦工大のスクーバ潜水部を設立した。そして、現在の日本水中科学協会のスポンサーの一人でもある。
この匠の映像が作られたのは2001年、それから20年、僕の「日本潜水グラフィティ」発刊記念パーティでは、主賓挨拶をしてくれた、佐野社長(お父様の方)も世を去り、山沢君も居なくなった。もはや、新しいヘルメットも作られることはない。しかし、ヘルメットの耐用年数は、100年以上ある。新しく作れなくても、これまであるヘルメットを補修することで新品同様になる。 ヘルメット式潜水機は2021年現在まだ生きている。1820年とほとんど同じ姿で。
そして、一方で、置物、装飾品としての人気もあり、6万~12万で売りにでている。 https://www.mercari.com/jp/search/?keyword=%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88 ヘルメットの中古、置物用 販売 メルカリ
そしてこれら、の置物も、東亜潜水機に持ち込んで、修理、整備すれば、実用潜水機として蘇ることも可能である。
※ヘリウム潜水も初期は、そのための特殊ヘルメットで行われた。その技術は、米国海軍で発展したものだったが、ここでは詳しくは述べない。 写真 セミクローズ ヘリウムヘルメット 混合ガスを循環させ、ヘルメットの後部につけたキャニスターで、炭酸ガスを除去している。いわゆるセミクローズである。