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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0906 潜水の歴史 13 南部ダイバー

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 ヘルメットダイバーは、自分の出身地、もしくは修行したところの地名を肩書きのように使うことがある。名が通っているのは、房州潜り、そして、南部潜り、アラフラは紀州潜りだ。
 潜っているダイバーは、船の上でホースと命綱を操作する「綱持ち」が頼り、命の綱だ。そして、1960年代まで、ヘルメットダイバーは、もっとも危険な仕事だった。命を預けられる。信頼できるのは親類縁者、同郷の絆だったのだろう。同郷で固めた。そのあたりのことは「木曜島の夜会」で語られている。
 南部とは、旧南部藩、岩手県のことだ。
 なぜ、ここで、ことさらに、南部ダイバー、南部潜りを取り上げるかというと、南部ダイバー、南部潜りだけが、現在耳にする言葉だから。俺は紀州潜りだとか、房州潜りだとか、ほとんど聞くことはない。自分をヘルメットダイバーだと誇る人がもういないのだ。
 
 岩手県立種市高校海洋開発科、公立高校の職業専門課程だが日本で唯一潜水技術のすべてを教える。そのすべての中に、ヘルメット式が入っている。米国海軍、海上自衛隊などを除くと、おそらく世界で唯一ヘルメット式潜水を教えている学校だ。現在ではもはや、ヘルメット式潜水は実用の技術ではないが、伝統のヘルメット式ができるということは、すべてのダイビングができると行うこと、今現在、他のダイバーは、ヘルメット式はできない。ヘルメットが絆になっている。


 種市高校のホームページを見ると
 「明治31年 (1898)に種市沖で、貨客船名護屋丸が座礁、その解体引き上げに房州から4人の潜水夫がやってきました。この房州潜りの組頭である三村小太郎氏が住民の磯崎定吉の潜りとしての素質を見抜き、ヘルメット式潜水を教え、自分の代役にします。
 一連の潜水技術を習得した定吉は、綱持ちの、磯崎勘助とコンビを組み、十和田湖に沈んだ賽銭箱の引き上げを引き受け、これを元手にして、独立、潜水業を始めます。何人化の弟子を養成し、成功するのですが、これが種市潜り、南部潜りの始まりです。
 厳格な徒弟制度で技術を引き継いでいた南部潜りでしたが、潜水病や、身分保証などの問題を解決するため、昭和27年(1962)に種市潜水協会が設立さら、同年12月には、潜水士を養成する当時として唯一の「岩手県久慈高等学校定時制種市分校潜水科」が誕生しました。」


 潜水科学協会の「どるふぃん」に梨本先生(当時の潜水医学の大家)が久慈高校定時制の潜水学校をたずねたレポートを書いている。
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 これが校舎か?という小屋、納屋だが、そのころは、校舎があるだけで良い。
 外郭はともかくとして、教えられている内容とコンセプトは?
 潜水を教えている先生は3名 清水兼松先生が分校の主任で、港湾潜水、アセチレン切断などを教えている。井関泰亮先生が潜水全般を、担当している。井関先輩は、先輩と書くのは、水産講習所第51期の卒、僕は大学になってからの大学7期だから、12年、ひとまわり先輩になる。海軍兵学校をでられて、水産大学(講習所)にはいる。海軍兵学校伝統のしごきを水産講習所、そして水産大学に移植しようとした世代で、一番恐ろしい先輩といわれていた。
 その井関先輩が、海上自衛隊に戻るとかで、種市も後輩に任せたい。僕も候補に挙がったらしいが、僕は教職課程をとっていない。
 そして、江田島にもどられ、海上自衛隊の潜水教育の課程は井関先輩が力をつくしたと聞いている。
 その後少し年月が進み、僕が東亜潜水機を退職する少し前だが、種市の先生(名前を失念)が東亜潜水機においでになったとき、お話しして、僕の書いた「アクアラング潜水」をスクーバのテキストに使われて居ると聞いて、うれしかった。


 潜水科概要(1962年当時)
 1,潜水科設定理由
 ①70年間の伝統経験による優秀な潜水技術の継承
 ②中堅潜水技術者の養成
 ③理論教育に依る潜水技術の多数習得及び潜水技術者の事故防止。
 ④徒弟教育の欠陥是正
 2,教育目標
 ①沈船解体及び救助法の習得研究
 ②港湾土木に対する潜水作業の習得研究
 ③潜水病予防法の習得及び研究
 ④浅海養殖及び漁業の研究
 ⑤高度深海潜水技術の研究
 ⑥潜水要具改良の研究
 
 学生人数は、第一期~第五期が 53名
       第六期が 12名 計65名
  昭和33年度の数である。毎年10名ほどが卒業している。
 
 設備概略
 動力潜水船 木造4トン 1隻
 無動力船  木造2,5トン 1隻
 伝馬船   0,5トン  1隻
 ヘルメット潜水機 4組
 軽便マスク式   1組
 スクーバ潜水機  2組
 水中写真機    1台
 携帯コンプレッサー 1台
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 スクーバは2セットだけだ。
 まさに日本の海、潜水のフロンティアーだ。
 しかし、とにかくこれで、日本で初めて学校教育の場で潜水が教えられるようになった。
 学校教育での潜水については、筆者の目標の一つであったから、それなりの努力をしたが、それについては第二部で。
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 そして月日は流れる。
 2014年、日本水中科学協会の第三回シンポジウムで、「南部潜りの伝統と各種潜水機実習」と題して
岩手県立種市高校 海洋開発科 下川顕太郎教諭に話をうかがった。
 1960年代のすさまじい校舎、そして、当時の教科のコンセプトなどを見ると、潜水の専門学校のような印象を受けるが、今の種市高校は、専門学校ではない。ごくごく普通の男女共学の楽しい高等学校に立派な練習船種市丸があり、ダイビング練習用の大きなプールがあり、潜水のすべてを3年間で履修するコースがあるだけだ。
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 アラフラ海、そして、減圧症の項で死ぬのが当たり前の潜水夫の印象を受けたとおもうが、印象を180度回転させてもらわないといけない。
 楽しく、安全に、そして厳しく潜水は教えられないといけない。
 ヘルメット式は、入り口で、スクーバも、新しいフーカーヘルメットも習う。
 水中溶接も切断も高校の教育課程の中で実習できる。
 40名のクラスが3年間一緒に学び、一つ釜の飯を食ったと昔のひとはいうけれど、ヘルメットはその象徴であり、絆なのだ。うらやましいと思う。    
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        水中溶接

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 種市高校は、日本の潜水業界(主として港湾土木、サルベージ)に多数の人材を送り込んでいる。港湾土木業界も後継者の教育に悩んでいるが、種市高校は希望である。


 日本水中科学協会で、種市高校見学に行くツアーを計画した。参加人数が足りなくて、実現できていないが、あきらめては居ない。元気なうちに果たしたい。実現可能な夢である。


 コロナが明けたらと思っている。
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