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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0823 潜水の歴史 11 減圧症

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潜水して、水圧と等しい、圧力の高い空気をこきゅうするようになったとき、そして、ダイバーの水中滞在時間が長くなり、潜水機が実用になることによって、潜水病、減圧症と人間との戦いが始まる。


 潜水病、減圧症については、ダイバーの常識でもあり、専門の書籍も多数でているので、ここでは減圧症そのものについては説明しない。


 「房総の潜水器漁業史 大場俊雄」によれば、増田万吉はヘルメット式で潜れる時間限度についての情報を得ていたという。
 30尋より25尋まで、30分
 25尋より20尋まで、1時間
 20尋より10尋まで、2時間
 10尋以内      3時間
 すでに立派な減圧表である。


 しかしながら、鮑漁業にこの情報が伝わっていたとは思われない。減圧症は、「しびれ」と呼ばれ、潜水の歴史は、潜水事故の歴史となる。


 日本の房総では、丹所春太郎の事績が残されている。
 丹所春太郎は慶応2年1866に静岡に生まれ、長じて潜水夫になり、明治18年 1885、房総に出稼ぎに来た。優秀な鮑漁師で、「川津の根荒らし」と呼ばれた。漁獲量は原則として潜水時間に比例するから潜水病にかかる。春太郎は減圧症の予防と治療を、現場で研究するのだが、何の理論的な裏付けもなかったであろうから、試行錯誤と洞察力だけで、浮上方法と、ふかし、治療法を実践する。彼の浮上方法は、なかなか浮いてこない、ひょうたん潜りと呼ばれる減圧停止と、罹患した場合、もう一度潜らせて治るまで潜らせておく、「ふかし」を編み出した。これは、驚異的なことで、これにより救われた潜水夫も少なくなかったのだろう。今、千葉県勝浦市川津に彼を記念するコンクリートの像がある。
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 もちろん、ふかしで、すべての減圧症が、治癒するものではないし、ひょうたん潜りで、減圧症がすべて、防げるものではない。現代でも減圧症とダイバーの戦いは続いている。しかし、ふかしは、つい最近まで、そして今現在でも、海外で、再圧タンクがなく、しかも、飛行機でしか、救急搬送ができない島では、ふかしが、減圧症の唯一の治療手段である。自分が、最後にふかしを体験したのは、インドネシアで、2000年、ニューヨークで、貿易センタービルへのテロがあった、まさにその時、友人が減圧症で肩が痛くなり、それに付き添って、ふかしをしていた。


 ところで、減圧表は何時頃から、あったのだろうか、無かったのだろうか?
 現在、手元にある資料としては、次のマスク式潜水のところで、説明、紹介を予定している三浦定之助先輩がいる。東京水産大学の前身、水産講習所の先輩になる。三浦先輩の「潜水の友:昭和10年、1935」僕の生まれた年だが、これには、ふかしの時間表、再圧タンクの写真も載っているが、減圧表(テーブル)は載っていない。
 三浦定之助先輩は、伊豆、伊藤の水産試験場におられて、定置網漁場の潜水士をとうせいされていて、補著書も多数ある。海についての、随筆家としても、名前が通っている。
 2回、減圧症に罹患されている。潜水の友から、抜き出す
 「小生罹病中にお世話になった真鍋博士の研究では、一分間に1mの速度で浮上するなら潜水病にならない。」
 表にはしていないが、深さに応じて、潜水時間を制限している。「15尋以内、または25m以内 マスク潜水器では、今まで此種海深でも潜水病になったものは、未だ聞かない。勿論長時間居ると充分、潜水病にかかるべき水圧は受けている。」
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 マスク式連続潜水表 
 20尋30m以下 30分~25分 30尋46m以下 20分~25分 35尋53m以下 10分~15分 40尋61m以下 7分~9分
 自分がこの時代(1935年)のダイバーであったならば?減圧症に罹患したと思う。
 
 第二部でまた同じことを述べるとおもうが(※本にするときは整理する)自分が東京水産大学でスクーバダイビングの講習を受ける1957年には、米国海軍の1943年版のテーブルを使用していた。このテーブルは、繰り返し潜水の表は無く、連続して2回潜水する場合には、潜水時間を2倍にして表を引くこととされていた。


 もう一人、先輩を紹介する。
 山下弥総左衛門先輩、同じく東京水産大学の前身である水産講習所漁労科を大正3年(1914)卒業、三浦定之助先輩と山下弥総左衛門先輩については、これも第二部で一章設けるつもりであるが、僕が1960年に東亜潜水機に入社したとき、山下先輩は「潜水読本」という本を、これを成山堂書店から出版し、東亜潜水機はこれを応援して、全国のお得意潜水士に配布した。その宛名書き、発送をやらされた。想いで深い。
 この本には、前出の米国海軍のテーブル、そして英国のホールデンの表「バルデーン氏浮揚時間表」そして、おそらく日本海軍の表からとったと思われる「上昇法所用時間表」「ドイツ海軍の規定浮揚時間表」が掲載されている。これらは、1935年の三浦定之助の「潜水の友」から、1960年の間に公表されたものだろう。
 ※英国人 スコット・ホールデンが、減圧理論を発表するのは、1908 明治41年のことで、日本にも上記のようにバルデーンの表として、紹介されている。日本海軍の表などは、その影響を受けていると考えられる。


 しかし、この間、一般のダイバーがこれらの表を使っていたとは思えない。次に述べるアラフラ海などでも丹所春太郎式に、経験的に潜水時間を加減し、浮上時間も加減し、罹患すれば、ふかしで対応してきたのだろう。
 米国海軍の減圧表が日本で普及したのは、前出したように、1950年代、スクーバダイビングの講習会が行われてからである。それ以前は、日本海軍の減圧表があったが、それが、一般ダイバーに使われていたかは、わからない。


 そして、1962 昭和38年労働安全衛生法に基づいて、高気圧障害防止規則が、つくられ、潜水夫は、潜水士となり、規則で定められた、潜水時間表で潜水することが、義務づけられることになった。
 この潜水時間表は、梨本博士らが考案したものと考えられ、平成27年 2015年に改正された。学者諸氏は、理論的な不備を問題にされたが、減圧表を使うという習慣をダイバーに植え付け、50年余ダイバーを助けて来たのは確かである。
 しかしながら、この表が使いにくいのも事実であり、受験に合格するための勉強以外に、この表をきっちりと使ったダイバーは、港湾潜水士以外にはほとんど居なかったと思う。

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