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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1014 魚の泪

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 僕がブログを書き始めたのが、2005年 6月11日、楽天のブログで書いた。写真を大きく乗せられない、などの不満があって、現在のエキサイトにかえたのが、2008年の9月5日だ。
 自分の書いたものを資料として使っているので、度々見直すのだが、楽天時代の方が、良い文章があったような気がする。加齢とともに文章力が衰えて行くので仕方がないことではあるが、
 そして、今は、ブログは自分の記録であるとか、ダイビングの歴史の下書きであるとか、「目的、目標」を設定している。楽天時代は、そんなにはっきりした目的、目標は考えなかった。気の向くことを書いていた。その方が良かったのかも知れない。自分の生き方は?とか考えてしまう。


楽天ブログ2007年 6月2日 「魚の泪」


作家の大庭みな子(おおば・みなこ)さんが、24日(2007年の)、亡くなった。76歳だった。少しばかり愛読書がある。「魚の泪」「オレゴン夢十夜」「虹のはしづめ」だ。主な著作は、「三匹の蟹」「津田梅子」などだが、重くて読み返す気持ちになれない。僕の愛読書基準は、読み返そうとして、取っておくか否かだ。訃報の写真は、苦悩に満ちたような顔をしている。ずいぶんつらい人生だったのかな、と思ってしまう。
「魚の泪」は、伊豆海洋公園の創立者、益田一さんにもらった。文庫の奥付は、昭和45年になっているから、そのころのことだ。益田さんは、この本がいたくきにいっていたらしく、ぼくにくれて、「ぼく(益田さん)や、須賀さんは、最後はのたれ死にだからね。」といった。もらった「魚の泪」を読んだけれど、どこにものたれ死ぬようなことは書いていない。魚の泪→芭蕉の奥の細道の出立→旅→旅に死ぬ人生→のたれ死に、となるのだろうか。益田さんは、「のたれ死に」にかなりこだわっていて、娘の潮美が出版記念のパーティで益田さんと話したとき、「君のお父さんとか、僕はのたれ死にだから」と言っていた。なんのことかわからないと僕に聞く。僕もはっきりとはわからないのだ。僕はともかくとして、益田さんはのたれ死ぬ方向には進んでいない。立派な仕事をして、立派な家に住んでいるお金もちに見える。きっと、覚悟として旅に死ぬつもりだったのだろう。そして、みんなに見送られて、きっちり死んだ。形の上ではのたれ死にではない。一方の僕は、益田さんの言うとおりの道を歩んでいる。


 益田さんのことを書けば一冊の本ができるほどの思い出がある。そして、その思いが一つも不愉快なことがない。きっと、袖スリ合った人、だれにも、そのくらいの思いを残しているにちがいない。益田さんはすごい人だと今更のように思う。
魚の泪は、「Xへ、」という書き出しで、Xへの手紙の形をとっている。
テーマはアラスカのことで、アラスカでの生活の日常をとても美しい文章で書いている。
読んでいて快い。もう一度、引き出して、読み始めている。眠る前に読むのにちょうど良い。


大庭みな子は、96年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、左半身不随で車いす生活になった。02年には夫との二人三脚の日々や若い日の追憶を詠んだ短歌を集めた「浦安うた日記」(紫式部文学賞)を刊行して話題を呼んだ。
と訃報にはあった。浦安に住んでいたのかな、そのことも、この「浦安うた日記」のことも知らなかった。けれど読む気持ちにはなれない。「魚の泪」「オレゴン夢十夜」「虹のはしづめ」を続けて読もう。


※ 益田さんのいう「野垂れ死に」については、最近、まとまったものを書いた。もう少し考えてから、出そう。
 益田さんのことが気になっているのは、このところ図鑑のことをかんがえることが多くて、これもちょっとしたものを書こうとすると、益田さんが前に立ちふさがる。 


 ※昔書いたブログで、ちょっと良いなとか、今にあっているようなもの、息抜きにこれからも、時々出そうとおもっている。

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