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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1110 ダイビングの歴史22 マスク式 2

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旭式マスク

 第二次大戦が終わり、戦後、1945年、日本の急務は、食料の確保だった。 食料生産者である農業、漁業はなによりも優先した。 北洋漁業、サケマス漁は、現在でこそ200海里の領海の線引きがあり、ロシア、アメリカの領海には出て行かれないが、戦後、1960年代までは、独航船と呼ぶ数10トンの漁船で、数千トンの母船を中心に船団を組んで、オホーック海、ベーリング海に出漁して行く。 サケマスは、流し刺し網を海に張り巡らして穫る。その網が、あるいはロープが船のスクリューに絡んだら、船の走行能力が落ちる、最悪は停止する。遭難である。同じことは、南洋に出て行くマグロ船でも起きるが、暖かい海ならば、裸で素潜りでも切りほどけるが、落水したら、数分で死んでしまう北洋の海では、潜水服、潜水器が必須である。重装備のヘルメットでは、個々の独航船には積みにくいし、長い訓練も必要である。 戦時中、船の応急処置に使われたマスク式が最適である。ただし、冷たい北洋である。ヘルメット式と同等の潜水服は必要である。
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 旭式は、船舶備品用潜水器として大いに売り出した。安全の為に、必須の備品とされてもいた。この需要が大きかった。 サケマスだけでなく、南の鰹鮪でも、潜水器はあった方が良い。網漁業、延縄漁業では、常にスクリューに網や縄が絡まる可能性がある。
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 アワビ、サザエ漁は、素潜りの海女さん、また房総では、ヘルメット式の領分でもある。マスク式の進出する余地はない。伊豆半島のテングサ穫りは、水深が浅いので、マスク式でも十分に対応出来る。伊豆のテングサ穫りは、マスク式の領分になった。 また、伊豆七島、神津島で行われているタカベの追い込み漁、網を張って潜水器で魚を追い込む漁、では旭式が使われた。 旭式は、浅い海での水産に根を張った。
 
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 これは、第二部のスクーバ潜水の歴史とオーバラップするが、1957年の僕ら、東京水産大学の潜水実習もスクーバを練習する前、第一日目は、旭式マスク潜水から始まる。安房小湊の実習場、磯根の先端に潜水台と呼んでいた畳、八畳敷ほどのコンクリートの平坦な台に手押しポンプを置き、旭式のポンプを置き、ポンプを押して、マスク式でもぐる。泳ぐのではなくて、磯根を這うようにして潜るのだが、全く苦しくなく快適であった。実習の第一日目だから、当然、予備の練習も全くない。それでも安全に楽に、だれでも潜ることができた。
 ※ここから先は、日本のスクーバの歴史、第二部とオーバラップするが、マスク式で行ってしまう。
 旭式の佐藤賢俊氏は、僕のダイビングへの出自ともいえる日本潜水科学協会の設立者の一人でもあった。 第二部で紹介する菅原久一氏、潜水医学の梨本一郎博士、僕の師である宇野寛先生、猪野俊先生等と潜水科学協会を設立する。そんなことで、佐藤賢俊氏とは、長い付き合いになる。長くお世話になったが、微妙なおつき合いでもあった。 というのは、大学をでたけれど、研究者の途に進めなかった僕は、東亜潜水機に就職するのだが、そのお世話をしていただいた、宇野先生は、僕を東亜潜水機に入れようか、旭潜研に入れようか、考えた末、東亜潜水機に紹介した。旭潜研には、一年後に一級下の、遠藤徹が行くことになった。遠藤さんは後に独立して、福岡潜水というウエットスーツメーカーになり、一緒に仕事をすることになるが、それは第二部の話である。 東亜潜水機に入って見れば、旭潜水は、ライバル、競合する会社である。微妙とは、そういういきさつであったが、終生のおつき合いではあった。 
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 旭式に互して使用された、もう一つのマスク、金王式(海王式)がある。このマスクの発案者についての詳しい資料がない。持っていたのだが、人に貸してかえって来ない。なので、誰がといういきさつが書けないが、旭式とは全く逆の発想でありおもしろい。旭式は、呼吸嚢を使って、空気の節減につとめたが、ポンプの性能も向上したし、小型のコンプレッサーも普及した。内容積が小さい。つまり死腔が小さい全面マスクならば、空気嚢などなくても空気量は十分にある。旭式は空気を逃がさないように、きっちりと顔に縛り付ける。顔に合わなければきつく締めるので痛い。金王式は、緩くして逆にマスクの縁から空気を排出する。排気弁がない。マスクの縁から魚の鰓のように空気をだすので、鰓式マスクともよんだ。ホースからマスクへのフリーフローの間にダイバーの口鼻があって楽に呼吸できる。 このマスクは、渋谷の金王町に会社をおいた、岡本さんと言う方が、海王式の販売権を買って売り出したので、金王式である。 岡本さんは、東亜潜水機でコンプレッサー、ポンプなどを買われたので、親しくしていただいた。金王式は、伊豆半島のテングサ採取が主な販売先で旭式とシェアを競っていた。ある部落は、旭、ある部落は金王という感じで、それぞれだった。 金王式は、現在では、東亜潜水機がまだ扱っていて、カタログに乗っている。 呼吸抵抗の全くないフリーフローの軽潜水器は、未だある程度の需要はある。
 旭式は、佐藤賢俊さんがお亡くなりになり、経営が変わって製造をやめてしまった。沖縄でのモズク養殖は、このマスクを旭面などと呼んで、使っていたので、無くなってしまうとこまる。杉浦さんという方がクラウドファウンディングで資金を集めて、子のマスクを復元された。浅い海での労働には、このタイプのフリーフローマスクは、水中作業が続く限り不滅だと思うのだが。
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 アメリカでも、デスコという会社で作られているマスクが、軽作業に現在でも使われている。デスコのマスクは、デマンドバルブ(レギュレーターのセカンドステージ)が付いているものと、デマンドバルブが省略されて、フリーフローにしたものとがある。金王式に近いマスクである。  

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