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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1009 潜水の歴史17 マスク式4 山本式マスク

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 ものを作って売るという行動、商売は、特許と切手も切り離せない。大串岩雄氏は、発明一筋、すなわち特許一筋だったわけで、自分もあんまり成功しなっかったが、いくつも特許をとった。


 そもそも、特許とは、ある工夫、ある製造物について、その考案者が出願して認められた場合、ある期間それを独占的に、製作し販売できるもの、と僕は理解している。
 大串式は、世界に特許を出願したからこそ、世界に知られているのだが、大串式関連の特許で、わからないところ、疑問点が二つある。
 小説「海底の黄金」では、東京潜水工業か、もしくは片岡弓八親方が、アラフラ海に特許を売り込みに行く下りがある。ほんとうにあった話らしいのだが、現地のヘルメット式と、命をかけた、潜水病をかけた競争を行い勝利を納める。勝ったので特許を5万円とか7万円で買ってもらおうとするのだが、買ってくれない。
 この場合にいう特許とは、アラフラの真珠組合が大串式を製造販売する権利なのか、それとも大串式を使って、貝を採る権利なのだろうか、使う権利ならば大串式マスクを買えばいいだけのことで、それは、特許とはちょっとちがうだろう。特許料?5万円を払わなければ、アラフラのダイバーは、大串式を買うことができない。売ってやらない?それは、おかしな話だ。大串式マスクを買ってもらおうと販促に行ったのならばわかるが、それは特許を売る話ではないだろう。
 よくわからないが、とにかく、アラフラのダイバーは、歯で噛む潜水器、を使おうとはしなかった。ダイバーの根性として、あたりまえのことだろう。
 アラフラで、貝を採る権利をよこせ、という話でもなさそうだ。何しに行ったのだろう。
 やはり、大串式の、まとめ買いをねらっていったのだろう。
 しかし、その一方で、大串式を一手に扱う東京潜水工業は、マスク式を売ることに熱心ではなかったと大串岩雄は不満を書いているが、そして、ほぼ同じ時期に、同じような、歯で噛む弁を使った山本式というマスクができて、売り出され、これが普及する。この山本式は、大串式の特許に抵触しなかったのだろうか、これが、第二の疑問である。
 
 1915年、大正4年 山本虎多は山本式マスクを考案し、特許を申請している。大串式の最初の特許申請が1914年である。また、大串式が、世界にタンクを背負っている写真を出して特許をとったのが、1918年(大正7年)である。


 大串式と山本式を並べて、比べてみたい。が、できない。山本式の実物がない、どこかにあると思うが、どこにあるかわからない。手に取って見られないのだ。


 1959年10月、僕は東亜潜水機に入社する。そして、倉庫の一角に自分の工作机を確保する。その工作机は、僕の前任者であった菅原久一師匠が循環酸素式潜水器を作った工作机でもあったのだが、その後ろに、マスクが一個吊してあった。菅原久一さんは、吊すことが好きな人で、彼が東亜潜水機退社後に設立した潜水研究所には、売り物のマスクやフィンが、そして、コーネリウスの小さなコンプレッサーまで吊してあった。この潜水研究所が後藤道夫が修行していたところなのだが、
 僕の机の後ろに吊してあったマスク、山本式であったのだ。もちろん、手にとって見ることはしたが、当時の僕は、それが何であるか知らない。見ただけだ。ある日、社長が、そのマスクを持ってこいという。吊してあるので、それがそこにあることを知っていたのだ。社長は手に持って眺めていたが、「これなら使えるな」といって売ってしまった。「何ですか、このマスクは」「山本式といって、もう売っていないマスクで、探している人が居てね」これが、おそらく、新品?の最後の一個だった。
 
 その後、真鶴の岩の組合の倉庫からこのマスクが出てきたと、新聞に小さくでた。見に行こうと思いつつ、時間が過ぎて、フリーダイビングの岡本みすずが、岩の組合のお世話になるようになり、彼女を通じてマスクを見せてもらおうとした。ところが、ない、というのだ。だれもそんなマスクは知らないという。新聞にでたくらいだから、捨てはしないだろう。だれかが、持っている。
 
 山本式は、歯で、口の動きで弁を作動させ、鼻から呼吸することはほとんど大串式と変わらない。このことは、山本式の参考文献である「潜水の友」に明記されているが、これが、なぜ大串式の特許に抵触しなかったのだろう。
 おそらく、大串式の特許で、口で噛んでバルブを開くという、基本コンセプト、口で噛んで鼻で吸うという行為は特許にならなかったのだろう。口で噛む機構の特許であり、その機構は、ちがっていた。
 どこがちがうのだろう。もしかして、山本式の方が、使いやすかったので、売れた?手元に二つの潜水器があれば比べられるのだが。
 なお、山本虎多は、船長で、片岡弓八とほぼ同じころ、商船学校を卒業している。友人関係だったろうか?虎多氏はダイバーでもあり、サルベージ作業中に亡くなっていて、販売会社の日本潜水株式会社には、名前を連ねていないらしい。
 ダイバーとして死んだ山本虎多、ダイバーを使って金貨を引き上げ富を得たダイバーではない片岡弓八、僕がどちらに好感を持つか、山本虎多だ。山本虎多のこと、もっと知りたいが、資料がない。


  ここから、示すちらしは、フェイスブックの友達であるマキ・ムラタ氏が送ってくれたものだ。
 ムラタ氏には、ヘンキーヘルメットの写真も送ってもらった。潜水の古物を集めることを趣味にされていて、僕を援けてくれている。
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 チラシ(カタログ)には、年月日の表示がないので、何時つくられたのかわからないが、おそらくは、昭和初期、昭和10年以前だろう。この後に述べる三浦定之助著の「潜水の友」は、山本式マスク販促の、今でいうダイビングマニュアルであるが、その発行が昭和10年(1935)で、発行所が、深川区、永代になっている。チラシの住所表記は、深川区黒江町である。
 チラシには、大日本水産会、水産講習所の推薦を受けて居る表示がでている。山本式マスクは水産での使用を目標にしている。
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 次のチラシ、大串式と同様にタンクを背負った写真を使っている。その下が価格表だが、ダブルタンクが120円であり、マスクが100円だ。そして驚くのは、水防装置圧力計 40円で、水密の圧力計、残圧計があったのだ。高圧コンプレッサーは、価格表にないから、おそらくは、実用ではなく、実験的な看板だったのだろう。そのころの100円というのが、今の貨幣価値でいくらに相当するのだろう。自分の感覚では、50万ぐらいだ。
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 そして、さらに驚くのは、「山本式潜水ジャケット」これは、浮力を得ることもできる重錘で、BC.なのだ。


 山本式マスクの特許申請らしい、チラシもあるが、これを読んでも、いくら読んでも理解不能。実際にチラッと手にして、見た記憶をたどると、そんなに複雑な機構ではなかったように思う。
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 この項続く。



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