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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0925 ダイビングの歴史15 マスク式 2

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大串式潜水機 2


 岩雄は、上京して東京潜水工業で、歯で噛む方式の潜水器を完成させる。特許は東京潜水工業の渡辺理一の名前で、世界各国、イギリス、アメリカ、フランスに出願される。1918年(大正7年)のことであった。


 上に示した写真、図は、英国の潜水団体BSACのテキスト(英文)「Sport Diving:19871年版、からの転載である。僕は、このBSACのダイビングのテキストが好きで、英文を読み切った数少ないテキストの一つである。ダイビングのフィールドワーク、僕らが主唱している「リサーチ・ダイビング」に詳しく、図も多い。 そして、The Hidtory of Diving のセクションにこの図がでている。
 左端がルケヨールの潜水機で、右の二つの図が、Ohgushi Diving apparatus で、1918年に英国の特許を取ったと書かれている。シリンダーの充填圧は150気圧とある。写真を見ると、150気圧の高圧を、手動の減圧弁で減圧しマスクに導いている。現在の高圧弁(ファーストステージ)と同じであり、これはもう完全なスクーバである。ゲージがついているが、当時、水密のゲージは、実用として有ったとは思えない。1943年にクストーのレギュレーターの型でも、残圧計がついたのは、1960年代である。テストした時のものを写真にとったのだろう。
 が、とにかく、英国の特許を取っていたから、写真も後世にいたって使われ、認められている。ここでの記述では、このタイプの潜水機の歴史は、ルケヨール、大串、そしてクストーの順になる。
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 大串式マスクの実物は、1950年代に日本のダイビングのリーダーの一人であった菅原久一さんが持っていたものを菅原さんの死後、日本の指導団体ADSの創立者であった望月昇さんが譲り受け、望月さんの逝去で、石黒信雄さんが仲介して、船の科学館に置かれ、展示されていたものが一台、アメリカのデマ・ショウに陳列されていたもの、2台がある。アメリカのものは写真でみただけであるが、手を加えられ、もしかしたら、使える状態になっているもののようにも見える。もしも、レプリカが作られていて、それで潜ることができているならば、それは、それで、楽しいことではある。
 僕も大串式を再現(レプリカを作って)して、それで潜水してみたい。実物が有るのだから、やればできるのだが、不急のことであり、時間とお金の余裕がない。


 話をもとにもどして、東京潜水工業が、サルベージに使用したマスクは、深海潜水を目指したもので、ホースで送気する方式である。
 これを使って大正8年(1919)には、土佐の海底水深100mから、白色珊瑚を採集したと、大串岩雄の「発明一筋」に記述がある。深海の宝石珊瑚の採集もまた、深海潜水の大きな目標の一つである。
 その他。東京潜水工業の業績としてパラオ諸島に沈没していた英国船「エジンコート号」のボイラー引き上げ、長崎港内に古くから沈んでいたノルウエー船「カランダ号」よりの貴金属引き上げ、英国船「ナイル号」からの王冠の引き上げなど、をある時は、自社で、ある時は潜水機の貸与などでおこなったが、めざましい成功は修められなかった。しかし、それらの経験により潜水機は改善され技術は向上した。
 そして大正14年(1925)の八坂丸からの英国金貨10万ポンドの引き上げの成功である。。
 しかし、この莫大な富の引き上げも、大串式潜水機の発明者である岩雄氏を潤すことはなかった。
 しかし、昭和7年(1932)から4年にわたって行われた対馬沖で、日本海海戦で沈められたバルチック艦隊のナヒモフ号の引き上げも大串式が使われている。すなわち、水深60m以上での潜水作業については、大串式が世界のトップであった。それでも、この潜水機が世に普及することがなかったのは、特許権を持つ東京潜水工業が、潜水機自体を売ることに力を入れず、むしろ売らないで、自社の深海での潜水作業においてのみ、独占的に使用しようとしたことにある、と「発明一筋」では述べている。
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             上は、マリン大ビンg誌より、発明一筋に転載したものの転載


 そして、さらに、岩雄氏は、歯で噛む方式の弁の部分を改良して、歯で噛まなくても自動的に空気がくる方式の研究に取り組む。その結果、大正9年(1920)に今度は岩雄氏の自分の名義で、大串式自動呼吸器:特許35898号で出願している。その概要を発明一筋から転記すると、「外部の水圧とマスク内部の空気の圧力の差によって運動する薄いゴムの膜を設け、その膜の動きを伝えて空気の供給口が自動的に開閉するような弁を考案した。この弁機構によってマスクの内圧と外部の水圧とは常に均衡が保たれ、潜水夫の必要に応じた量の空気が自動的にマスク内に供給されることが可能になった。」これも、もう、現在のレギュレータの原理である。このことを雑誌マリンダイビング 1971年 第9号で「アクアラングの発明は日本が先だった」と報じている。使われている写真は、1918年の歯で噛む方式の大串式ではあるが、原理としては、大串式の方が、クストーのアクアラング、1943年よりも23年早い。しかし、実用にならなかったと思う。


 これは、僕の考えだが、大串式の自動弁は、呼吸抵抗が重すぎで使い物にならなかっただろう。ダイバー、潜水夫の側としては、原理とか特許はどうでもいい。苦しくては使い物にならないのだ。しかも、大串式の目指しているのは、水深60mを越している。
 水深60mになると、圧力で空気が濃厚になり、呼吸抵抗が大きくなる。自分が経験した水深90mの実験潜水では、レギュレーターのマウスピースから出てくる空気はところてんのようで、換気が極度にわるくなり、炭酸ガス中毒になる。換気不足の炭酸ガス中毒は窒素酔いよりも恐ろしいし、不快だ。窒素酔いは気持ちが良い。空気の窒素をヘリウムに置き換えるのは、この呼吸抵抗、換気の不良になる障害の解決のためでもある。
 水深50mを越えたところでは、歯で噛むと、マスク中に空気が噴出してくる。また、マスクの内容積も小さい大串式が優れている。自分の経験でも、カービーのバンドマスク(デマンドバルブ付のフルフェースマスク)を使って深く潜ると、フラッシングバルブ(マスクの曇り止めのために放出される空気)を開いてマスク内に空気を噴出させて苦しさをとめる。歯で噛むことにより空気がマスク内に噴出することが、大串式の大きな利点だったのだ。
 現在2021年のレギュレーターの呼吸抵抗は、1950年代のレギュレーターに比べて、夢のように軽いが、初期のレギュレーターは、深く潜るとつらかった。
 大串式を使った潜水夫は、苦しい自動弁などただちに切り捨てたろう。
 大串岩雄氏は、このことも、知っていて、深く潜るときは、噴出する弁を使うことにして、この二つを切り替えて使うことを提案している。
 この二つの弁を使う潜水機は実用になってはいない。


 岩雄氏のその後であるが、東京潜水工業は、第一次世界大戦が終わり、引き上げた沈没船などの価格が下がり、経営が困難となり、大正11年(1920)には休止の状態になってしまう。時系列で見ると、莫大な金額を引き上げた八坂丸が1925年だから、それでなんとかならなかったのかと思うが、そのことの記述はない。後述するが、どうもこのあたりの時系列が判然としない。
 とにかく、岩雄氏は、大正12年(1921)年に東京潜水工業を退職して、独立、発明家の道を歩む。そのとき、実に22歳なのだ。ものつくり、潜水機つくりの天才であったことは、まちがいない。そして、その後のことは、潜水の歴史とは関わりないので省略するが、カメラを作ったり、ラジオ関係の仕事をしたりで、発明一筋の生涯を送られた。かなりな成功を収められている。
 発明一筋ではなく、「潜水一筋」だったらと思わないではないが、そうしたら、潜水病死ぬか、後遺症で悲惨な生涯を送ったかもしれない。



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