↧
1125 JAUS シンポジウム5
福田克之撮影 12月1日のシンポジウム、午前中は学生のダイビング、午後は研究者の発表で、これは「環境DNAで、魚類の数と種類が把握できるか」、 「珊瑚礁の保全」、「東京湾お台場の水質管理」、プラゴミの問題は、JCUE でも熱心に取上げているし、別の切り口を探さないと、JAMSTECから、環境省にそのテーマで移籍した...
View Article1206 JAUSシンポジウム 6 締めの挨拶
シンポジウム、反省点というか、考えさせられることは、山のようにあり、また、それで学習しているのではあるが、ワンコインの懇親会で、15秒で締めの挨拶をまとめろと言われ、ブログに書くから、読んでくださいと、挨拶した。早急にブログを書かなくてはならない。...
View Article1228 第29回 人工魚礁研究会 波左間
魚礁の上に乗せた360度カメラ 12月26日 今の季節だから、当然ともいえるが、風邪が流行っている。 今年最後の波左間, 潜り納め。出席は、須賀、山本徹 佐藤允昭、鶴町雅子の4名。 天候は薄曇り、波はなくて、凪。今頃の季節として、この凪はラッキーだ。 ダイブコンピューターの電池が切れてしまっていた。毎度わかっている潜水で、全員一緒の潜降、浮上だから、問題はないが。...
View Article0101 日記と読書
日記 31-1日 31日 「完結 スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」 1977年が第一作だというから、40年余だ。そのほとんどを見た。全9作のうちで、7っは見ている。 考えると辻褄のあわないところがずいぶんあるけれど、作り続けられた理由は、3D...
View Article0109 ダイビングの歴史89
※巻頭の図に何を持ってこようか、日本潜水科学協会の機関誌どるふぃん、にしようか。 結局1956年に、僕にダイビングを教えてくれた、白井祥平先輩の写真にした。 手にしているのは、ニコンマリン、奄美大島でs、撮ったのは、たしか僕だった。 ダイビングの歴史89 9月5日にダイビングワールドの76年3月号について書き、以後、ダイビングの歴史停滞している。...
View Articleダイビングの歴史 INDEX
ダイビングの歴史 INDEX ダイビングの歴史節目なので、ここから書くために、これまでのダイビングの歴史ブログのインデックスを作った。それにしても、よく書いたと思う。今度書き始めたシリーズと 年表を整備して、コラムを入れて、全体を削って形を整えられれば、(自分では難しいかもしれないが、)ダイビングの歴史の出版ができる、 https://jsuga.exblog.jp/27997798/ 2018...
View Article人工魚礁研究会 INDEX
人工魚礁研究会 INDEXhttps://jsuga.exblog.jp/29378922/が1回から28回までの人工魚礁研究会の INDEX である。 これに引き続いて、29回から 2020年までの2019年分を まとめておく。 5月22日 第24回 人工魚礁研究会 24回は間違い、29回になる。https://jsuga.exblog.jp/29437438/ 参加メンバーは 須賀...
View Article0111 ダイビングの歴史 101 学生のダイビング
写真は1958年、東京水産大学 一級上の竹下徹先輩 着ているウエットスーツは、独立気泡ではないスポンジ クストーらが映画沈黙の世界で着ていたものと同じ(多分)背負っているタンクは、フランス、スピロテクニックのアルミ製...
View Article0113 ダイビングの歴史102 学生のダイビング2
ダイビングの歴史101を書いてみて、これは大変、まずテキストで下書きをする。これを僕はキングジムのポメラという小さい、テキスト専用のワープロで打っている。下書きをしながら、資料を参照して、確認したり、写し取ったりする。 それを、およその一回分ぐらいずつ、PCにとりこんで、推敲するとともに、使う写真を探し、選ぶ。...
View Article0114 座右の銘
ブックオフで110円で、座右の銘1300(宝島文庫)を買った。辛い日々が続くから、この本を開いて、目に入った座右の銘を読めば、耐えて生きる力を取り戻せるか、と期待したのだが、110円では無理か? 古今の有名な人の言葉、「この言葉は、この人だったのか」と言うことがわかり、その意味でこの本は、座右に残すかも。 それぞれ、自分には自分の座右の銘があると思う。 無い人もいるだろうけど。...
View Article0122 ダイビングの歴史 番外
ブルーゾーン 1月15日、辰巳プールの練習会に行った時、集合しているテーブルに辰巳水泳場事務所の横山さんが来て、僕宛の封書があると持ってきてくれた。どういう経路で、僕宛のものが横山さんのところに行くことになったのかわからない。封書の宛名の部分に須賀の名前はない。封も切っていなかったから、おそらく、メールなどの別の往復があって、封書が送られてきたのだろう。...
View Article0124 ダイビングの歴史 104 JOTEC(2)
スナックとの間のガラス窓 背中に付けているのはフーカーでタンクを背負わずに潜ることができる、指導員はフーカーで潜った、...
View Article0126 ダイビングの歴史 105 学生 サジッタ
櫓を漕ぐ竹下徹先輩、一年上 今もお元気 サジッタとは、海に住む大型の肉食プランクトンである。 (https://www.hro.or.jp/list/fisheries/marine/att/o7u1kr0000001asr.pdf ) ※上記 面白いので読んでください。 ジョテックは閉鎖になった。後始末をつけなければならない。...
View Article0130 ダイビングの歴史 106 小湊合宿
1950年代の東京水産大学小湊実験場 真ん中の円形の建物が、一階は水族館、2階が僕らの実験実習室、左手が僕らの宿舎、右手の建物が先生たちの実験室。 中央に海に降りる,階段がある。 現在は千葉大学に移管されている。海に降りる階段は、昔のままだ。 小湊での合宿。第一日目、集合した日の午後だ。まずスキンダイビングで身体ならしをする。。...
View Article0203 ダイビングの歴史 107 学生連盟
ようやく、関東学生潜水連盟に話をもどす。 話を戻すので記述は、少しダブル。 1968年 関東学生潜水連盟は、法政アクア3期の銭元健二君が初代の委員長、第二代の委員長が、水産大学潜水部...
View Article0207 石垣島
日記 雑感 石垣島、に行き、4日、5日と 一回づつ潜水して、6日は時化で、西海区水産研究所亜熱帯研究センターに遊びに行き、昨日7日に戻ってきました。亜熱帯研究センターには、前に、一緒に潜っていた友人がいるのです。リサーチ・ダイビング入門の本をてつだってもらうことになっています。本はいつになるかわかりませんが。 亜熱帯研究センターは、川平の隣の海大...
View Article