ブックオフで110円で、座右の銘1300(宝島文庫)を買った。辛い日々が続くから、この本を開いて、目に入った座右の銘を読めば、耐えて生きる力を取り戻せるか、と期待したのだが、110円では無理か?
古今の有名な人の言葉、「この言葉は、この人だったのか」と言うことがわかり、その意味でこの本は、座右に残すかも。
それぞれ、自分には自分の座右の銘があると思う。
無い人もいるだろうけど。
神々の山頂 夢枕漠、その末尾から、
よく考えてみれば、あれは私の姿なのです。そして、あなたのね。
この世に生きる人は、全て、あの二人の姿をしているのです。
マロリーとアーヴィンは今も歩き続けているのです。
頂にたどりつこうとして、歩いている。
歩き続けている。
そして、いつも、死は、その途上でその人に訪れるのです。
軽々しく、人の人生に価値などつけられるものではありませんが、その人が死んだとき、いったい、何の途上であったのか。たぶんそのことこそが重要なのだと思います。
私にとっても、あなたにとっても、
何かの途上であること
あの事件が、私に何かの教訓をもたらしてくれたとすれば、たぶんそれでしょう。
N..E オデルインタビュー
1987年1月 ロンドンにて
「岳望」1987年3月号 「ヒマラヤの証言者」より
オデルは1987年2月イギリスで死んだ。96才であった。
知ってのとおり、ジョージ・マロリーはエベレストの初登頂を目指し、1924年、山頂付近を登頂している姿が望遠鏡で確認されている。遺体は1999年に発見されている。彼が山頂に立ったかどうか。
僕は、小学校6年生の時、富士山に登ったことがある。生涯での忘れがたい経験だったが、その後はハイキングもしない。だから、足腰が弱い。弱点になっている。でも、登山にのめり込んでいたら、生きていなかったとも思う。登山家では、小西政継さんとラジオで対談したことがある。僕が60才100m潜水をやったあとだった。「もうこれからは、無理をしない登山を楽しみます」と言っていた。そのあとすぐに、1996年、小西さんはヒマラヤ、マナスルで亡くなった。
登山の本はずいぶん読む。座右に10冊くらい残している。
ダイビングはしないけど、ダイビングの本は座右に5冊くらい残している。と言う人が居るようになるといいのだけど。僕には、もうほとんど時間が残されていない。
夢枕漠さんとは、テレビ番組の撮影で一緒にトカラ列島の旅をしたことがあり、その時のことは、書いた記憶がある。忘れがたい旅だった。漠さんが帰ってからだったが、流されて死にかけた。