結局1956年に、僕にダイビングを教えてくれた、白井祥平先輩の写真にした。
手にしているのは、ニコンマリン、奄美大島でs、撮ったのは、たしか僕だった。
ダイビングの歴史89
9月5日にダイビングワールドの76年3月号について書き、以後、ダイビングの歴史停滞している。
その後、お台場について書き、シンポジウムの準備から、実施、シンポジウムについて書くことが多く、ダイビングの歴史に時間を割けなかった。
シンポジウムで発表したように、「リサーチ・ダイビング」も書き始めるし、難航が続くが、あきらめたわけではない。
はじめに(再開するにあたって)
歴史とは、俯瞰して大づかみに見る歴史と、細部に立ち入り個人の生きている道筋をたどるような、寄りの目で見る歴史がある。もちろん、その中間もある。大きく俯瞰して見るダイビングの歴史は、結果、結論の並記であって、年表とその解説ですむ。その部分は、だいたいできあがっている。
できあがっているが、それだけでは、自分が書くという意味、苦労して本を書く、つくるという意義がないと思うようになった。寄って観る自分主観の細部こそが書きたいこと、書き残しておかなくてはいけないことだと思うようになった。
このごろ、グーグルアースをよく見るのだが、地球全体から寄っていって、街角、自分の住んでいる場所まで寄れる。そして、平面で見るか、3Dにするかも選択できる。歴史も同様で、どこまで寄るか?どの視点でとめるか、どの角度から見るか?がポイントになる。
ダイビングの歴史のように、限定されている範囲の歴史では、俯瞰は年表で事足り、寄ってみられる細部が重要、必要だと考える。
細部は、ノンフィクション、物語のようなものでもある。
ノンフィクションも物語も、生身の人間が書いている。主観を通している。
自分のこと、自分の意見を書いておくことも意味があり、価値があると思う。例えば今の時点で、1970年代の雑誌「海の世界」を読み解いていて、菅原久一さん、猪野峻先生らが、自分のこと、自分の主観でダイビングのことを書いたものがあると、それは貴重な資料である。グーグルアースの、その時代の街角が見える。
既に、自分のことは、ニッポン潜水グラフィテイで書いているが、自分のことが中心、ほとんどで、その時代の歴史としては書いていない。
これまで、なにかと教本、マニュアルの類を書いていたことが多かったので、客観的に見て正しくなければいけないのではないかと思っていた。しかし、それは、PADI やNAUIなどのマニュアルで充分である。須賀次郎というダイバーが、歴史の視点で書いたものが良い。アメリカにはそんな本がたくさんある。もちろん、個人の主観だから異論はあると思う。それはちがうと、できるだけ資料の裏付けがあるもの、集めた資料よって、資料について、自分の主観、考えを通して書いて行く。事実としてでたらめではいけないので、できる限り、裏付けとなる印刷物を資料として集めている。
その資料に基づいて、自分の位置、自分のその時の位置から書こうとしている。
今現在、書こうとしていること、自分でなければ書けないこと、書かなくてはいけないと思っているテーマの主な項目であげると、
①学生のダイビング 主に関東学生潜水連盟について
②競技会 フリッパーレースについて
③日本の指導団体、指導組織について、揺籃期1967年から1980まで。
日本潜水会 全日本潜水連盟 そしてNAUI、PADIなどアメリカ生まれの団体が、日本にやってきた、その揺籃期について。NAUIもPADIも、日本に入ってきて大変貌を遂げている。その変貌ぶりは、日本の団体の比ではない。そのことも、歴史としては書いておかなくては、この部分に一番、異論がありそうだが、そのことも期待して、自分の視点から書きたい。
④リサーチ・ダイビング 人工魚礁調査について
これは「リサーチ・ダイビング」と言う本を別に企画しているが、その本も自分が書くと、どうしても、歴史がその背景になる。それで、良いと思っている。
この四つについて、まず順に書いて行こう。
なお、1980年までは、自分のダイビングがレジャーイビングとしても、スタンダードだと思っていたし、王道だったと思う。
1980年代以来、リサーチ・ダイビングと撮影に進路を向けたので、レジャーダイビングについては、今現在の実情からは、偏っていると思うが、それはそれで、歴史の視点から見たものとして、価値があるだろうし、それで良いと思っている。
自分と同じ考えを読んでも面白くないし、ためにもならないだろう。違う視点から書かれたものを読んで、考えたり。反論したりすることに意味があり、価値が生じる。
ここまでは、まえがき、コンセプトなのだが、書き進んでいくうちに、フィードバックして前書きも変わっていく。最終的に出版原稿となるときには、がらりと変わったものになっている可能性が大きい。また、ちがって、進歩したものになっていることが望ましい。
ダイビングについて、書こうとすると、その部門の如何にかかわらず、どうしても、その安全管理と危機管理が、背景、基調になってしまう。それはそうだ。生きて無事に成果を持ち帰ることが目標の第一なのだから。事故から事故へ、飛び石のようになってしまう。
成果というと、リサーチ・ダイビングならば、調査記録になるが、「楽しかった」「生きる力を汲み上げた」も成果として重要である。そして、それが、レクリェーションの成果である。