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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1123 雑感

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 少し、ブログの間が空いた。
 別にかまわないのだけれど、時間が少し空いた。あと1時間、ブログを書いて16時10分になったら、でかけよう。今日は、旧友の尾崎さんが、東京湾の生き物についての本をだして、その記念パーティがある。お酒を飲まないことにしている僕は、自分の主宰する何かのパーティでないと、出かけて行かない。考えようによっては、身勝手なことだが、周囲で行われるパーティの全部に出ていたら、今の僕の経済状態では破産してしまう。
 尾崎さんのパーティは、共同通信の新藤さんからの連絡で、発起人とされてしまった。自分主宰のような感じにさせられてしまった。
 パーティの場所は、永田町にある「オーシャン」という洋風居酒屋ということで、この「オーシャン」にも今日がはじめてということになる。行かなくては義理がわるいとおもいながら、上のような事情で行かなかった。今日が初めだ。初めての場所というのは、なんとなく不安である。なんとか行かれるだろう。
 ところで、尾崎さんのパーティで、なにかあいさつをしなければならなかったら、何を話そう。僕の話は長くなってしまうのが欠点だ。もしも、シャベルことになったら、尾崎さんの作ったGスーツの話をしよう。彼は日本でのドライスーツの元祖なのだ。このことはあんまり知っている人がいないのでは、と思う。
 これは、1976年のダイビングワールドに載った広告だ。
 1976年は海洋博のあったとき、いまから40年前のはなしだ。
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 発売元が東亜潜水機、代理店がオーシャンダイバーズになっている。
 東亜は、僕が大学を卒業して、10年間勤めた潜水機製造販売会社であり、オーシャンダイバーズとは、今、お世話になっている波佐間海中公園の荒川さんの会社だ。
 因縁が深い。僕は1958年から、東亜にお世話になり、1968年に退社するのだが、その退社する少し前のことだった。
 東亜に、尾崎さんと荒川さんが訪ねてきた。そのころすでに、尾崎さん、荒川さんとは仲の良い友達だった。その二人とのなれ初めというか出会いからの話は長くなるし、ここの主題であるドライスーツとはかかわりのない話だから、省略する。
仲の良い友達だったのだが、彼らは、僕を訪ねてきたのではなかった。東亜の社長、三沢さんを訪ねてきたものだった。
 
 ドライスーツは潜水服だから、ウエットスーツよりも古い歴史がある。東亜潜水は、その潜水服のメーカーなのだ。ただ、その潜水服はヘルメット式潜水の潜水服であり、スクーバでは、ドライスーツはコンスタントボリューム型という特殊なものしかなかった。そのコンスタントボリュームも東亜潜水機が作っていたのだが、とにかく特殊なものだった。
 ドライスーツをスクーバで使う際の問題は、まず、スクイースだった。今、ドライスーツにインフレータから空気を入れて、スクイーズにならないようにしているが、このインフレーターホースをつながないで、潜るとどうなるか?足の方から締めつけられてきて、10mも潜ると身体全体が締め付けられてひどいことになる。やってみたことはないが、実験してみると面白い。とにかく、服の中に、空気を入れて、服の内外の圧力を等しくしてやらなければならない。
 コンスタントボリューム型とは、マスクも服と接合されていて、マウスピースも服の内側にある。つまり、顔の部分が露出していないのだ。これで、服の中に、空気を入れることができて、スクイーズが防げる。 あ、時間が来てしまった。
 続きは、この話を尾崎さんのパーティでしたら、帰ってきてから書こう。でもこんなに長い話をパーティでできるだろうか?

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