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0312 ダイビングの歴史53 ブルーゾーン2
広告、ダイビング機材の広告はその時代、その時期を反映する。 1967年に日本潜水会は、スピアフィッシングの禁止を決議して、魚突きのチャンピオンであった鶴耀一郎は、奄美大島に移住(お父さんの実家だという)プロの漁師、ウミンチューになって魚突きを続けた。しかし、機材販売の世界は、また別の世界。1968年も水中銃が主役。...
View Article0316ダイビングの歴史54ブルーゾーンロレックス杯水中スポーツ選手権大会
ブルーゾーン 1969 ロレックス杯水中スポーツ選手権大会 「三号雑誌」という言葉がある。三号でつぶれる、三号までしか出せない雑誌のことをいう。カストリ雑誌と言う言葉もある。戦後、ものの無い時代にカストリ焼酎という粗悪な酒があって、三合飲むとつぶれる。具合が悪くなるので、カストリ雑誌と言う言葉もあった。カストリのホウハ、エログロで、内容の方もカストリなのだが。 ブルーゾーンも3号でつぶれた。...
View Article0317 ダイビングの歴史 55 ブルーゾーン ロレックス杯 2
女子300mフリッパー 優勝益田、二位蜂谷 大会は、1969年 5月9日集合で、10日の土曜日、11日日曜日 二日にわたって行われた。 競技種目だが フリッパー競泳は 男子800m、女子300m スクーバを付けた潜水競泳は1000m そして水中射撃は、35m水平潜水していって、定められたラインの内側から、3m先の標的を打ち3回トライの合計得点を争う。...
View Article0323 ダイビングの歴史56 マリンダイビング創刊1969
マリンダイビング 創刊号 1969年1月号 マリンダイビング 創刊号からかなりの数を持っていたのだが、潜水部の後輩のT君が水中造形センターに就職するというので、お祝いにあげてしまった。その時にはまだダイビングの歴史を書くとは思っていなかったので、ダイバーなども処分してしまった。...
View Article0325 ダイビングの歴史57 海の世界 1972-01
雑誌でダイビングの歴史を追っている。 何か意味があるのだろうか?古いダイビング雑誌をノートをとって読んでおくということ、回り道のようだけれど、ダイビングの歴史を書く上で、必要なことだと思っている。でも、まどろっこしい。 マリンダイビングの創刊が1969年1月号...
View Article0326 ダイビングの歴史58 海の世界 1972-01
1972年1月号 海の世界 1970年代、当初に述べたような事情で、マリンダイビングが手元にない。 70年から、ダイビングワールド創刊の1975年6月まで、トピックスだけを「海の世界」で追って行こう。 1972年 5月15日...
View Article0327 ダイビングの歴史 59 海の世界 1972-04
t タバタのウエットサブ 海の世界 1972年 4月号 「恐竜の子孫が生きていた」白井祥平 白井先輩はインドネシアの...
View Article0328 ダイビングの歴史 60 海の世界72年5/10
ダイビングの歴史 60 海の世界 72年 5月号 潜水艇「はくよう」 日本海洋産業 の本格的潜水艇で水深300mまで潜れる。 使い勝手が良くて活躍した。 後に宝石珊瑚採集の漁船になった。 海の世界 72年 7月号 第5階全日本水中スポーツ選手権大会 伊豆海洋公園で行われた。 まだ日本潜水会主催である。 400mでは、年齢別が採用された。26歳から35歳 36歳以上...
View Article0329 ダイビングの歴史61 海の世界1973-1
建設中の船の科学館 1973年は、一年分をひとまとめにするけれど。 クリックで画像が大きくなって、字が拡大で見られるならば引用はなくて、説明コメントだけで進めるから良いのだが、プリントしたときは拡大できない。これは、今使っている仕組みの上で仕方がないこと。...
View Article0402 お台場(3月31日)
3月31日 お台場 まだ、右腕の痛みはとれない。使わないようにすれば痛くない。もう一息で治る。しかし、右腕を使わないダイビングはちょっとつらい。朝と、午後、車への荷物の積み下ろしは、奥村君に手伝ってもらった。 3月、そろそろ魚たちが出てくる時期だ。 撮影の予定としては、2月に引き続いての牡蠣のライン撮影、加えて牡蠣を割って、蟹を集めたい。その牡蛎をねらって、カメラ設置 1時間の動画撮影。...
View Article0407 更新講習会-1 鉄多加志
ログは、ダイビングの歴史とダイビングのログだけにしようときめていたのだが、古いブログを遡ってみると、バラエティがあったほうがおもしろい。 公認スクーバダイビング指導者更新研修会について、フェイスブックでは、思うように書けないのでブログにする。 こういう前置きは無いようにしようと決めているのだが、 なお、貼り付け写真が多いので三回に分けることにする。...
View Article0407 更新講習会-2 順天堂大学名誉教授 河合先生
次は僕の主治医でもある河合先生の講演で、テーマは肺水腫と高齢ダイバーについてであった。 肺水腫はつい数日前に僕の定期検診のさいに、今書いているスキンダイビング・セーフティのニ訂判に 浸水性肺水腫について書いていて、そのことについて教示をお願いしたばかりで、その答えも含まれていると思うので、おろそかには聴けない。そして、高齢とは残念ながら、もろに自分に帰ってくる話だ。 症例1...
View Article0407 更新講習ー3 第三管区海上保安本部 警備救難課
ダイビング事故について 第三管区海上保安本部 警備救難課 伊藤さん 中野さんのお話 事故原因では、「自己の過失がもっとも多い」この視点からの海保の話は初めて聞いた。 事故例1 事故例2 これら事故例の説明では中野さんの説明は、これまでの保安官の説明のなかでも出色のものだったと思う。 海保の係り官の説明には、毎度感心はしている。それぞれが視点を変えて話を組み立てているように思える。...
View Article0408 ダイビングの歴史63 海の世界73年ー3
このブログを書いていて。 雑誌を書画カメラ(あまり性能がよくない安価な)でコピーしたものを貼りつけている。見開きで撮影しているが、見開きのままだと拡大できない。1ページに切断して貼ると拡大できて、スマホ端末の片手操作でも読むことができる。自分の資料的にはこれで足りる。 1973年9月...
View Article0409 ダイビングの歴史64 ライフジャケットからバランシングベストへ
次に、1973年海の世界 10月号 の続きで、この時代1970年代のスキンダイビング 素潜りのことをすこしくわしく取り上げるのだが 、その前にもう少し、ライフジャケットのことを調べよう。 たとえば、水深30mで炭酸ガス膨張式のライフジャケットを作動、膨らませて、水面に急浮上して良いか? 講習、指導では、厳禁と教えていた。 ところが、1973年 海の世界ー1...
View Article0311 ダイビングの歴史 52 ブルーゾーン 1
ダイビングの歴史 52 ブルーゾーン 1 ダイビングの歴史50 12月 で、雑誌、印刷物について、日本潜水科学協会の「どるふぃん」が終わって、1967年の日本潜水会の誕生あたりまで来ている。 「海の世界」は、ダイビング専門誌ではないが1963年には、舘石、須賀の90m大深度実験を掲載してくれた。そして、次第にダイビングの記事も出始めたが、ダイビング専門誌ではない。ダイビング専門誌は、1968年...
View Article0312 ダイビングの歴史53 ブルーゾーン2
広告、ダイビング機材の広告はその時代、その時期を反映する。 1967年に日本潜水会は、スピアフィッシングの禁止を決議して、魚突きのチャンピオンであった鶴耀一郎は、奄美大島に移住(お父さんの実家だという)プロの漁師、ウミンチューになって魚突きを続けた。しかし、機材販売の世界は、また別の世界。1968年も水中銃が主役。...
View Article0413 ダイビングの歴史65 海の世界73-10 スノーケリング
1973 海の世界 10月号 「気軽なスノーケリング(素潜り)のすすめ」 「潜水はスポーツでなく楽しいレジャー」 東京潜泳会会長 大橋禄郎 東京潜泳会は素潜りのクラブである。...
View Article0419 第20回 人工魚礁研究会 4月15日
4月15日人工魚礁研究会、これで、第何回になるのか、ほぼ毎回ブログを書くようにしているので、ブログで調べればわかるので、調べよう。 50回ぐらいは、行っているか? 調べてみたら、2015年の9月を第一回として、意外に少なく20回だった。...
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