海の世界 1972年 4月号 「恐竜の子孫が生きていた」白井祥平
白井先輩はインドネシアの バルーナ探検隊の調査に引き続いてニューギニア、そしてポンペイ、当時はポナペのナンマタール遺跡の探検、さらにポンペイからカピンガマランギ環礁の探検、そして、石垣島に探検の結果を展示し、造礁珊瑚の研究をする博物館・研究所を建設するのだが、ここでは、ニューギニアの東方、太平洋戦争で有名になった航空基地ラバウルのあるニューブリテン島の話だ。
ニューブリテン島の北方にウィルメッツ半島があり、その突端にダカタウア湖という火口湖がある。この火口湖にマッサラム(怪物)が住んでい手、それを見た近くの部落民はおびただしい人数になる。
先輩は当然、マッサラム調査に入る。
部落に入り、
率直に質問する。
「お前たちはダカタウア湖のマッサラムを知っているか?」
すると、彼らはしめしあわせたように。
「知ってる。知って居るとも」と口をそろえて首を大きく振った。
彼らの中で一番年輩らしい男は、フランシス・ウエハーの名乗った。彼は、「俺がマッサラムについては一番よく知っている。俺は本当に見た」といった。
そして、「俺だけでなく、プルムリ部落の人間はたいていマッサラムを見ている」と続けた。
「マッサラムは大きいか」ときくと、彼らはあたりをキョロキョロ見回して、向こうに見えるホテルの入り口を指さして、「あれくらいだ」と答えた。それなら10メートルはある。
次いで、どんな格好をしているのだと聞くと、ウエハーは、
「口はカマスみたいに大きく、鋭い葉がいっぱいある。頭は馬みたいに長く、毛が生えている。背中は黒い山みたいになっていて、手足はカメそっくりだ。そして尻尾はワニみたいだ。」
体の色については、「色はいろいろだ」「黒い時もある」「濃褐色のワラビーみたいなときもある。」
ついでウエハーは、「俺たちはこの怪物をミゴーといって恐れている」と言った。
彼らの言うこの怪物の特徴はあまりにも、中生代末期に絶滅した恐竜や海生竜に似すぎている。彼らはほとんど教育は受けていないし、まして、化石や古生物の知識なんて、かけらも持っていないはずだ。私はかれらば全くの作り話をしているとは思えず、これだけ正確に、しかも、即答できるのは、必ず何物かを見ている証拠だろうと信じた。
「では、お前たちはどこでそのミゴーという怪物に出会うのか」と私は聞いた。
ウエハーたちはこう答えた。
「ミゴーの住んでいる場所は決まっている。広い湖をあちこち泳ぐようなことはない。湖に二つの小島があって、その間にいつもいる。」
ミゴーは本当に居るのか、居たのか。
この話には後日談がある。
それは、この海の世界の記事がでた10年後、白井さんから連絡があった。ようやく、ミゴーの探検隊を編成して出かけることになった。僕に潜水隊長を頼みたい。これはもう万難を排して行かなくてはならない。
赤坂見附の地下鉄の駅前、東急ホテルの2階ロビーで会うことになった。そして、ちょうどその日、その朝の前夜、ホテルニュージャパンが火災をだし、30人が亡くなった。僕が行くと、まだ消防の後かたずけをやっていた。ニュージャパンの火災は、1982年 12月8日のことだった。
ミゴー探検隊は、隊長にSF作家の小松左京がなるという。スコットランドのネッシー、イギリス人は冗談をいうが、ニューギニアのウエハーたちは、冗談は言わない。本当のことなのだと。
丁度そのころ、僕は摩周湖の探検をやり、ゴムボートを摩周湖におろすのに苦労した。僕たちは持って行くゴムボートの相談をした。
しかし、この探検隊はどこかで消滅してしまった。小松隊長にも会わないで終わった。さらにその後、
たしかTBSだったか?この湖に行き、ゴムボートを下ろして撮影した。
ミゴーは現れなかった。現れなかったが番組はオンエアーされた。そのビデオは、探したが、残っていない。
恐竜は、人類の夢なのだ。ジェラシックパークもたしかオーストラリア辺の火山島ではなかったかな。
この号の「海の世界」はすごい。
「なんと3兆6千億円の海底財宝」日本の海洋開発の予算が確か54億だった。「東京湾に眠る幕末の沈船引き上げに半生を賭ける男たち」
今度本をだした荒川さんの早丸の話だ。
この記事を波左間に持って行って、話をしようと思った。が、3月25日、の人工魚礁調査は中止になってしまった。次回は4月15日だ。
この記事のコピーを持って行き荒川さんと話をする。それまで、この話は、ここまでとする。
ダイビング用品紹介の中の 水中カメラ
この中で三つがスガ・マリン・メカニック製だ。つまり僕が売っていた。
ブロニカマリン マーク7 20万 ニコンアクションマリン これはニコンFにアクションファインダーをつけたもの15万、マリンカプセルー8 エルモスーパーエイト を入れる、3万5千円。