ダイビングの歴史 60
海の世界 72年 5月号
潜水艇「はくよう」
日本海洋産業 の本格的潜水艇で水深300mまで潜れる。
使い勝手が良くて活躍した。
後に宝石珊瑚採集の漁船になった。
海の世界 72年 7月号
第5階全日本水中スポーツ選手権大会 伊豆海洋公園で行われた。
まだ日本潜水会主催である。
400mでは、年齢別が採用された。26歳から35歳 36歳以上
35歳で区切っている。まだまだみんな若かったのだ。36歳でロートルにされてしまう。
海の世界72年 10月
シートピア 水深30mの実海域実験 2泊3日だった。30mだから当然、長い減圧時間が必要になる。30時間の減圧だった。
70年代は 海底居住時代、この実験をやらないと世界の先進国と認められなかった?
特集 潜れる海が無くなる。
各都道府県、おおむね、密漁者とレジャーダイバーとの区別が付かなくて苦労している。ほとんどのレジャーダイバーは、規則的には密漁、規則違反のダイビングをしている。
ダイバーが新しく豊かな海をつくるとき 工藤昌男
今頃(1972)になって「潜水機を着用しての遊漁は一切、日本国の漁業権設定地域では許さない。(法律で決まっている当たり前のこと」と、当たり前のことを言っている。日本潜水会では1967年に、同じことを宣言し、潜水漁業の許可を受けた漁業者以外の水中ハンティングをやめさせる努力をしている。
潜水界の指導者はこう考える。
潜水とは何か、一人一人考えて行こう。
今言っていることとほぼ同じことを言っている。ブレていない。
自分のフィールドを持ち、それを大事にしていく、当然、社会に受け入れられなければいけない。
全日本潜水連盟が発足 1969年に発足した全日本潜水連盟は、スピアフィッシングを法的に認められるようにしようと結成された 社団法人 水中技術振興協会をつくり、そっちへ行ってしまった。その法人が空中分解したので、またまとまった。これをまとめるのに、僕が中心になって努力したのだが、振り返れば大間違いだった。まとまったためにポリシーが消滅してしまった。よく、清濁併せ呑むというが清濁ごちゃ混ぜにしてはいけなかったのだ。このまちがいの後悔が、2019年の今でも尾を引いている。
水中カメラのすべて、まだスガ・マリン・メカニックはがんばっていた。ゆがみの補正などを考えていて、一番先進だった。
ローライマリンは238000円だったが、もはや時代遅れ、ステイタスとして格好はよかった。
ストロボが次第に普及しつつあった。