建設中の船の科学館
1973年は、一年分をひとまとめにするけれど。
クリックで画像が大きくなって、字が拡大で見られるならば引用はなくて、説明コメントだけで進めるから良いのだが、プリントしたときは拡大できない。これは、今使っている仕組みの上で仕方がないこと。
自分もこの作業をしていきながら、考え、考え直していることが多いのだから、ここは、雑誌、書誌の部分を通り抜けるまでこのスタイルで行く他はない。
73年に入る前に 72年の積み残しがあった。
「72年12月号 スピアフィッシングの是非をめぐって」
田口哲 椎名勝巳 山中毅
1967年に、スピアフィッシングは、日本の法規の上でできないこと、そして、レジャーとしてのスクーバダイビングを振興させる上においても、魚を殺すことを目標とするスクーバダイビングは、社会の共感を得られないことすでにわかっているはずではなかったのか。
しかし、人間のというか動物の狩猟本能というものがある。遊び、楽しみ、というものは本能の解放でもあるわけで、僕ら日本潜水会がそれをあきらめられたのは、スクーバダイビングを単なる遊びとしてとらえていないで、仕事、あるいは海で生きる人の生き方の一つとしてとらえていたからで、遊びとして考えればあきらめきれない人もいることはよくわかる。
椎名さんはあきらめきれない。どうしたらできるかを考える。ただ、漁業についての姿勢は、水産大学をでた僕とは大きなへだたりがある。
「漁業で生業をたてている人がまだかなりいるということで、漁業権のことを考えなければならないわけです。」これが、半ば漁師の僕との大きなへだたりで、レジャーダイバーの典型でもある。椎名さんの意見は、スピアフィッシングフィールドを作って、そこで魚を突かせるライセンスを発行するということだが、それは、漁業者の方でも考えないわけではないことであった。しかし、そのフィールドからは、魚はたちまち逃げ去って、その場所に寄りつかなくなる。となると、水中銃を持ったダイバーたちは、他の場所を開拓しようとすることになる。
漁業者、漁業関係者の考えとしては、たとえば定置網で穫った魚を定置網の中で突かせよう、観光定置の考えだが、これは、狩猟と言うよりは単なる殺戮となるわけで、多くのダイバーには受け入れられないだろう。これらは日本潜水会のぎろんであって、この記事での議論ではないのだが。
すでに、無理ということで決着は付いている。
回遊魚を穫るのはかまわないのではないかという議論もある。
山中さんは、水泳選手だから、完全な素人であり、業界のひとではない。そして育ってきた環境が魚突きを受け入れてきた時代だったのであきらめきれない。この記事の結論も、魚突きとは別の楽しみかたを、見つけて行かなくてはならないという常識的なものになっている。
魚突きをあきらめられない、あがきのようなもので、このあがきは、2019年の今日でも、未だに残っている。
さて、ようやく73年
手間がかかるけど、ノートを取って読もうと決めたのだから。
73年2月
建設中の船の科学館
ハンネス・ケラーの300m潜水。この潜水実験は1962年、ということは、僕の1963年の90m潜水の1年前で、スイス人が混合ガスを使って300mに潜水する。こちらは空気で100mを目指した。そのギャップに意気阻喪したものだったが、この潜水は4人が潜水して2人が命を落としている。この潜水について、前に僕も書いているが、これは工藤昌男さんが書いたもの、別の視点でありうまくまとまっている。
安全潜水とライフジャケット
スキューバプロがバランシングベストを発表している。スクーバタンクからの給気式であり、現在のBC.の元祖形である。
73年3月
あなたの潜水実力診断法 須賀次郎
今から見ればつまらないことを書いているが、一応自分のかいたものなので、記録として収録 ようするにPDCAのサイクルをまわせということだ。
海洋開発技術学校、1pの広告を手を変え品を換えて広告を継続している。どうしても校長の名前が思い出せない。面白い快男児だったし、卒業生に知人が少なくないのに。頭に浮かびかかっているので、思い出したら書き加えよう。
1回で73年 終わらせようとしたができなかった。