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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0326 ダイビングの歴史58 海の世界 1972-01

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 1972年1月号 海の世界
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 1970年代、当初に述べたような事情で、マリンダイビングが手元にない。
 70年から、ダイビングワールド創刊の1975年6月まで、トピックスだけを「海の世界」で追って行こう。
 1972年 5月15日 沖縄施政権が返還された。1972年は沖縄が日本に帰ってきた年なのだ。その時代、その年に生きたダイバーは、このことに、このときの沖縄に様々な想いを持ち、さまざまな経験、体験をした。
 とにかく1972年は沖縄が日本の沖縄県になった年だ。ここから1970年代の海の世界を始めよう。 
 水中ゲームを楽しもう 田口哲
 まだBC.を付けない時代のダイビングスキルが写真でわかる。
 僕のスキルも基本的にはこれと同じだ。
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 にっぽんダイビングスクール
 「グアム島在住者にダイビングを普及しようと、さいきん日本潜水会公認指導員の野田充彦氏がダイビングスクールを開講した。公衆はホテルの一室やプールを使って夜9時から夜中の1時まで行われる。南国らしく、のんびりムードの訓練かと思ったら、さにあらず。ごらんのように旧日本帝国海軍の訓練を思わせる規律正しさ。それが受けてか、これまでに45人の青い目、黒い目のダイバーが誕生したという。」
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 野田充彦は、1967年、12月に行われた第一回の日本潜水会指導員講習会に、学習院大学の学生で時代に参加した。この講習会は法政大学の加藤君と、学習院の、この野田だ。
 浅見さんの弟子で、僕らの直系の指導員だ。
 しかし、僕らはこんな帝国海軍の指導は、教えていない。どちらかと言えば、規律的にはいい加減、適当を旨としている。
 プールサイドに並んだ生徒は挙手して号令一下、順に立ち跳びで飛び込んで行く。このころ、スキンダイビングでライフジャケットが必要か不要かという議論があったが、文句なしに着けている。バディシステムは絶対厳守だ。ダイビングの練習は規律で保たれる。というのが野田理論だ。海での交信はすべて手旗信号で行われる。レスキューのマウスツーマウスは、ダミーなど使わない。本当に口をつけて息を吹き込む。
 その、野田は,先日亡くなった兼高かおるの弟だったか息子だったかで、パンアメリカンは世界中フリーパスで行かれる。パンナムの飛行機の中では、FBIのフリーエージェントだと名乗っている。奥さんはもちろん、パンナムのスチュアーデスで、六本木に住んでいて、一度訪ねたことがある、部屋の中は滅茶苦茶で、女房の尻に完全に敷かれていた。 
 日本潜水会は、全日本潜水連盟ができて、指導団体としては、その役割を終え、あとは親睦団体として、後藤道夫が死ぬ、2014年まで40余年、毎年一回の定例忘年会をやってきたのだが、その第一回を六本木にあった彼の店でやった。
 野田君のことを話すと際限もないのでやめる。今、彼がどこにいてどうしているか知らない。一昨年だったか学習院大学アクアラング部の50周年の会があったが、現れなかった。どうしていることだろう。

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 特集 わたしの海洋博 
 沖縄返還を記念して海洋博が行われる。これこそ、ダイバーにとって、僕にとって、一大イベントになるのだが、その海洋博について工藤昌男せん。
 「施設を全島に散らしてサンゴ礁を守れ」
 海洋博はサンゴ礁への侵攻作戦 に他ならない。工藤さんらしい意見だが、全島に散らせ、散らしたら全島のサンゴ礁が影響をうけるのではないか。一カ所に、なるべくサンゴ礁のないところを選んで、まとめるというのが、普通の考え方だと思うのだけれど。
 そして、このイラストは永原建也さん、工藤さんと組んで描くことが多いイラストレーターで才能のある人なのだが、これで見ると、沖縄全島がディズニーシーになる? まだそのころディズニーシーはないから、それなりにたいしたプランだと思うけれど、
 よく読む、見ると、面白い。これをやれば、サンゴ礁は完全に消滅するだろうけど。
 永原さんをけなしているわけではない。1972年、海について、海洋博についての夢は、まだ牧歌的な時代だったのだ。

 広告をここに、まとめて紹介しておく。これが70年代のダイビング業界だ。
 
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 優良潜水専門店会って今はどうなっているだろう。消滅?

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 NAUI公認 潜水教師指名一覧表
 インストラクターといわないで潜水教師、という。
 日本潜水会は潜水指導員だ。
 
 懐かしい名前が並ぶ。松岡俊輔 大好きだった。亡くなってしまったけれど
 北海道の本間さん、流氷ダイビングの創始者だ。北海道にNAUIがおいのは本間スクールだったのかな?
 下の方に慶松さんがいる。 講師は田口君、早稲田の山根先生、液体空気のクライオラングを作られたとき、そのテストダイビングをやらせてもらった。これも話すとながくなる。
 パオロ・クレオゾラ 変なイタリア人?だった。

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 初心者にも国際ライセンスを 椎名勝巳
 この前の年というから1971年に 日本のPADIができ、椎名さんはその事務局長だった。ここから僕と椎名さんの本格的おつきあいがはじまるのだが。
 国際ライセンスと言ってのけたところが面白い、椎名さんらしい。
 しかし、やがて、国際ライセンスはCカードと名前を変える。ライセンスとは、国が公的に発行するもので、Cカードは修了証だとか。認定証だとか、免許ではないというわけだ。Cカードというライセンスなのだと言う人もいる。別に名称はどうでも良い、という人もいる。

 1970年代、グアム島という米国に、野田が、帝国海軍式講習をやり、国際ライセンスが日本に上陸する。

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