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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0413 ダイビングの歴史65 海の世界73-10 スノーケリング

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1973 海の世界 10月号
 「気軽なスノーケリング(素潜り)のすすめ」
 「潜水はスポーツでなく楽しいレジャー」
  東京潜泳会会長 大橋禄郎

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 東京潜泳会は素潜りのクラブである。
 大橋さんの本職は、栄養学校の校長さん。栄養学が専門だとか、聞いた。とにかく、ダイビングが専門ではないのだが、東京潜泳会は、当時は有名なクラブであり、その潜泳会のメンバーには、海洋大学潜水部の後輩、船水欣一郎君もいたし、東亜潜水機時代、勤務先が近いとかでよく遊びに来てくれていた田島君がいた。田島君は気持ちのいい若者で、(僕も若者だったけど)親しくしていた。その田島君が、1971年、八丈島で行われた、世界水中連盟の行事ブルーオリンピック、スピアフィッシングの魚うち、大会で、日本は規則で水中銃による魚突きが、禁止になっているということで、手銛で魚を突いた。このブルーオリンピックは、魚突きができるようにしようと、結成された社団法人水中技術振興協会が主催した。マリンダイビング創刊号のところで、説明したが、この進行協会に、できあがったばかりの全日本潜水連盟(これを便宜的に第一次全日本潜水連盟と呼ぼう。)その全日本潜水連盟を構成していた、関西潜水連盟、中部日本潜水連盟が加盟した。日本潜水会はスピアフィッシングをやめようと提唱していたので、これには加わらなかった。日本潜水会が加わらなかったから、日本潜水会の中心メンバーで、ブルーオリンピックに参加して好成績をおさめて、好成績をあげていた、鶴耀一郎も参加しなかった。
 ブルーオリンピックは国際的な、CMASの大会だから、外国選手も参加する。この国際的には大会も開かれているのだからということをあっピールして、水中技術振興協会の会長である、小宮山重四郎衆議院議員の力で、水中銃の大会を開き、既成事実を作ってしまおう、ということだったのだが、それは出来なかった。折衷的に手銛ならば良いということにしたのだが、手銛でも魚突きは規則違反である。手もりならば、良いという間違った考えは、現在でもあり、東京都の規則ではその部分がグレイになっている。これは、このブルーオリンピックの遺産である。


 だいう回り道をしてしまったが、そのブルーオリンピックに、潜泳会の田島君が出場して、その競技中に死亡してしまう。このような公式の行事中での事故も、日本では原因などの公表がないので、本当のことは知られていない。ここに書くのも伝聞である。鶴耀一郎が出場しない日本チームでは、田島君がエースと目されていた。そして、無理をしたのだろう。耳抜きの不調もあったと聞いている。鶴耀一郎のいうには、彼の出場したブルーオリンピックでは、国別のチームで、個人競技であると同時に団体戦もあり、各チームについて、一隻のボート、そして救急安全とルール監視審判ののために1名以上のスクーバダイバーが付くのだという。個人優勝の為に、水中で、チームのメンバーが自分の付いた魚を誰か一人に集めてしまう。そんなことについての監視だという。日本の急造大会では、そのような監視ダイバーも無く、遺体で発見された。
 僕らのやった、スクーバダイビングによる魚突き大会も、僕が審判となって巡回したが、一つのチームに一人というようなものではなく、審判の僕も魚をついて遊んだりしていたから、人のことは悪く言えないが、鶴耀一郎は、大会に殺されたといっていた。スキンダイビングによる魚突きは危ないのだ。
 詳しくは知らないが田島君のような選手を輩出させるのだから、東京潜泳会も、この事故までは、普通の魚突きクラブであったのかもしれない。この事故で、スピアフィッシングもやらなくなって、危なくなく、そんなに深くは潜らず、浅い海で楽しく潜る、というコンセプトに変わったのだろう。
 誤解のないように付け加えて置きたいが、僕は大橋さんと、立場、視点はちがったが、彼のことは尊敬していて、「これからのダイビング」では、アンケートに答えてもらっている。最近、この前に会ったのは、マリンダイビングの編集長だった鷲尾さんがナヒモフ号の金塊についての本を出版されたとき、その記念会でお目にかかった。仲良く並んで、記念写真に入った。もう少し昔話がしたかったが、握手で別れてしまった。ここに書くようなことについて、意見が聞きたかったのだが、その時点で僕の考えも具体的ではなかったし、今度会ったら聞いてみよう。
 大橋さんと僕は立ち位置がちがう視点もちがうから、意見も違う。.
「潜水はスポーツではなく楽しいレジャーだ。」
 僕は楽しいレジャーはスポーツではないのか?スポーツを楽しいレジャーにしなければいけない。これはその時代から、あと1988年に生涯スポーツの振興を志して、社会スポーツセンターに生涯スポーツの公式指導者資格を導入することに努力をそそいだ。
 その生涯スポーツ指導者も、やがて、日体協のスポーツ指導者に吸収され、僕はスクーバダイビング上級指導者になったが、それも、今度の更新で、「スポーツコーチ2」となった、上級は2ということ、普通が1だ。
せめて、上級は、一級スポーツコーチとでもすればいいのに、なるべく意欲を殺いで、滅ぼそうとしているのだろうか。公的とか、公式とかいうものの、なれの果てか?PADIのファイブスターの方が、わかりやすく価値がありそうに見える。こちら「日本潜水指導団体盛衰記に「スポーツコーチ2」では、情けない。
 そんな愚痴を大橋さんと語り合って、笑われるのも悪くはない。 
 大橋さんは日本のダイビングは特殊、だというが、そのころの僕の視点からは、大橋さんのスノーケリングが特殊だった。
 しかし、楽しみ、遊び、僕に言わせれば生涯スポーツはスクーバダイビングではなくて楽しいスキンダイビングだという、今の僕の考えは、大橋さんの考えとおなじである。
 僕自身、ここで大橋さんが唱えているような、同好クラブ、スキンダイビングの市民クラブである浦安海豚倶楽部をやっている。
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 そんなことを大橋さんと話したいなあ、と思ったりしている。
 そして、大橋さんのいうスノーケリングは、三つ道具で楽しい旅を、
三つ道具とは、フィン・マスク・スノーケルであり、今のスノーケリングの浮き具は、入っていない。今、スノーケリングとは潜ってはいけない、潜るならばスキンダイビングになる。僕は、浦安市の市民プールで、潜るスノーケリング教室をやっている。65歳の時に始めたから、かれこれ20年、始めたときには、スノーケリング教室のスノーケリング、は、大橋さんの言うような、決した無理をしない、楽しい素潜りだったのだ。そして、やがて、スノーケリングは潜ってはいけないことになり、スノーケリングジャケットを身体に縛り付けて、潜れないものにしている。
 僕はスノーケリングの定義を、耳抜きをしなくても良いような水深3mを限度にしたやさしい、楽しいスキンダイビングとして、2002年、シンポジウムを社会スポーツセンターで開催した。そのビデオテープがある。
 
 すでに、無理をしない気楽なす素潜りとしてスノーケリングとしているのに、浮き具ジャケットを付けた水面遊泳の名前として、スノーケリングにしてしまうことに納得がいっていなかった。しかし、ジャケットを付ける水面遊泳には反対はしていない。ならば、水面遊泳はなんと呼べば良いのか。水面遊泳では、ビジネス的にこまってしまう。今、キヌガワ、AQAのカタログで、スノーケリング用具、スノーケリング用品とでているが、水面遊泳用品、では売れない。
 フリーダイビングを「命がけ素潜り」スキンダイビングを「素潜り」
潜るスノーケリングを「気軽な素潜り」潜ってはいけない。これは素潜りとはいえないので「水面遊泳」にしたら、わかりやすくて良い。
 しかし、そんな提案をしてもバカにされるだけだから、大勢、成り行きにしたがって、スノーケリングを潜水禁止水面遊泳として、スキンダイビングは、潜っても良い水面遊泳と考えて、楽しく潜っていこう。
 
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