、その前にもう少し、ライフジャケットのことを調べよう。
たとえば、水深30mで炭酸ガス膨張式のライフジャケットを作動、膨らませて、水面に急浮上して良いか?
講習、指導では、厳禁と教えていた。
ところが、1973年 海の世界ー1 、「安全潜水とライフジャケット」で、その使用方法のところで、慶松氏が、水中での作動について、書いている。慶松氏は、親しくさせていただいているが、1973年当時も、まだ若かったが、NAUIの初期からのメンバーであり、ダイビングショップも、ダイビング作業もと、手広く活躍されていた。
「安全とライフジャケット」では、まずライフジャケットの必着を唱え、そして、その使用法の説明で、水中での作動について、述べている
。「一般に根強く信じられている誤りについて、説明しましょう。それは、水中でカット装置を作動させると、急激な浮力がつき、減圧症、エアーエンボリズムを起こすという説です。実際に水中でカット装置を使った場合本当に危険な浮力が得られるのでしょうか。たとえば市販最大クラスの17グラムの炭酸ガスボンベを使用したとして、(計算については、添付の写真参照)約2。3キロの浮力でしかありません。当然30mではオーバーウエイトなので、そんなに強烈な浮力は起こりえません。実際に強い浮力を感じるのは4m以淺ぐらいと思って良いでしょう。つまり無減圧潜水を守ってさえ居れば、減圧症になるほど早いスピードで浮上してしまう心配はありません。もちろんエアーエンボリズムも呼吸さえ停止しなければなんら問題ないのです。」
これは、1970年時点での考え方で今の減圧症についての考え方とは違うのだが、ところで最近の人、ダイバーは、なぜ、こんなにも、減圧症にかかるのだろう。1960年ころの浮上速度のスタンダードは、米国海軍のテーブルで、毎分18mで、18mで減圧症がでたので、その後毎分10mに改訂され、さらにその後、安全停止3mで2分、さらに3mでの安全停止が3分になり、3mから水面までは1分程度かけるようにとなり、にも関わらず日本のレジャーダイビングでは、減圧症患者が激増しているように聞こえる。何故なのか、考えはあるけれど、かなりエキセントリックなのでここでは述べない。
とにかく昔の人、ダイバーは、無減圧範囲であれば減圧症にはならなかった。僕の視点、考えでは、無減圧範囲で減圧症に罹患したとしても軽度であって、自然治癒する程度、それもなる確率は3%程度、つまり97%はならない。だから、エア切れとか、非常緊急事態では、僕自身は、自己責任で、ためらわずに、水深30mでも、バルブをカットする。
水深30mを越えていて、しかも、無減圧範囲を超えていて、3m、3分の停止、これもためらわずにカットする。繰り返し潜水で2段減圧になっていたとしたら、減圧症の痛み、苦しみ、そして、最悪車いすの生活を想像した上でやはりカットしただろう。僕が潜れなくなり、車いすになれば、会社は繁盛して儲かっただろうと思う。
無減圧範囲であれば、恐ろしいのは空気塞栓だが、水面に接近したらライフジャケットのガスを抜いてやればいい。ならば、これは排気弁の改良改善で解決できるはず。
そのことを僕は気づかなかった。フェンジイの蛇腹管の排気弁を見て、そうだった、やられたと思ったのはそれだった。それをやらないで、1969年に僕は東亜潜水機を辞めてしまう。
ライフジャケットの水中での作動について、自分の著作「スポーツダイビング入門(1976)では、どのように言っているだろうか?
今見ている海の世界は1973年、1976年との間に3年の月日が流れている。いま、73年と76年の間には1975年のダイビングワールドの創刊があり、このスポーツダイビング入もんんも、ダイビングワールドを1975年に創刊した、マリン企画が出した。
1975年当時、ダイビング初心者を指導する団体、組織のマニュアルといえるようなものは、僕の全日本潜水連盟、共著者である竜崎さんのPADIには無かったので、両団体のマニュアルのようになった、そして全国のダイビングショップの広告を巻末に載せている。自分としては、単行本にこんなに広告を掲載するのは、考えられなかったのだが、これは版元のマリン企画の営業の勝利であり、よく売れたとともに、マニュアルとしてよく使われた、すなわち、1976年代のスポーツダイビングのスタンダードを言うことができる。
ライフジャケットを膨らませるのに、小さなボンベの空気を使用するのは、すでに普及している。じつはこの構造、僕が東亜潜水機で特許を申請し取得している。でも、製造販売が海外だし、争っても、フェンジイとどちらが早いかだかれ、勝てないだろう。争う気も無かったけれど。
膨らませることに空気を使うようになり、給気、排気も蛇腹管とマウスピースで容易になったことから、水面で浮いて休息するために多用されるようになり、救命具、ライフジャケットというよりも、フロートに近くなってきた。BC.も、バランシング・ベストという名称で普及するようになった。
潜降するにつれて、ウエットスーツと身体の浮力が減少して、ウエイトの必要量も減る。書かれているのは、水深5mで7キロのウエイトでバランスしていれば、10mでは4ー5キロ、20mでは2ー3キロ、30mでは0ー2キロになる。7キロを着けているとすれば、水深20mでは4ー5キロのオーバーになるわけだ。
だから、当時は水深20mに潜る場合には、3ー4キロ着ける、つまり4ー5キロの浮力に打ち勝って、ヘッドファーストで強引に潜り込んでいく。浮いてくるときにはどうしても、浮上速度が速くなる。僕などは、毎分20m前後のスピードで上がっていた。今の常識で考えると、よくも減圧症にならなかったものだと思うが、それが日常だった。
バランシングベストが普及すればそれが解消されるのだが、浮上するときにベストの膨張で浮くスピードが早くなる、浮上にあわせて、空気を抜いていく、今では当たり前のことになったが、この本ではその技術がない初心者にはバランシングベストを使うには特別の講習が必要であろうと書いている。
緊急浮上について、バディブリージング、フリーアセント、コントロールアセント、そして、フロートによる上昇を説明している。そしてフロートによる浮上について、吹き上げが心配されている。
昔も今も、潜降浮上、特に浮上の要領が重要なテクニックであったのだ。
1976年のこの本ではまだBC.の使いこなしができていない。
スクーバダイビング技術の進化は、BC.の使いこなし、潜降浮上の技術、トリムをとって潜水ができるようになるまでの進化、が大きく変わったところなのだ。
炭酸ガス膨張式のライフジャケット、から空気を使うライフジャケット、そしてフロートから、水中で浮力を調整するBC、スタビジャケットから、現在のBC.へと機材も進化していく。
ダイビングテクニックの進歩、それに対応する機材の進化は、水中でのライフジャケット使用方法の追求だったとも言える。