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0328 スキンダイビング・セフティ
スキンダイビング・セフティ (仮題)について、 スキンダイビング・セフティという本を書いている。しかし、セフティというタイトルなのに、危険に就いてばかり書いている。セフティとは危険を避けることだから、まず、どんな危険が会って、どうしたら避けられるかをかくわけだから、まず、最初に危険ありき、となるのだが、どうしても危険と事故例の列挙になってしまう。...
View Article0329 お台場 クラゲ
3月末、桜も咲いたというのにお台場の水は冷たかった。水温13℃とか。ダイブコンピューターの水温表示はあてにならないけれど、素手で入ったら、3分ぐらいの間冷たかった。天候は晴れから曇り、やがて小雨も降ってきた。...
View Article0330 夜桜
夜桜を撮りに、ニコンのCOOLPIXとオリンパスTG2を持って街にでた。毎年、ここからとっているという定点だ。どちらも思うように撮れない。ペンタックスの方が良かったのかなと思ったりするが、とにかく撮った。パターンを色々変えて撮ったが、所詮はこんなものか、というレベルだ。意外なことに、みなさんが構えているスマホの方が、よく撮れているのではないか? 道行く人のほとんどがカメラ、スマホを構えている。...
View Article0402 スキンダイビング・セフティ
「スキンダイビング・セフティ」を書いている。 その総論部分で 「危険と安全についての基本的な考え方」を書いたが、すっきりしない。どうしてもその文章が気に入らない。...
View Article0403 マリンダイビングフェア
マリンダイビングフェアから戻ってきて、寝てしまった。昨日は辰巳のプールで、よく疲れ、今朝は、そのプールの会員登録の整理と進行中のスキンダイビング・セフティの連絡とか、割りと良く働いて、12時30分頃に慌ただしく、でかけていった。15時30分からはじまる、鈴木あやの のオリンパスでのトークを見にゆくという、口約束、ではなかったフェイスブック約束をしていたので、それに間に合うように部屋をでた。...
View Article0405 マリンダイビングフェア-2
疲れて、午前中は横になって本を読んでいたのだが、ダイビングフェアで、新しいプロジェクトの打ち合わせで、人と会うことになって、出かけていった。...
View Article0408 スキンダイビング・セフティ
僕の書いた本のほとんどが共著である。 1966年「アクアラング潜水」浅見国治 と共著 浅見国治は、東京水産大学の僕の一級したで、創立時の日本アクアラングに入社してアメリカに行き、NAUIの多分二期目のインストラクター、日本で始めてのインストラクターになった。PADIはまだその時点では存在していない。故人になってしまった。 1972年 「水中写真の撮影」小池康之と共著...
View Article0410 スキンダイビング・セフティ
なんてったって、人間、ダイバーは深く潜りたいのです。1964年の90m、1996年の103m,201?年の80m、僕は、その時々で自分ができる範囲、限界で深く潜ってきた。...
View Article0411 スキンダイビング
今日は館山の人工魚礁潜水の日だったが、波が高くNG. 原稿も含めて、デスクワークが山になっているのだけれど、なんとなく、手が着かない。ブログをようやくひとつだけ。 スキンダイビングについて持っている本、 スポーツ潜水 鶴耀一郎 1973 ジュニア スキンダイビングマニュアル 木村京子 1991 イルカと海に還る日 ジャック・マイヨール・関邦博 1993 アプネア ウンベルト・ペリッツアーリ...
View Article0412 ジャック・マイヨール
イルカと海に還る日 ジャック・マイヨール・関邦博 1993 フリーダイビングを調べたり、フリーダイバーの美鈴さんと、一緒に本を書いたりしていると、いまさらのように、ジャック・マイヨールが、フリーダイビングの原点だったのだと思う。そしてこの本「イルカと海に還る日」も、大きな影響を与えている様に思う。...
View Article0415 ウンベルト・ペリッツアーリ
ウンベルト・ペリッツアーリ、書きにくい。ぼくらはペリザリと呼んでいた。この本「アプネア」がでたのでウンベルト・ペリッツアーリになった。ついこの前だとおもっていたら、1996年20世紀のころだったのだ。 ウンベルト・ペリッツアーリは、マイヨールのフアンで、エルバ島のマイヨールの家を度々訪れている。...
View Article0417 ピピン・フェレーラス -1
スキンダイビング・セフティを書いている。スキンダイビング、フリーダイビングについて書いた本を参考書にしている。その参考書について、ブログに書いたならば、それはそれで、スキンダイビング、フリーダイビングのことをわかる手助けになるだろうと、書き始めた。参考書の事を書くのだから、材料が目の前にある。だから容易だろうと考えたらとんでもなかった。自分のこと、自分の考えを書くほうが容易だった。...
View Article0419 ピピン
「穏やかな日々が訪れた。天気がいい時はテストダイブを二三回行い、その帰りにはしばしばスピアフィッシングを楽しむ。 オードリーは軽々と100m級のダイブをして、顔を輝かせて浮上してくる。全く楽にこなしたので、これならば、125mは大丈夫だと言ってやる。「耳抜きができないわ」とオードリー「その深さじゃあ無理なのよ。」...
View Article0421 ブルーゾーン
ブルー・ゾーン 篠宮龍三・牧野出版 2010年 僕は、龍三くんのフアンだけど、この人は、詩を書こうとしている。本でも、ダイビングでも。 「生と死が海をなか立ちにして円環を描く、潜ることは死に向かうこと、還ることは生にもどること。」...
View Article0427 4月26日お台場
天気も良くて、みんなTシャツでもいられるくらいに暖かかった。 僕たちの海 ゴムボートで風呂田先生らが、水質調査をしている。 午後は人工砂浜で遊ぶ人たち 多数の水辺 透視度は2mぐらいだろうか。先月にはあまり見えなかったメバルの稚魚が目立ってくるはず。 とにかく先端の杭まで行こう。 杭 何のためのものだったのか謎だけど、きちんと撮影しておけば図化できる。...
View Article0428 スキンダイビング・セフテイ コンテンツ
スキンダイビング・セフテイ 連休前にまとめて成山堂書店に渡し、連休中に構成してもらって、連休明けにこっちに戻ってくる。そんな連休返上のスケジュールとなった。できるのだろうか。とにかくコンテンツはまとめたが、初校までに全部見なおして置かなくてはならない。 とにかく、ボールは投げた。どう返球がくるのかわからない。未だ解決しなければならない部分が幾つもある。...
View Article0429 米田茂
病にたおれていたスガ・マリンメカニックの社員、米田茂が亡くなった。ダ61歳だった。この前還暦祝をやった中川隆と同年だ。 1982 年 僕たちは無敵だった。 福島県、沼沢沼発電所取水トンネルの調査、水深30m横に400m 出口の無いトンネル。...
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