ブルー・ゾーン 篠宮龍三・牧野出版 2010年
僕は、龍三くんのフアンだけど、この人は、詩を書こうとしている。本でも、ダイビングでも。
「生と死が海をなか立ちにして円環を描く、潜ることは死に向かうこと、還ることは生にもどること。」
自分の冒険の説明にも使える。「潜ることは死に向かうこと、還ることは生にもどること」生にもどること、だから究極のリフレッシュができる。80歳になって潜りに行く、重いタンクとウエイトで潜る時、死ぬかと思う。そして、生に戻って来るので、生きる力を取り戻す。
「死に向かうこと」などしてはいけない。と言われたら生もない。「海は教えてくれる。命の本質はひとつ、生も死もただの概念に過ぎない。」正々堂々とこんな言葉を書いてしまうところがいい。
岡本美鈴と本を書いている。彼女はバハマに言っていて、龍三くんといろいろ話しているということだ。彼女にも僕にも悩みがある。フリーダイビングの危険をどのように説明したらよいのか、そして、その中にある危険とは別の何か、「楽しみ」という表現ではあまりにも軽い、何かを説明、表現したい。
フリーダイビングに限らず、人間が息をとめて水に潜ることは、つねに相応の危険がある。危険が大きければ、安全を確保する手段も万全なものにしようとする。トレーニングも真剣になる。極限までは潜らないスキンダイビングもいい加減にやれば、危ない。でも、気楽に、自然にリラックスしたい。スキンダイビングにのめり込んだ人は、フリーダイビングのトレーニングをすれば良いと思うけれど、自分の中に、安全のためのコード、基準を持ってもらいたい。あまりストイックにならないというコードも悪くない。
ダイビングは、美しさの追求であるという表現も悪くはない。
何を、どこに楽しみのポイントを置くか、それをどのように表現すれば良いのだろうか。美鈴さんはバハマで悩んでいるだろう。幸せだとおもう。僕は東京の一室でデスクに向かって悩んでいる。不幸せだ。そのことを2行で表現したい。
そう、フリーダイビングもスキンダイビングも機械にたよるスクーバダイビングよりも、精神性、スピリチュアルなフィールドが大きい。それは、危険が自分の生きる仕組み、身体の内側にあり、それを見つめてコントロールしようとするからだと思う。
ピピンの事を書いてきた。
サボーラという器械、それも中途半端な器械に乗って人跡未踏の深みに潜ってゆく。その矛盾がオードリーを殺してしまった。器械に頼るのか自分を頼るのか、器械に頼りながら、器械を重視していなかった。
篠宮くんは「ブルーゾーン」を「美しい日本語で僕が海から学んだことを伝えていきたい」と結んでいる。
僕たちの本は、安全確保、安全のためのセグメントとして、スノーケリング、スキンダイビング、フリーダイビングと分けたけれど、それは、一つのことでもある。
僕は、龍三くんのフアンだけど、この人は、詩を書こうとしている。本でも、ダイビングでも。
「生と死が海をなか立ちにして円環を描く、潜ることは死に向かうこと、還ることは生にもどること。」
自分の冒険の説明にも使える。「潜ることは死に向かうこと、還ることは生にもどること」生にもどること、だから究極のリフレッシュができる。80歳になって潜りに行く、重いタンクとウエイトで潜る時、死ぬかと思う。そして、生に戻って来るので、生きる力を取り戻す。
「死に向かうこと」などしてはいけない。と言われたら生もない。「海は教えてくれる。命の本質はひとつ、生も死もただの概念に過ぎない。」正々堂々とこんな言葉を書いてしまうところがいい。
岡本美鈴と本を書いている。彼女はバハマに言っていて、龍三くんといろいろ話しているということだ。彼女にも僕にも悩みがある。フリーダイビングの危険をどのように説明したらよいのか、そして、その中にある危険とは別の何か、「楽しみ」という表現ではあまりにも軽い、何かを説明、表現したい。
フリーダイビングに限らず、人間が息をとめて水に潜ることは、つねに相応の危険がある。危険が大きければ、安全を確保する手段も万全なものにしようとする。トレーニングも真剣になる。極限までは潜らないスキンダイビングもいい加減にやれば、危ない。でも、気楽に、自然にリラックスしたい。スキンダイビングにのめり込んだ人は、フリーダイビングのトレーニングをすれば良いと思うけれど、自分の中に、安全のためのコード、基準を持ってもらいたい。あまりストイックにならないというコードも悪くない。
ダイビングは、美しさの追求であるという表現も悪くはない。
何を、どこに楽しみのポイントを置くか、それをどのように表現すれば良いのだろうか。美鈴さんはバハマで悩んでいるだろう。幸せだとおもう。僕は東京の一室でデスクに向かって悩んでいる。不幸せだ。そのことを2行で表現したい。
そう、フリーダイビングもスキンダイビングも機械にたよるスクーバダイビングよりも、精神性、スピリチュアルなフィールドが大きい。それは、危険が自分の生きる仕組み、身体の内側にあり、それを見つめてコントロールしようとするからだと思う。
ピピンの事を書いてきた。
サボーラという器械、それも中途半端な器械に乗って人跡未踏の深みに潜ってゆく。その矛盾がオードリーを殺してしまった。器械に頼るのか自分を頼るのか、器械に頼りながら、器械を重視していなかった。
篠宮くんは「ブルーゾーン」を「美しい日本語で僕が海から学んだことを伝えていきたい」と結んでいる。
僕たちの本は、安全確保、安全のためのセグメントとして、スノーケリング、スキンダイビング、フリーダイビングと分けたけれど、それは、一つのことでもある。