スキンダイビング・セフティ
スキンダイビングとはいうものの、潜らないスノーケリングから、極限まで潜ろうとするフリーダイビングまでを扱っている。これらは全部、スキンダイビングとしてくくられていたものであり、技術の進歩、多様化によって活動範囲を拡大してきたために、それぞれの安全管理、つまり危険度と、責任を負いうる限界が違うので、三つの区分、スノーケリング、スキンダイビング、そしてフリーダイビングの三つに区分けした。スノーケリングはフローティングベストを着けて、水面に浮いている、つまり潜らない水遊びであり、フリーダイビングは今もなお進化を続けている、生理学的にハイテクな潜水だ。
ハイテクとは、生理学的にも、工学的にも、ひとつ間違えば生命がない。人間は陸棲の動物だから、息を止め続ければ死ぬ。だから、スキンダイビングでもやり方を間違え、安全管理が粗雑になれば、危ない。しかし、危険を排除するプログラム、マニュアルに沿って行えば、安全は確保される。フリーダイビングは、極限を追求している限り、その危険は大きい。危険は潜水しようとしている水深に比例する。そして、その人のフィジカルな能力にも比例する。具体的に言えば、共著者の岡本美鈴が90m潜ろうとするのと、今現在の僕が20m潜ろうとするのと、僕の20mの方が危険が大きいと思う。
そんなふうに、その人の極限を追求することは、生命にかかわる。
では、なぜ人はそんなことをしようとするのだろう。
僕も80歳で80mを潜ろうとしている。
この「なぜ?」については、スキンダイビングやスクーバダイビングの本では書けない。
ところで、ダイビング業界というもの、そのほとんどをこの「なぜ?」に負っているのだ。
本を書くために、鶴曜一郎、ジャックマイヨール、ウンベルト・ペリッツアーリ、ピピン・フェレーラス、篠宮龍三君の本を読んできた。一生懸命にこの「なぜ?」を書こうとしていたのは、篠宮くんだった。しかし、この「なぜ?」は、それぞれの人のものだ。
スキンダイビングもフリーダイビングも、突き詰めて行くと、その人の生き方、フィロソフィーに関することになる。今度の本では、「なぜ?」のフィロソフィーについてはかけなかったが、岡本美鈴との対談では、ちょっと触れようとした。しかし、この本はセフティに就いてが主題だから、突っ込んで行かなかった。
22日に共著者の一応の原稿が集まってきた。此処から先が僕のまとめになる。
共著者4人の視点が違うので、ばらばらで重複もあるけれど、最初の予定のように、このまままとめて行く。危険について4つの視点からグレードをわけて見て行けば、読者の頭のなかで、一つにまとまるだろう。美鈴さんはバハマの彼方で、もう少し柔らかに、です・ますで書いた方が、等と言ってきたが今の文体の方が凛としていて、競技者の書く雰囲気で僕は良いと思う。生理学の藤本くんは、難しい言葉の羅列でわからないのでは、と思ったが、僕でもよく分かる。すごく面白い。今度の潜水士テキストが、減圧表の部分が、ほぼ判じ物になっているのとは好対照だ。千足先生は、大学教官としての文章で、高校生以上のスキンダイビング入門の教科書になる。そして僕は?
問題は分量で、このまま行けば250Pぐらいになる。そのくらいに収めよう。
スキンダイビングとはいうものの、潜らないスノーケリングから、極限まで潜ろうとするフリーダイビングまでを扱っている。これらは全部、スキンダイビングとしてくくられていたものであり、技術の進歩、多様化によって活動範囲を拡大してきたために、それぞれの安全管理、つまり危険度と、責任を負いうる限界が違うので、三つの区分、スノーケリング、スキンダイビング、そしてフリーダイビングの三つに区分けした。スノーケリングはフローティングベストを着けて、水面に浮いている、つまり潜らない水遊びであり、フリーダイビングは今もなお進化を続けている、生理学的にハイテクな潜水だ。
ハイテクとは、生理学的にも、工学的にも、ひとつ間違えば生命がない。人間は陸棲の動物だから、息を止め続ければ死ぬ。だから、スキンダイビングでもやり方を間違え、安全管理が粗雑になれば、危ない。しかし、危険を排除するプログラム、マニュアルに沿って行えば、安全は確保される。フリーダイビングは、極限を追求している限り、その危険は大きい。危険は潜水しようとしている水深に比例する。そして、その人のフィジカルな能力にも比例する。具体的に言えば、共著者の岡本美鈴が90m潜ろうとするのと、今現在の僕が20m潜ろうとするのと、僕の20mの方が危険が大きいと思う。
そんなふうに、その人の極限を追求することは、生命にかかわる。
では、なぜ人はそんなことをしようとするのだろう。
僕も80歳で80mを潜ろうとしている。
この「なぜ?」については、スキンダイビングやスクーバダイビングの本では書けない。
ところで、ダイビング業界というもの、そのほとんどをこの「なぜ?」に負っているのだ。
本を書くために、鶴曜一郎、ジャックマイヨール、ウンベルト・ペリッツアーリ、ピピン・フェレーラス、篠宮龍三君の本を読んできた。一生懸命にこの「なぜ?」を書こうとしていたのは、篠宮くんだった。しかし、この「なぜ?」は、それぞれの人のものだ。
スキンダイビングもフリーダイビングも、突き詰めて行くと、その人の生き方、フィロソフィーに関することになる。今度の本では、「なぜ?」のフィロソフィーについてはかけなかったが、岡本美鈴との対談では、ちょっと触れようとした。しかし、この本はセフティに就いてが主題だから、突っ込んで行かなかった。
22日に共著者の一応の原稿が集まってきた。此処から先が僕のまとめになる。
共著者4人の視点が違うので、ばらばらで重複もあるけれど、最初の予定のように、このまままとめて行く。危険について4つの視点からグレードをわけて見て行けば、読者の頭のなかで、一つにまとまるだろう。美鈴さんはバハマの彼方で、もう少し柔らかに、です・ますで書いた方が、等と言ってきたが今の文体の方が凛としていて、競技者の書く雰囲気で僕は良いと思う。生理学の藤本くんは、難しい言葉の羅列でわからないのでは、と思ったが、僕でもよく分かる。すごく面白い。今度の潜水士テキストが、減圧表の部分が、ほぼ判じ物になっているのとは好対照だ。千足先生は、大学教官としての文章で、高校生以上のスキンダイビング入門の教科書になる。そして僕は?
問題は分量で、このまま行けば250Pぐらいになる。そのくらいに収めよう。