スキンダイビング・セフティ (仮題)について、
スキンダイビング・セフティという本を書いている。しかし、セフティというタイトルなのに、危険に就いてばかり書いている。セフティとは危険を避けることだから、まず、どんな危険が会って、どうしたら避けられるかをかくわけだから、まず、最初に危険ありき、となるのだが、どうしても危険と事故例の列挙になってしまう。
こんな本を出したら、スキンダイビングをやってくれる人などいなくなるのではないかと心配する。
この心配、どこかでしたことがある。この道はいつか来た道、だ。1960年代、最初にアクアラングの本を書いた時だ。危険だなんてい知らせたらだれもダイビングなどやってくれなくなる。
僕も心配したが、スクーバダイビングの講習をビジネスにする、つまり誰かが言っていたスポーツを商品にするにあたっては、この商品は危ないです。近寄ると危険ですではだれも買ってくれそうもない。第一、危険なものを売ったりしてはいけないのではないか、と悩んだ。
今度の本ではスキンダイビングを区分けした。①スノーケリング、これはフローティングベスト着て、浮くベストを着ているわけだから潜れない。だからダイビングとは言えないでスノーケリングなのだ。
だから、スノーケリングの定義は、水面に浮いて、フィン、マスク、スノーケルで海の中を覗き見ながら泳ぐ、海水浴よりも安全な遊びだ。
できれば海水浴も沈まないようにフローティングベストを着けるべきだ。
昔、僕の小学生時代、戦争が終わって直後だが、水の事故でずいぶん沢山の子どもたちが毎年死んだと思う。そのころは、3人兄弟でも少ないと思われたのだから、5人、6人兄弟は普通だった。一人ぐらい死んでも仕方がないと思われていた。だから、わんぱくなんて言葉が通用した。もちろん死んで良いわけがないが、体を鍛えないと生き残れないのだ。体を鍛えても、18歳ぐらいになると、結核で死ぬ子が、これも水死とおなじくらい。そんな時代だった。
やがて、社会が少し豊かになると、「われは海の子」をうたった臨海学校が東京の各区に幾つもできた、夏休みになると、都会の学校が臨海学校をやる。日本は海の国だ。しかし、臨海学校でも水の事故がおこる。そして少子化だ。臨海学校はやがて壊滅した。一人でも水死事故がその学校の臨海学校で起きたら中止が検討される。
.しかし、日本は海に囲まれた海の国だ。臨海学校の全滅は困る。そこで、絶対に近く水死事故がおこらない方法として、フローティングベストが提唱された。
僕が常務理事を務める社会スポーツセンターでも、このスノーケリング協会を作った。僕もスノーケリングシンポジウムなどを開催してフローティングベストの宣伝につとめた。
しかし、フローティングベストを着けるスノーケリングは、潜水、ダイビングではないのだ。自分でも提唱し宣伝にも加わっていたのだが、スノーケリング協会の役職につく事はできなかった。
僕が活動するホームグラウンドの一つ、浦安市営の屋内プールで、市の主催行事として、スノーケリング講習会をやることになった。このプールは、可動式の床で、水深3mまでになる。可動式だから水深90cmでもいいわけで、沈まないスノーケリングもできる。しかし、習いに来る子は、スイミングスクールなどに行っている子がかなり居て、水泳ができる子にフローティングベストを着せて浮かせて泳ぐのでは、習いに来る子も僕も面白くない。水深3mまで潜らせるスキンダイビングを教えるようになった。片方で、スキンダイビングを教えながら、スノーケリング協会の会長になるわけには行かない。
しかしながら、今度、スキンダイビングの安全追求をやると、スキンダイビングの事故例を集めると、フロートを着ける遊泳がまちがいないとも思う。一方で、潜るスキンダイビングで子どもたちが潜って遊べる、より安全なスキンダイビングを追求シたいとも思う。
スノーケリングガイドブック、スノーケリングテクニックガイドという本、これは二冊とも、長谷川孝一という方が書いていて、ほぼ同じような本を二冊も書くくらい売れている。写真を見ると、水深2mぐらいは潜っていて、ドルフィンスイミングも中に含まれている。そして、その写真を、僕のバディで、今はない鶴町が撮影していて、今かわいがっている鶴町の娘である、映美と美帆がモデルをしたりしている。今度のスキンダイビングセフティの共著者、岡本美鈴も出てくる。主として楽しいことが沢山出てきて、危険なブラックアウトとか、肺水腫のこととか、溺死の例などは出てこない。
まあ、スキンダイビングと呼ぶか、スノーケリングと呼ぶかだけのことなのだが。
スキンダイビング・セフティという本を書いている。しかし、セフティというタイトルなのに、危険に就いてばかり書いている。セフティとは危険を避けることだから、まず、どんな危険が会って、どうしたら避けられるかをかくわけだから、まず、最初に危険ありき、となるのだが、どうしても危険と事故例の列挙になってしまう。
こんな本を出したら、スキンダイビングをやってくれる人などいなくなるのではないかと心配する。
この心配、どこかでしたことがある。この道はいつか来た道、だ。1960年代、最初にアクアラングの本を書いた時だ。危険だなんてい知らせたらだれもダイビングなどやってくれなくなる。
僕も心配したが、スクーバダイビングの講習をビジネスにする、つまり誰かが言っていたスポーツを商品にするにあたっては、この商品は危ないです。近寄ると危険ですではだれも買ってくれそうもない。第一、危険なものを売ったりしてはいけないのではないか、と悩んだ。
今度の本ではスキンダイビングを区分けした。①スノーケリング、これはフローティングベスト着て、浮くベストを着ているわけだから潜れない。だからダイビングとは言えないでスノーケリングなのだ。
だから、スノーケリングの定義は、水面に浮いて、フィン、マスク、スノーケルで海の中を覗き見ながら泳ぐ、海水浴よりも安全な遊びだ。
できれば海水浴も沈まないようにフローティングベストを着けるべきだ。
昔、僕の小学生時代、戦争が終わって直後だが、水の事故でずいぶん沢山の子どもたちが毎年死んだと思う。そのころは、3人兄弟でも少ないと思われたのだから、5人、6人兄弟は普通だった。一人ぐらい死んでも仕方がないと思われていた。だから、わんぱくなんて言葉が通用した。もちろん死んで良いわけがないが、体を鍛えないと生き残れないのだ。体を鍛えても、18歳ぐらいになると、結核で死ぬ子が、これも水死とおなじくらい。そんな時代だった。
やがて、社会が少し豊かになると、「われは海の子」をうたった臨海学校が東京の各区に幾つもできた、夏休みになると、都会の学校が臨海学校をやる。日本は海の国だ。しかし、臨海学校でも水の事故がおこる。そして少子化だ。臨海学校はやがて壊滅した。一人でも水死事故がその学校の臨海学校で起きたら中止が検討される。
.しかし、日本は海に囲まれた海の国だ。臨海学校の全滅は困る。そこで、絶対に近く水死事故がおこらない方法として、フローティングベストが提唱された。
僕が常務理事を務める社会スポーツセンターでも、このスノーケリング協会を作った。僕もスノーケリングシンポジウムなどを開催してフローティングベストの宣伝につとめた。
しかし、フローティングベストを着けるスノーケリングは、潜水、ダイビングではないのだ。自分でも提唱し宣伝にも加わっていたのだが、スノーケリング協会の役職につく事はできなかった。
僕が活動するホームグラウンドの一つ、浦安市営の屋内プールで、市の主催行事として、スノーケリング講習会をやることになった。このプールは、可動式の床で、水深3mまでになる。可動式だから水深90cmでもいいわけで、沈まないスノーケリングもできる。しかし、習いに来る子は、スイミングスクールなどに行っている子がかなり居て、水泳ができる子にフローティングベストを着せて浮かせて泳ぐのでは、習いに来る子も僕も面白くない。水深3mまで潜らせるスキンダイビングを教えるようになった。片方で、スキンダイビングを教えながら、スノーケリング協会の会長になるわけには行かない。
しかしながら、今度、スキンダイビングの安全追求をやると、スキンダイビングの事故例を集めると、フロートを着ける遊泳がまちがいないとも思う。一方で、潜るスキンダイビングで子どもたちが潜って遊べる、より安全なスキンダイビングを追求シたいとも思う。
スノーケリングガイドブック、スノーケリングテクニックガイドという本、これは二冊とも、長谷川孝一という方が書いていて、ほぼ同じような本を二冊も書くくらい売れている。写真を見ると、水深2mぐらいは潜っていて、ドルフィンスイミングも中に含まれている。そして、その写真を、僕のバディで、今はない鶴町が撮影していて、今かわいがっている鶴町の娘である、映美と美帆がモデルをしたりしている。今度のスキンダイビングセフティの共著者、岡本美鈴も出てくる。主として楽しいことが沢山出てきて、危険なブラックアウトとか、肺水腫のこととか、溺死の例などは出てこない。
まあ、スキンダイビングと呼ぶか、スノーケリングと呼ぶかだけのことなのだが。