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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0402 スキンダイビング・セフティ

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「スキンダイビング・セフティ」を書いている。
その総論部分で 「危険と安全についての基本的な考え方」を書いたが、すっきりしない。どうしてもその文章が気に入らない。

      
 自分の意志でコントロールできない自然の中に入ってゆく、それが、人間が呼吸できない水中であったならば、それは、危険である。人間には、社会生活の中でも、日常の生活でも、敢えて困難な状況に立ち向かって行く本能のようなものがあり、これがなければ人間は進化してこなかった。その、敢えて困難な状況に挑むという活動を、冒険という言葉で表現する事ができる。水の中に入って行く活動、水の中で行う労働、水中で行われるスポーツ、つまりダイビングは全て冒険と言える。冒険はいけないというのならば、水中に入って行く活動は否定される。
 よく、「安全潜水」などという言葉が使われるが、これは、「ダイビングとは安全なのですよ」という意味ではなく、「ダイビングとは、危険を避ける手段、危険を避けずに克服する手段を常に追求し、想定し、実施していなければ、生還できない冒険なのですよ」という意味だと解釈する。「安全潜水」とは、「安全を追求している潜水」であり、「潜水とは安全なものですよ」ではない。 スキンダイビング・セフテイというタイトルも、スキンダイビングの安全の追求という意味である。
危険と安全の追求は天秤秤の両側に載せる重錘のようなもので、危険が重くなれば安全追求の重錘を増やさなければならない。この釣り合いを微妙なものとせず、圧倒的に安全追求を重くしておくことが、安全、つまり生還の可能性が大きくなる。
ここで、いちいち「安全追求」と書くことを「安全」と省略しているのが「安全潜水」という標語になる。

ここまでの説明がくどい。気に入らないのだが、これを全部カットしてしまうと、どうなのだろう。カットしたほうが良いか?カットしてしまって「安全潜水」などというから、ダイビングは安全という意味にとられる。それとも、こんなことにこだわっているのは自分だけなのだろうか。
くどい説明を全部カットしてしまって
例えば
  安全に、絶対の安全がないように、絶対に不可避な危険もない。危険を避けるためには、存在する危険を知り、分析して、避ける方法手段をもっていなければならない。スキンダイビング・セフティ は、安全なスキンダイビングを行うために、スキンダイビングに内在する危険、そして克服のためのトレーンングと危険をさける手段、手法を中心として述べた。
安全追求のために必要なことは、想像力である。危険とその発現について明確に思い浮かべて、事前に対処することが要求される。具体的な事故例を幾つか述べたのはそのためである。
とにかく、ここからは、くどい説明、エクスキュースをカットする作業に入る。
そして、各論を書く共著者の書いたものを全部見てから、総論にもどろう。総論にそって共著者に書いてもらおうなどというのは、思いあがりにすぎない。




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