今日は館山の人工魚礁潜水の日だったが、波が高くNG. 原稿も含めて、デスクワークが山になっているのだけれど、なんとなく、手が着かない。ブログをようやくひとつだけ。
スキンダイビングについて持っている本、
スポーツ潜水 鶴耀一郎 1973
ジュニア スキンダイビングマニュアル 木村京子 1991
イルカと海に還る日 ジャック・マイヨール・関邦博 1993
アプネア ウンベルト・ペリッツアーリ 早川信久 1996
ダイブ ピピン・フェレーラス 2005
スノーケリング指導者教本 日本スノーケリング協会 2006
ブルーゾーン 篠宮龍三 2010
スノーケリングテクニックガイド 長谷川孝一 2013
時系列で並べてみると、これらについて、論じてゆくと、スキンダイビングがどういうものか、見えてくる。その延長線上に今書いているスキンダイビング・セフティがある。
もしかしたら、ここに書くことを整理して、スキンダイビング・セフティに載せてもよいのだが、スペースがない。
この表紙だが、鶴の写真ではなくて、なぜかダイブウエイズ社長の武田さんが写っている。
スポーツ潜水 鶴耀一郎 1973
まず、ここから見てゆこう。
この本はスキンダイビングの本というわけではなくて、スクーバも含んだスポーツ潜水全般について書かれている入門書になっている。
しかし、鶴耀一郎といえば、息こらえで魚を突くことについては、不世出といってもよい。彼は、1967年に発足した日本潜水会の最初からの中心人物である。その日本潜水会が、趣味的、スポーツとしての魚突き、スピアフィッシングを禁止にしていまった。スクーバのスピアフィッシングはいけないとしても、スキンダイビングのスピアフィッシングは、国際大会もあることだし、認めたらどうだ、と最後まで議論を重ねたが、漁業者でなければ、禁止するべきだということになった。ならば、漁師に、漁業者に慣れば、魚付きも認められるだろうと、奄美大島で潜水漁師になった。魚を突くことについては、漁業組合員になり、漁として行えば、良いのだろう。
魚突き禁止(自分たちのルールとして)が1967年、この本は1973年なのだが、巨大魚を突いた写真がふんだんに載っているし、彼のブルーオリンピック(国際的魚突き大会)での活躍も載っている。
ダイビング全般の入門書ではあるが、その50%はスキンダイビング関係である。
そして、スクーバダイビングの基礎はスキンダイビングであるというフィロソフィーを通している。
書かれているエピソード、ブルーオリンピックのこと、シャークハントのこと、息こらえ競争のこと、ジャック・マイヨールのこと、どれもが興味ふかいが、ここでは、息こらえコンテストと、ジャック・マイヨールについて取り上げる。
息こらえコンテストについて
たしか南米の何処かの国から来た、息こらえの世界チャンピオン(当時)を迎えて、テレビのバラエティ番組で鶴曜一郎が挑戦者として出演した。スタジオだから、風呂桶、それも小さい風呂桶に入れられての競争だった。
「女性代表で出場して海女さんは、1分前後でストップ、そして世界チャンピオンが持っている記録は5分35秒
私も過去に何回か失神した経験がある。しかし、渡しの場合は長い間素潜りをやってきた中で体得したユニークな技術がある。それは、限界までこらえていて、もうこれ以上ダメだという状態の時には、必ず水面に顔を出していて、一回呼吸してから10秒可20秒失神するのだ。
自分で言うのもおこがましいか、この一回呼吸するまでは理性の強さというか、限界を見極める一つのバロメーターを自分自身でしっかりつかんでいるという自己管理につながっているのだと思う。
結局この挑戦は、チャンピオン氏が4分30秒でストップ、私はそれを横目で見ながら、5分17秒まで我慢した。そして、水槽から立ち上がり、一呼吸してからぶっ倒れた。つまり失神慕わかだが、①呼吸してあるので、人工呼吸などを受けなくても、20秒ぐらいで正常にもどれた。」
今行われている競技は、失神、ブラックアウトしたら失格だから、失神できないが、顔を出したら直ちに何回か吸い込ムということは大事だ。
マイヨールについて
「マイヨールが日本に来て伊豆の伊東(海洋公園)で潜った時、私達はボンベを着けて、水深80mのところにいた。この水深では、ボンベがあっても命がけで潜らないと潜れない深さだ、
ところがマイヨールは、素潜りで80メートルまで潜った。公式には、80mのところにある札、を拾えずに、76メートつの札だったので、記録は76mになった。」
鶴曜一郎も80mに素潜りで潜りたかったはずだ?
しかし、こう書いている。
「日本人はやはりエコノミックアニマだから、夢よりも現実をもとめてしまう。深く潜るよりはダイビングショップの方がというわけだが、私を含めてだが、私も深度にいどくことはまず無いと思う。
しかし、彼らの様に素潜りで深度に挑戦するということは貴重だ。」
鶴曜一郎は、たしかに、金銭感覚にきびしい奴だった。お金にならないと潜らなかったけれど、潜れれば潜りたいと思ったに違いない。
スキンダイビングについて持っている本、
スポーツ潜水 鶴耀一郎 1973
ジュニア スキンダイビングマニュアル 木村京子 1991
イルカと海に還る日 ジャック・マイヨール・関邦博 1993
アプネア ウンベルト・ペリッツアーリ 早川信久 1996
ダイブ ピピン・フェレーラス 2005
スノーケリング指導者教本 日本スノーケリング協会 2006
ブルーゾーン 篠宮龍三 2010
スノーケリングテクニックガイド 長谷川孝一 2013
時系列で並べてみると、これらについて、論じてゆくと、スキンダイビングがどういうものか、見えてくる。その延長線上に今書いているスキンダイビング・セフティがある。
もしかしたら、ここに書くことを整理して、スキンダイビング・セフティに載せてもよいのだが、スペースがない。
この表紙だが、鶴の写真ではなくて、なぜかダイブウエイズ社長の武田さんが写っている。
スポーツ潜水 鶴耀一郎 1973
まず、ここから見てゆこう。
この本はスキンダイビングの本というわけではなくて、スクーバも含んだスポーツ潜水全般について書かれている入門書になっている。
しかし、鶴耀一郎といえば、息こらえで魚を突くことについては、不世出といってもよい。彼は、1967年に発足した日本潜水会の最初からの中心人物である。その日本潜水会が、趣味的、スポーツとしての魚突き、スピアフィッシングを禁止にしていまった。スクーバのスピアフィッシングはいけないとしても、スキンダイビングのスピアフィッシングは、国際大会もあることだし、認めたらどうだ、と最後まで議論を重ねたが、漁業者でなければ、禁止するべきだということになった。ならば、漁師に、漁業者に慣れば、魚付きも認められるだろうと、奄美大島で潜水漁師になった。魚を突くことについては、漁業組合員になり、漁として行えば、良いのだろう。
魚突き禁止(自分たちのルールとして)が1967年、この本は1973年なのだが、巨大魚を突いた写真がふんだんに載っているし、彼のブルーオリンピック(国際的魚突き大会)での活躍も載っている。
ダイビング全般の入門書ではあるが、その50%はスキンダイビング関係である。
そして、スクーバダイビングの基礎はスキンダイビングであるというフィロソフィーを通している。
書かれているエピソード、ブルーオリンピックのこと、シャークハントのこと、息こらえ競争のこと、ジャック・マイヨールのこと、どれもが興味ふかいが、ここでは、息こらえコンテストと、ジャック・マイヨールについて取り上げる。
息こらえコンテストについて
たしか南米の何処かの国から来た、息こらえの世界チャンピオン(当時)を迎えて、テレビのバラエティ番組で鶴曜一郎が挑戦者として出演した。スタジオだから、風呂桶、それも小さい風呂桶に入れられての競争だった。
「女性代表で出場して海女さんは、1分前後でストップ、そして世界チャンピオンが持っている記録は5分35秒
私も過去に何回か失神した経験がある。しかし、渡しの場合は長い間素潜りをやってきた中で体得したユニークな技術がある。それは、限界までこらえていて、もうこれ以上ダメだという状態の時には、必ず水面に顔を出していて、一回呼吸してから10秒可20秒失神するのだ。
自分で言うのもおこがましいか、この一回呼吸するまでは理性の強さというか、限界を見極める一つのバロメーターを自分自身でしっかりつかんでいるという自己管理につながっているのだと思う。
結局この挑戦は、チャンピオン氏が4分30秒でストップ、私はそれを横目で見ながら、5分17秒まで我慢した。そして、水槽から立ち上がり、一呼吸してからぶっ倒れた。つまり失神慕わかだが、①呼吸してあるので、人工呼吸などを受けなくても、20秒ぐらいで正常にもどれた。」
今行われている競技は、失神、ブラックアウトしたら失格だから、失神できないが、顔を出したら直ちに何回か吸い込ムということは大事だ。
マイヨールについて
「マイヨールが日本に来て伊豆の伊東(海洋公園)で潜った時、私達はボンベを着けて、水深80mのところにいた。この水深では、ボンベがあっても命がけで潜らないと潜れない深さだ、
ところがマイヨールは、素潜りで80メートルまで潜った。公式には、80mのところにある札、を拾えずに、76メートつの札だったので、記録は76mになった。」
鶴曜一郎も80mに素潜りで潜りたかったはずだ?
しかし、こう書いている。
「日本人はやはりエコノミックアニマだから、夢よりも現実をもとめてしまう。深く潜るよりはダイビングショップの方がというわけだが、私を含めてだが、私も深度にいどくことはまず無いと思う。
しかし、彼らの様に素潜りで深度に挑戦するということは貴重だ。」
鶴曜一郎は、たしかに、金銭感覚にきびしい奴だった。お金にならないと潜らなかったけれど、潜れれば潜りたいと思ったに違いない。