以下は、ダイビングワールドの連載を引用する。「One Clear Call」からの訳である。(ダイビングワールド誌 1976年4月号) 水深300mへの挑戦 1962年12月3日の朝、人間が自分の身体を水圧にさらして潜水する方式では、これまで誰も到達したことのない深さ、1000フィート、306m への潜水を、海で実行しようと企てたハンネス・ケラーは、彼とともに潜降するピーター・スモールと、潜水の母船であるユーレカ号の甲板上で、その日結構する潜水の準備を進めていた。 10時30分、ユーレカ号は、測深器が1000フィートを示す潜水地点に到達した。11時54分、潜水服を着て準備を整えたケラーとスモールは、ダイビングチャンバー(潜水ベル)アトランティス号に乗り込んだ。 ケラーとジャーナリストであるピーターがこのチャンバーにはいり、ユーレカ号のクレーンで1000フィートの海底に降ろす。室内の圧力を上げて、1000フィートの海底の圧力と等しくしてから、チャンバーの底のハッチを開いて、(水圧と内圧が等しければ、水は入ってこない)ケラーは、外に泳ぎでて、彼の国スイスの国旗と、米国の国旗を海底に建て込んで来る予定だった。ケラーがチャンバーに戻ったならば、ハッチは再び完全に閉められ、直ちに船上に引き上げられる。チャンバーの内圧は、そとの気圧より高くなっているが、密閉が完全であれば、室内の圧力はたもたれ、時間をかけて減圧する。 12時6分過ぎ、ユーレカ号のクレーンはアトランティス号を静かにつり上げ、海の中に降ろした。ケラーとピーターは、器具のすべてに対して最後のチェックを行った。12時12分、すべてが順調であるとの信号が交わされ、アトランティス号は降下を開始する。 10分後アトランティスごうは500フィートに達した。圧力が増すとともに、室内の温度はかなり高くなったが、これは予期されていたことだった。アトランティス号内部に取り付けられた、監視用のテレビカメラでユーレカ号の甲板の人々は、アトランティス号の内部で起こることのすべてを見守ることができる。 下降は続けられ、やがて圧力計は1000フィートの水深に達したことを示した。ケラーはハッチを開き、外に泳ぎでる準備をした。 ケラーはハッチに続く梯子を降り、外の暗闇に滑り出て行った。暗い海底は数個のライトで照らされ、静まりかえっていた。ケラーが2mほど下の海底に降り立った時、突然、事態が悪化した。 スイスと米国の国旗を手にしていたその旗が、海底のわずかな流れでたなびいて、ケラーに巻き付いて、マスクを覆い、なにも見えなくしてしまった。このような大深度では、常には何気なくできる動作が全くできなくなる。この旗をふりほどくことができなかった。チャンバーをでてから何分経過したかわからない。彼は急いでチャンバーに戻らなければならないことに気がついた。彼の持っている潜水器は、ほんの数分だけ海底にとどまれるものだった。なにしろ300m、31気圧である。(彼の使っている潜水器はリブリーザではなくて、オープンサーキットであった。220m潜ったときは、USダイバーのカリプソを使っていて、それでカリプソの評価があがったという。:ダイビングテクノロジー:石黒) ケラーは意識を失いながら、チャンバーの梯子を登った。ピーターは彼を助けようとした。 意識を失いかけている状態での記憶は定かではないが、ケラーはこの瞬間をできるだけ思い起こして後に書いている。 「全く突然、私は自分の身体の異常を知った。多分私は私の着けていった潜水器の使用時間をはるかに越えて行動していたのだと思う。タンクの中の呼吸気体を呼吸し尽くしてしまって、酸素欠乏のために意識を失うのは秒の問題であった。チャンバーの中のハッチの水位が高くなっていたのでハッチを閉めるために、空気の弁を開いて、チャンバーの中に空気を放出して、チャンバーの内圧を上げた。ハッチを閉じたあと、私はマスクをかなぐり捨てた。300mの深度で、私は普通の圧縮空気を呼吸して、意識を失っていった。」 ユーレカ号上では、有線テレビカメラで、下でおこっていることのすべてを見て取ることができ、しかも直ちに救助する手段をなにも持っていないのだ。彼らはケラーが倒れるのを見た。ピーターがケラーを助けようとして、身を屈めるのを見た。それからほんの少し経って、ピーターも意識を失って動かなくなってしまった。 危急事態にそなえて訓練してあったので、ユーレカ号の人々は、まずなにをなすべきかを知っていた。アトランティス号をとにかく引き上げなくてはならないが、それには内圧が高く保たれていなければならない。しかし、引き上げるに伴って内圧はぐんぐん下がっていく。どこかから空気が漏れているのだ。このままチャンバーを引き上げれば、圧力は急に下がって、中の二人は死んでしまう。 救急ダイバーのディックとクリスが潜水する。 チャンバーは水深64mまで引き上げられたところで、二人は潜水していき、漏れの原因を探さなくてはならない。 気体の漏れの原因として、まず、どこかのバルブの閉め忘れが考えられた。クリスとディックは、チャンバーの周囲を泳ぎ回って調べたが異常はなく、すべてのバルブ類はしっかりと閉じられていた。二人は、すでに漏れは止まっているかもしれないと願いながら浮上した。しかし、漏れはとまらず、チャンバーは内圧を失い続けた。 ディックは再び潜っていこうとし、クリスもそれに続こうとした。 クリスのライフジャケットは膨らんだ状態になっていた。浮上を容易にするために水中で膨らませたものだった。65mの水深では、どうしても重量過剰になってしまう。浮き上がるのに努力が必要である。 ※BC.のない時代である。 クリスはライフジャケットの浮力で少しでも浮上の労力を少なくしようとしたのだ。 それにしても、65mの水深から、ライフジャケットを膨らませて、浮上してくることなど、あり得ないと思い、原文をもう一度確認してみた。 he had beenwearing a safety jacket ,and when he had come up for the first time he hadinflated it to case his ascent たしかに、ライフジャケットを膨らませて、急浮上している。しかも水面まで。このようにライフジャケットをつかうことをクリスは、ダートマスで習得したとも書いてある。プロダイバーのディックはライフジャケットを着けていない。 ディックはすでに潜っていってしまっている。クリスは秒を争って行かなくてはならない。膨らんだライフジャケットの空気をゆっくり抜いている余裕はないと判断して、クリスはダイバーナイフでジャケットを切り裂いて潜水して行った。 クリスはチャンバアーのそばで、ディックに出会った。足ヒレの端がハッチにはさまっていて、そのためにハッチが閉じていないのを発見した。ハッチの中にそれを押し込むのには、クリスのナイフが役立った。ディックはどういうわけかナイフを持っていなかった。クリスはディック担い府を渡し、ディックは、そのナイフで足ヒレの先をチャンバーの中に押し込み、ハッチはしっかりと閉じられた。クリスはライフジャケットを切り裂いてしまっているので、浮上に際してもうライフジャケットを利用することはできない。彼は、ウエイトベルトを身体からはずして、チャンバーにきっちりとかけてから浮上した。その後にクリスになにが起こったかは推測する他はないが、この時点まで、クリスの思考は正常でしっかりしていたに違いない。ウエイトベルトはしっかりと固定されていた。 ディックがクリスを最後に見たのは、クリスの浮上する姿であった。彼は何の異常もなく、浮上していくように見えた。ディックは何事もなく船に戻った。クリスは浮上してこなかった永久に。 ※想像するにクリスの死因は激烈な減圧症だったのではないだろうか。「One clear call」は潜水の専門書ではないので、そのあたりのことには詳しくない。クリスの遺体があがったのかどうかも報じられていないが、300mの水深に沈んだとすれば、捜索のてだてもない。 水上ではさらに不安と混乱が続いた。チャンバーの中の圧力は安定したが、クリスとピーターを外に出すには,なお数時間の減圧が必要だった。医者のベイルマン博士の指揮のもとにチャンバー内の圧力を減らしていくのだ。ケラーとピーターの減圧には6時間以上が必要であった。(医者はベイルマン博士、この潜水の減圧停止などの決定、潜水ガスの決定などは、いま日本の潜水士の減圧の計算の元になっているアルゴリズムを考え出したビールマン博士であったはずだる。) やがて、ケラーは意識を取り戻し、ドクターとインターフォンで話ができるようになったが、ピーターは意識を失い続けた。 ケラーの見たところでは、ピーターは外見上全く異常が無く、肌の色もよかった。また何の痛手も感じていないようであった。減圧が終了するまでに、ユーレカ号はロングビーチの港に着き、チャンバーは、二人を中に入れたまま船から降ろされたベイルマン博士はケラーにピーターの様子を見るように命じた。ケラーがピーターに触れると、ピーターは全く呼吸していなかった。驚いたけらーは直ちに人工呼吸をはじめた。チャンバーを開き病院に急行したが、ピーターの命を取り戻すことはできなかった。 なお、亡くなったピーターの妻、マリーもクリスの友人だったが、夫を亡くした心痛からか、残務の整理と、周囲への挨拶を終了してから、亡くなってしまう。 ※行方不明のクリスはそのままだが、この事態では仕方がないだろう。 ケラーの潜水は決して成功とは言えないとおもう。4人が潜水して、二人が死んでしまったのだから。計画も、その経過も、現時点から見れば粗雑である。このような実験潜水でスタンバイダイバーが二人だけというのも信じられない。しかし、とにかく、ハンネス・ケラーは300mまで、潜ってそして、生きてかえって来たのだ。 そして、このような実験潜水を個人の努力と力で行うのは、これが限界と言うより限界を越えていて、それが事故の、この実験を事故と考えたとしてだが、この事故の原因である。 僕は、1962年に舘石昭氏と100m(到達は90m)潜水実験を行い。次の段階として混合ガス潜水を計画していた。それを行うことが無かったのは、このハンネス・ケラーの潜水の実施と破綻をこんな形で知ってしまったからだ。このような実験潜水をパーフェクトな状態でやれるとは思えなかったし、すでに国の事業としてのシートピア計画がスタートしてうた。 自分の潜水は、自分の考えた通りに実行され、テレビ番組もなり成功したし、フルフェースを使った、有線通話にも成功している。それが、後の仕事展開に大きく寄与している。それで満足すべきだろう。 山田稔さんのまとめでは「ハンネス・ケラーは、海のない国、スイス人でありながら、有名な深海潜水の開拓者である。チューリッヒ大学で数学・物理学を学び、混合ガス潜水の減圧表をアルバート・ボールマンの指導を受けて作成し、自ら湖で120m、220mの潜水記録を作った。さらに1962年には300m潜水を行った。後にケラーはIT企業で成功した。2009年には、米国の、Historical Diving Society のメンバーになった。 ※成功して、2009年には生きて活動していたということだ。 ※ベイルマン、ビールマン ボールマン、同じ人の日本語読み違いだが、原文通りとし手、統一しなかった。 .
以下は、ダイビングワールドの連載を引用する。「One Clear Call」からの訳である。(ダイビングワールド誌 1976年4月号) 水深300mへの挑戦 1962年12月3日の朝、人間が自分の身体を水圧にさらして潜水する方式では、これまで誰も到達したことのない深さ、1000フィート、306m への潜水を、海で実行しようと企てたハンネス・ケラーは、彼とともに潜降するピーター・スモールと、潜水の母船であるユーレカ号の甲板上で、その日結構する潜水の準備を進めていた。 10時30分、ユーレカ号は、測深器が1000フィートを示す潜水地点に到達した。11時54分、潜水服を着て準備を整えたケラーとスモールは、ダイビングチャンバー(潜水ベル)アトランティス号に乗り込んだ。 ケラーとジャーナリストであるピーターがこのチャンバーにはいり、ユーレカ号のクレーンで1000フィートの海底に降ろす。室内の圧力を上げて、1000フィートの海底の圧力と等しくしてから、チャンバーの底のハッチを開いて、(水圧と内圧が等しければ、水は入ってこない)ケラーは、外に泳ぎでて、彼の国スイスの国旗と、米国の国旗を海底に建て込んで来る予定だった。ケラーがチャンバーに戻ったならば、ハッチは再び完全に閉められ、直ちに船上に引き上げられる。チャンバーの内圧は、そとの気圧より高くなっているが、密閉が完全であれば、室内の圧力はたもたれ、時間をかけて減圧する。 12時6分過ぎ、ユーレカ号のクレーンはアトランティス号を静かにつり上げ、海の中に降ろした。ケラーとピーターは、器具のすべてに対して最後のチェックを行った。12時12分、すべてが順調であるとの信号が交わされ、アトランティス号は降下を開始する。 10分後アトランティスごうは500フィートに達した。圧力が増すとともに、室内の温度はかなり高くなったが、これは予期されていたことだった。アトランティス号内部に取り付けられた、監視用のテレビカメラでユーレカ号の甲板の人々は、アトランティス号の内部で起こることのすべてを見守ることができる。 下降は続けられ、やがて圧力計は1000フィートの水深に達したことを示した。ケラーはハッチを開き、外に泳ぎでる準備をした。 ケラーはハッチに続く梯子を降り、外の暗闇に滑り出て行った。暗い海底は数個のライトで照らされ、静まりかえっていた。ケラーが2mほど下の海底に降り立った時、突然、事態が悪化した。 スイスと米国の国旗を手にしていたその旗が、海底のわずかな流れでたなびいて、ケラーに巻き付いて、マスクを覆い、なにも見えなくしてしまった。このような大深度では、常には何気なくできる動作が全くできなくなる。この旗をふりほどくことができなかった。チャンバーをでてから何分経過したかわからない。彼は急いでチャンバーに戻らなければならないことに気がついた。彼の持っている潜水器は、ほんの数分だけ海底にとどまれるものだった。なにしろ300m、31気圧である。(彼の使っている潜水器はリブリーザではなくて、オープンサーキットであった。220m潜ったときは、USダイバーのカリプソを使っていて、それでカリプソの評価があがったという。:ダイビングテクノロジー:石黒) ケラーは意識を失いながら、チャンバーの梯子を登った。ピーターは彼を助けようとした。 意識を失いかけている状態での記憶は定かではないが、ケラーはこの瞬間をできるだけ思い起こして後に書いている。 「全く突然、私は自分の身体の異常を知った。多分私は私の着けていった潜水器の使用時間をはるかに越えて行動していたのだと思う。タンクの中の呼吸気体を呼吸し尽くしてしまって、酸素欠乏のために意識を失うのは秒の問題であった。チャンバーの中のハッチの水位が高くなっていたのでハッチを閉めるために、空気の弁を開いて、チャンバーの中に空気を放出して、チャンバーの内圧を上げた。ハッチを閉じたあと、私はマスクをかなぐり捨てた。300mの深度で、私は普通の圧縮空気を呼吸して、意識を失っていった。」 ユーレカ号上では、有線テレビカメラで、下でおこっていることのすべてを見て取ることができ、しかも直ちに救助する手段をなにも持っていないのだ。彼らはケラーが倒れるのを見た。ピーターがケラーを助けようとして、身を屈めるのを見た。それからほんの少し経って、ピーターも意識を失って動かなくなってしまった。 危急事態にそなえて訓練してあったので、ユーレカ号の人々は、まずなにをなすべきかを知っていた。アトランティス号をとにかく引き上げなくてはならないが、それには内圧が高く保たれていなければならない。しかし、引き上げるに伴って内圧はぐんぐん下がっていく。どこかから空気が漏れているのだ。このままチャンバーを引き上げれば、圧力は急に下がって、中の二人は死んでしまう。 救急ダイバーのディックとクリスが潜水する。 チャンバーは水深64mまで引き上げられたところで、二人は潜水していき、漏れの原因を探さなくてはならない。 気体の漏れの原因として、まず、どこかのバルブの閉め忘れが考えられた。クリスとディックは、チャンバーの周囲を泳ぎ回って調べたが異常はなく、すべてのバルブ類はしっかりと閉じられていた。二人は、すでに漏れは止まっているかもしれないと願いながら浮上した。しかし、漏れはとまらず、チャンバーは内圧を失い続けた。 ディックは再び潜っていこうとし、クリスもそれに続こうとした。 クリスのライフジャケットは膨らんだ状態になっていた。浮上を容易にするために水中で膨らませたものだった。65mの水深では、どうしても重量過剰になってしまう。浮き上がるのに努力が必要である。 ※BC.のない時代である。 クリスはライフジャケットの浮力で少しでも浮上の労力を少なくしようとしたのだ。 それにしても、65mの水深から、ライフジャケットを膨らませて、浮上してくることなど、あり得ないと思い、原文をもう一度確認してみた。 he had beenwearing a safety jacket ,and when he had come up for the first time he hadinflated it to case his ascent たしかに、ライフジャケットを膨らませて、急浮上している。しかも水面まで。このようにライフジャケットをつかうことをクリスは、ダートマスで習得したとも書いてある。プロダイバーのディックはライフジャケットを着けていない。 ディックはすでに潜っていってしまっている。クリスは秒を争って行かなくてはならない。膨らんだライフジャケットの空気をゆっくり抜いている余裕はないと判断して、クリスはダイバーナイフでジャケットを切り裂いて潜水して行った。 クリスはチャンバアーのそばで、ディックに出会った。足ヒレの端がハッチにはさまっていて、そのためにハッチが閉じていないのを発見した。ハッチの中にそれを押し込むのには、クリスのナイフが役立った。ディックはどういうわけかナイフを持っていなかった。クリスはディック担い府を渡し、ディックは、そのナイフで足ヒレの先をチャンバーの中に押し込み、ハッチはしっかりと閉じられた。クリスはライフジャケットを切り裂いてしまっているので、浮上に際してもうライフジャケットを利用することはできない。彼は、ウエイトベルトを身体からはずして、チャンバーにきっちりとかけてから浮上した。その後にクリスになにが起こったかは推測する他はないが、この時点まで、クリスの思考は正常でしっかりしていたに違いない。ウエイトベルトはしっかりと固定されていた。 ディックがクリスを最後に見たのは、クリスの浮上する姿であった。彼は何の異常もなく、浮上していくように見えた。ディックは何事もなく船に戻った。クリスは浮上してこなかった永久に。 ※想像するにクリスの死因は激烈な減圧症だったのではないだろうか。「One clear call」は潜水の専門書ではないので、そのあたりのことには詳しくない。クリスの遺体があがったのかどうかも報じられていないが、300mの水深に沈んだとすれば、捜索のてだてもない。 水上ではさらに不安と混乱が続いた。チャンバーの中の圧力は安定したが、クリスとピーターを外に出すには,なお数時間の減圧が必要だった。医者のベイルマン博士の指揮のもとにチャンバー内の圧力を減らしていくのだ。ケラーとピーターの減圧には6時間以上が必要であった。(医者はベイルマン博士、この潜水の減圧停止などの決定、潜水ガスの決定などは、いま日本の潜水士の減圧の計算の元になっているアルゴリズムを考え出したビールマン博士であったはずだる。) やがて、ケラーは意識を取り戻し、ドクターとインターフォンで話ができるようになったが、ピーターは意識を失い続けた。 ケラーの見たところでは、ピーターは外見上全く異常が無く、肌の色もよかった。また何の痛手も感じていないようであった。減圧が終了するまでに、ユーレカ号はロングビーチの港に着き、チャンバーは、二人を中に入れたまま船から降ろされたベイルマン博士はケラーにピーターの様子を見るように命じた。ケラーがピーターに触れると、ピーターは全く呼吸していなかった。驚いたけらーは直ちに人工呼吸をはじめた。チャンバーを開き病院に急行したが、ピーターの命を取り戻すことはできなかった。 なお、亡くなったピーターの妻、マリーもクリスの友人だったが、夫を亡くした心痛からか、残務の整理と、周囲への挨拶を終了してから、亡くなってしまう。 ※行方不明のクリスはそのままだが、この事態では仕方がないだろう。 ケラーの潜水は決して成功とは言えないとおもう。4人が潜水して、二人が死んでしまったのだから。計画も、その経過も、現時点から見れば粗雑である。このような実験潜水でスタンバイダイバーが二人だけというのも信じられない。しかし、とにかく、ハンネス・ケラーは300mまで、潜ってそして、生きてかえって来たのだ。 そして、このような実験潜水を個人の努力と力で行うのは、これが限界と言うより限界を越えていて、それが事故の、この実験を事故と考えたとしてだが、この事故の原因である。 僕は、1962年に舘石昭氏と100m(到達は90m)潜水実験を行い。次の段階として混合ガス潜水を計画していた。それを行うことが無かったのは、このハンネス・ケラーの潜水の実施と破綻をこんな形で知ってしまったからだ。このような実験潜水をパーフェクトな状態でやれるとは思えなかったし、すでに国の事業としてのシートピア計画がスタートしてうた。 自分の潜水は、自分の考えた通りに実行され、テレビ番組もなり成功したし、フルフェースを使った、有線通話にも成功している。それが、後の仕事展開に大きく寄与している。それで満足すべきだろう。 山田稔さんのまとめでは「ハンネス・ケラーは、海のない国、スイス人でありながら、有名な深海潜水の開拓者である。チューリッヒ大学で数学・物理学を学び、混合ガス潜水の減圧表をアルバート・ボールマンの指導を受けて作成し、自ら湖で120m、220mの潜水記録を作った。さらに1962年には300m潜水を行った。後にケラーはIT企業で成功した。2009年には、米国の、Historical Diving Society のメンバーになった。 ※成功して、2009年には生きて活動していたということだ。 ※ベイルマン、ビールマン ボールマン、同じ人の日本語読み違いだが、原文通りとし手、統一しなかった。 .