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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1111 ダイビングの歴史37 

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ダイビングの歴史 37 海中居住 1 人間は陸棲の動物である。水中には限られた時間だけしかとどまれない。とどまれる時間を左右するのは、まず呼吸する気体である。呼吸気体が絶たれれば、あっという間に窒息死する。これは、潜水器で送気する。
次に生命維持の環境の問題がある。寒さ、食事、排泄 幾つかの潜水方式の中では、ヘルメット式がもっとも安楽である。そのことが、この古い潜水方式を200年も生き延びさせているしかし、熟練したダイバーであれば、数百分の労働が可能であろう、それとても、労働時間の計測は分である。私たちのスクーバは、数十分、そして呼吸気体の喪失、エア切れは、確実な死をいみする。
 吊り鐘を伏せたようなダイビングベルは、潜水器の原型でもあった。ダイビングベルをどんどん大きくして、家のような空間を作れば問題は解決する。海底ハウス(ハビタット)である。しかし、ダイバーであれば、説明を省略出来る減圧症の問題がある。ダイバーが陸上に戻るためには長い長い減圧時間が必要である。深く潜れば潜るほど減圧時間は長くなる。
 私たちスクーバダイバーが水深60mに潜り5分間、撮影などして、そこに留まったとする。合計して、60分以上の減圧停止時間が要求される。
 今私たちは結論を知っている。100m潜ったとして、その100mで不活性ガスで身体を飽和させてしまえば、減圧時間も飽和してしまう。それは、長い時間、何日という単位になるが、それは、それ以上には延びない。飽和潜水、サチュレーションダイビングである。
 日本人ダイバーの多くが知っている、また、社会の注目を集めた飽和潜水は、日本海、対馬沖で行われたロシア軍艦ナヒモフ号が積んでいたとされる金塊の捜索である。僕の会社、スガ・マリン・メカニックからも、田島雅彦が出向してダイバーとして参加した。
 船上に置いた大型の再圧室を居住空間として、ダイバーは二人が入ることが出来る加圧カプセルに入って、作業現場の水深80mまで降下する。そこで数時間の作業を行って、再びカプセル(PTC)に乗って吊り上げられ船上の再圧室(SDC)に帰還する。二つの圧力室はドッキングして、ダイバーは、狭いけれど居住空間に戻る。1回のサチュレーション、1サットは、およそ20日間ダイバーは、飽和状態からでることは出来ないが、数十時間の作業が出来る。
 今、現実の海中作業で、居住ハウスを作ることはない。
 
 しかし、1960年代、人類は海底に家を造って大陸棚に進出しようとした。海こそが地球上に残された、フロンティア、人間の足が踏み入れたことがない空白地帯だ。人類は夢と探検、冒険を追ったのだ。それは、作業ではない。探検、冒険だったのだ。国家予算を使って、なんと馬鹿馬鹿しいと思わないではないが、1960年代、日本人もその夢に参加した。 人類は、あえてダイバーとは、言わない。人類は海の中へより深く、より長く潜ろうとした。その為には、生理学的問題、医学的な問題を解決しなければならない。これも、歴史をたどれば、1800年代までさかのぼってしまうが、ここでは、1957ー1963のジェネシス実験からスタートする。  ジェネシス実験は、米国海軍の潜水実験隊が行ったもので、ジョージF ボンド大佐が中心であり、チャンバーの中で、ヘリウム90%の混合ガスでの飽和潜水に成功した。人間 ダイバーは、60mの圧力下で12日間無事に過ごせた。これにより、ヘリウムを主体とした混合ガスでの飽和潜水の可能性が開けた。 マン・イン・ザ・シー 計画
 エドウィン・A.・リンクは、飛行機の操縦訓練装置 リンク。トレーナーの開発で有名であったが、水中考古学の分野で水中活動にも関わっていた。ボンドのジェネシス計画を検討し、潜水カプセル、径0,9m、長さ3mのアルミ製の円筒で、人間が入って、水深122mまで潜降出来るリンク式シリンダーを発表した。呼吸気体はアンビリカルで送られる。アンビリカルとは、へその緒のことで、胎児が母胎から生命を維持するすべてを送られる管である。潜水では、呼吸気体、電源、通信線等を束ねたものをたとえてアンビリカルと呼ぶようになった。ダイバーは、水中で、水圧と等圧になった円筒のハッチを開けてハッチアウト(生まれ出るように)エクスカーション(おでかけ)することができる。
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 マン・イン・ザ・シー Ⅰ 1962
 1962年8月、地中海のリビエラで、58歳のリンク自身が18、3mに8時間を過ごし、水中に90分間でて作業した。呼吸気体は、酸素10%、ヘリウム87%、窒素3% であった。
 このテストのあと、ダイバー、ロバート・ステニュイトが、水深61mで48時間過ごす計画を実施する。呼吸気体は、酸素3%、ヘリウム97%を使用した。
 ヘリウム漏れ、海象の悪化などのため潜水は24時間15分で打ち切られたが、ステニュイトは、半径15mの範囲、57m、74mの垂直エクスカーションを行った。 コンシェルフ Ⅰ 1962
 フランスもジェネシス実験に注目し、ジャック・イブ・クストーが主導してコンシェルフ計画を進めていた。
 リンクの実験終了後わずか4日後、それも、わずか161キロのマルセーユでコンシェルフⅠがスタートする。
 ハビタットはディオゲネスと名付けられ、径2,4m、長さ、5,2mの円筒で10mの深さに設置され、二人のアクアノート(海中居住ダイバー、海底人)アルベール・ファルコ クロード・ウェスリーは、9月14日から21日まで一週間、その間のエクスカーションは、一回が5時間、水深55mまで行った。水温は16度から21度 呼吸気体は空気を使用した。
 コンシェルフ Ⅱ 1963
 1963年6月 場所は紅海、ポートスーダン沖のローマン礁、水深は11mで4週間 5人のアクアノート展開を予定した。
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  ハビタットは、中心区画から4本のアームがでている星形である。
 星形ハウスは、寝室部分、居間、食堂えりあ、潜水準備室 衛生区間で構成されている。
 海中基地の所長は、モナコ海洋博物館のレイモン・ペシェール教授38歳、チーフダイバーは30歳のクロード・ウェスリー、33歳のアンドレ・ファルコ、ピエール・バノニ、コック長のピエール・ギルベール43歳であった。さらにマスコットのオウムのクロードが加わった。
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 27m水深に、もう一つのディープキャビンが設置された。ディープキャビンは二層、2階立てて、上が居住区、下が潜水具、道具、ハッチ、ここで、二人はヘリウム50%空気50%の混合気体を呼吸した。星形ハウスでは、普通の空気を呼吸する。ディープキャビンには、レイモン・キーンツィ、33歳とアンドレ・ボルトラティーヌ46歳が、一週間滞在し、水深50mへの日常的エクスカーションと水深110mへの3回のエクスカーションを行った。テキストには、110mへのエクスカーションも通常の空気を使用したとあるが、本当だろうか。
 コンシェルフⅡでは、305mまで潜降できる2人乗りのハイドロジェット式潜水円盤(円盤型の潜水艇)を用意しており、この潜水艇は、水中のガレージから発進し、戻ってくる。これにより、どんな荒天でも潜水艇は発進し戻ってくることができる。
 4週間のコンシェルフⅡは、食事を調理し、ある程度快適に海底で居住することができた。クストー夫人は4週間の最後の4日間、星形ハウスを訪問し、そこで過ごした。
 星形ハウスがハビタットであり、ディープキャビンは生存シェルターと位置づけられる。
 このコンシェルフⅡの主要な仕事の一つは映画の撮影であり、ドキュメンタリー映画「太陽の届かぬ世界」として、公開され大きな反響を呼んだ。
 
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 マン・イン・ザ・シーⅡ 1964
 マン・イン・ザ・シーⅠに引き続いて、居住や作業を122mの水深にのばすべくⅡが計画された。Ⅰのシリンダーに加えて、ハビタットとして、奥行き(径)1,2m、長さ2,4mのゴム製の円筒形の袋、スピッドが用意された。
 122mに置かれたスピッドに、マン・イン・ザ・シーⅠのシリンダーが昇降用に使用される。さらに、この計画ではイグルーと呼ぶ、お椀のような構造物で、海底にドライ環境をつくり、そこで作業を行う計画である。
 母船のシーダイバー号には、減圧用のタンクが置かれていて、ダイバーは、足を延ばして、減圧時間を過ごすことができる。現在の飽和潜水の原型ともいうべきシステムである。
 ジャック・イブ・クストーのコンシェルフが、快適性を追求する居住であるのに比べてマン・イン・ザ・シーは、より深く、生存・作業範囲を拡大することを目指した、よりハードなものといえる。 潜水場所はバハマのベリー諸島が選ばれた。ダイバーは、ロバート・ステニュイトとジョン・リンドバークであり、呼吸気体は酸素3。6%、窒素5,6%、ヘリウム90,8%の混合ガスが使用され、アンビリカルで送られた。
 飽和深度の水温は22,2度、ヘリウム潜水に伴う、寒さがダイバーを悩まし、海底で49時間作業をした後、シリンダーにもどり、水面に引き上げられた。92時間の減圧後、ダイバーは外にでることができた。 海中居住については、小史のの一つであり、継続する。 なお、参考テキストとして、「海中居住学」Living and Working inn the Sea James.W.Miller Ian G Koblik 関邦博 横山庚大 真野喜洋 海老原芳治 訳 丸善1992 を参照した。図版もここから引用した。
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