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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1022 ダイビングの歴史33 1965

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後藤道夫 撮影
ダイビングの歴史 33 1964~
 水中撮影特集
 これが「どるふぃん」の最終号になる。
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 裏表紙は館石昭撮影

 ニコノスの日本光学がフルスポンサーになったから出した。また、燃しそうでなければださなかっただろう。水中写真部が編集してだしたものだと記憶している。
 そして、ここに載せられている写真が、当時の日本の最高峰だ。と思って、今日の月刊ダイバー、マリンダイビング、そして各所で開かれる写真展と比べ見ると、当時と今では水中写真についての考え方がまるでちがうのだ、と考えるか、まるで下手くそなのだそのどちらなのだろうか。

 写真作品集のほかに☆水中撮影の第一歩 舘石昭 ☆水中カメラについて、後藤道夫 ☆水中撮影地ところどころ 木村貞蔵 ほか、 三つの記事が載っている。子の三つを見れば、水中撮影ができる。そういうコンセプトだ。 もう一つ、個人的に特筆することは、僕の写真が一枚も載っていないことだ。カメラマンとしてもダイバーとしても、ダイビングでは僕の弟子クラスの人が載せている。僕は大学時代、写真を撮って過ごした。卒業論文も写真を多数使ったし、新東宝、岩波映画などの助手もアルバイトでやった。なぜ、といえば写真を撮らなかったのだ。舘石さんと一緒に潜っていると、僕は写真を撮らない役割になる。バディで潜れば彼の助手、カメラ持ち、または魚を突くモデルとして水中銃を持っている。舘石さんから独立して、カメラを持つようになった。「海の世界」のコンテストに応募してたちまち一位になった。残念ながら、その「海の世界」は、大事にしまっておいて、どこかになくしてしまったが一枚だけ、残っている。これも、今見れば何だというようなものだが、皮肉なもので、海の世界 写真コンテストの審査員は舘石さんだった。
 
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 これは舘石さんの記事の中にあった僕が写されている写真

 ちょっとおもしろいレギュレーターを使っている。蛇腹のシングルホースである。胸の位置にセカンドステージのダイヤフラムをおいて、位置の差で呼吸抵抗をゼロにしている。フリーフローをマウスピース部分での弁構造で止めている。これは、そのレギュレーターのテストをしているときの写真。そんなテストの時も魚を突いている。予定通り呼吸抵抗は、ゼロに近くなったが、商品化はしなかった。
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 左が大崎映晋さん、右のヌードは、僕の中学、高校の同級生だった伊藤二良 なんだこれは、確かにヌードだが。
どるふぃん誌上最初で最後のヌード、日本の水中撮影史上でもこれが発表されたヌードの最初?
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 これは田辺英蔵さんの二枚、伊藤則美さん的な写真。

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 伊藤潤子がミノカサゴを突き刺している。なぜ、そんなことをするの?という写真?舘石昭撮影だ。まあ潤子は美人だけど。
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 木村貞蔵さん クマノミはどこにいる。
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 木村貞蔵さん 黒いサンゴ 1965年当時は、まあ、こういう写真を撮っていたわけだ。歴史的な意味は大きい。


   そして「どるふぃん」は終わった。

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