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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1021 ダイビングの歴史32 どるふぃん  1965秋

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 ダイビングの歴史 32  「どるふぃん」 9ー1・2  1965 秋 表紙 ユージニー・クラークさんの写真  ☆フランスの潜水事情とプレコンチナン計画・その他  ジャック・イブ・クストー クストーが日仏海洋学会・佐々木忠義会長 の招きで来日した。 クストーは、日本で3回の講演を行い、その記録である。今読み直すと大陸棚開発、海洋開発、海底居住の原点がわかる。 講演 その1は、上記原点の説明である。テクノロジーの進歩で、人間が海に入っていくということの困難はほとんど克服された。克服できない困難の一つは、海が荒れることで仕事ができる日数が制限される。一つは圧力であり、水面との往復に時間がとられる。海の中に住んでしまえばこの二つの困難は解消する。 これもテクノロジーの進歩で、陸上でできることのほとんどが水中でもできるようになった。ダイバーはヘリウムの混合ガスを使うことで、180m、大陸棚のほとんどすべてが行かれるところになった。ただ、問題はコストである。クストーの試算によれば、水中は陸上の4倍のコストがかかる。それに見合う仕事でなければならない。 今考えれば、なんと楽観的な、と思うが、50年前のことである。各国莫大な予算を組んでいる。アメリカは15億ドルであり、フランスはⅠ億ドルである。 講演その2は、テクノロジーの説明である。人は空気を呼吸して40m間で潜れる。ヘリウムの混合ガスで180mまで潜れる。潜水艇で4000mまで潜れる。4000m以上はバチスカーフで行かれる。海は、この四つのゾーンに分けられる。四つのゾーンでのテクノロジーの説明。 講演その3は、この年に公開される映画「太陽の届かぬ世界」プレコンチナン計画の説明とヘリウム潜水の説明である。  ☆はじめに 猪野峻 政府の上層部で海底資源開発だの、潜水技術の開発だのが議論され始めた。クストーも来た。アメリカで、130mの海底にテントのようなハウスで,二人のダイバーを二日間滞在させたエドウイン・リンクも来日した。 今後は科学の記事が多くなるので、「どるふぃん」も左開き横組みになる。   ☆海女の生理学シンポジュウム 第23回国際生理科学会議が日本で開かれ、その一日に海女が取り上げられ 各国の学者が発表したことに驚かされる。  ☆ユージニー・クラークさんの講演  ☆沖永良部の海 山田尚文  ☆潜水艇よみうり号見学 西村潜水艇の進化型 そんなことも書いていないし、何メートルまで潜れるのか書いてない。 
 8名で行って 親切に説明してもらったとだけ。
  写真はこんな写真だけ。タグボートの脇にとまっているゴムボートみたいなのがそれ。
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☆関西支部の潜水並びに訓練規定 今現在見ても、欠落のない規定である。
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☆潜水士講習修了試験  昭和40年であるから、指定講習であり、免許の申請ができる講習である。  協会だより 昭和40年度事業計画 基礎講習 入門講習をそれぞれ6月から9月まで、毎月、その上にトレーナー講習というのも加わった。このあたりに僕の進言が加味されていたかもしれない。こんな計画を計画の通りやるならば、猫の手、ではなくて須賀の手も借りなければならないだろう。
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 しかし、この講習が行われたかどうか知る由もない。この号を持って日本潜水科学協会は発展的消滅をしてしまうのだ。この年度に加入した会員も入れて、1623番 この名簿をみていて1622番に東村二平 21歳 大島観光荘の二平さんだ。彼は、消滅寸前の協会の会員になった。  1600人の会員、8年の歴史(それを築いてきた人たちの努力)を一片の挨拶もなく、それは、口頭、噂話、あるいは電話の苦情にたいする言い訳などはあったかもしれない。「どるふぃん」による公示ができるにも関わらず。なにも告示しなかった。関西支部、とそして出来かかっていた中部支部などは3階くらいまで上げて階段をはずされた。 小史で書こうとしている、日本国籍潜水指導団体盛衰の歴史が、先人たちのこのようなでたらめにはじまってスタートする。  大陸棚開発、海洋開発の足音は背後に迫っていた。その当時、潜水技術の受け皿になるような団体は協会以外にはなかった。莫大な国家予算も背景にはあっただろう。後に役員になる顔ぶれ、を見れば、政治的な圧力もあったかもしれない。僕らのような雑魚は切り捨てるのも結構だが、たとえば支部は分離するとか、切り離すとか、そして、この後、協会は社団法人海中開発技術協会に脱皮するのだから、日本潜水科学協会は僕ら若手に残しておいてくれれば、よかった。 そして、「どるふぃん」だけは残さなければいけなかった。機関誌が終わることは、その組織がなくなることなのだ。海中開発技術協会になっても「どるふぃん」があってかまわないのではないか。工藤さんなどはものを書くことが商売だったのだから。

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