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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1008 ダイビングの歴史25 どるふぃん

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ダイビングの歴史 25 「どるふぃん」 6・3 1962 冬 ☆ 大西博見さんのイラストとマンガがなかなか良いと、好きだった。
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 1ー2 ページの随想記事を7話載せている。 ☆1 東シナ海深夜の大エビとり 山田尚文 沖縄で大きなゴシキエビをとる話

 ☆2 怪談錦が浦 鈴木善太 後藤道夫のところでウエットスーツをつくっていた善チャンが書いた。自殺の名所、錦が浦に潜った話。カメラマンの伊藤則美さんと遺体の引き上げをする。 善チャンはおもしろい人で、山本富士子の写真と同棲していた。 山本富士子の写真を壁に貼り,ご飯を食べるとき、写真に向かって「いただきます」という。会って話せば普通の人で,ウエットスーツ作りの職人である。

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 ☆3 雲見 有情 田辺栄蔵 田辺さんは、その後随筆家としても有名になり、ヨットのことを書いた「キャビンン夜話」は大好きで、1ー5まで全部書棚にある。 雲見の地図が良い。

 ☆4 式根の島の魚たち 片岡照男 鳥羽水族館 ☆5 南極洋 サウスジョージャ島 海老名謙一 ☆6 大アワビと天上の恋 キャプテンクック ☆7 島の海 テングダイ 倉田洋二

 ☆博多湾の宝探し 写真と文 伊藤則美
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 則美さん(男子)は舘石さんとならぶ写真家で、どるふぃん の表紙も撮影している。元冠の碇らしいものを進駐軍が引き上げる話だが、今の海底考古学者がみたら「やめてください」と懇願するような話だろうが、もしかすると、これが、日本の海底考古学の事始めかもしれない。


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 引き上げた元寇の役の碇



 
 「どるふぃん」 6・4 1963 春 

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 ☆ 水中写真あれこれ 伊藤則美さんにきく
 則美さんは姿の良い人だった。


 本格ケース


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 アクリルケース グローブマリン


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 ☆ ニコノスについて 小秋元隆輝





 ☆ 島の海 渡りタコ 倉田洋二
   島の海には冬、マダコの群が渡ってくる。ワタリダコは、海底表面にいるので穫りやすい。

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 ☆協会だより
 関東支部 関西支部の活動




 ☆ショッピングガイドで
 東亞潜水機が紹介され三沢社長とともに須賀が移っている。考えてみると、わがままいっぱいさせてくれた大恩人である三沢社長の写真はこれしかない。

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 「どるふぃん」 7・1 1963 夏

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 ☆ハワイで潜れば 田辺栄蔵


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 ☆足ひれ考 宮沢徹二

 ひれについて当時としてよく調べている。
 その中の ひれの誕生は、でたらめとはいえないが間違っている。ダイビングの歴史で訂正する。
「マイクネルソンで有名なテレビ映画 「シーハント」の主演男優 ロイド。ブリッジェスは、海底文芸作品「マスク・アンド・フリッパー」の著者として有名でもある。彼によれば,世界で初めて足ひれを使ったのは,南洋諸島の住民であり,彼らは椰子の葉柄を足に縛り付けて海に入ったという。1930年、彼の地を旅行したオーエン。チャーチル氏は,彼らと泳いでこれを学び,その効果に驚き、早速カリフォルニアに持って帰った。その後、苦心して今日の足ひれの形に作り上げ、パテントもとれたが、誰一人として,これに製造を引き受けようとしなかった。オウエンはイカサマ発明狂といわれながらもこれに屈せず、ついに自分で工場を作り上げたが、しばらくは泳ぎを楽しむ連中は見向きもしなかったのである。たまたま、ガイ・ギルパトリックによって代表されるスキンダイバーが近代スポーツとして台頭し、たちまち彼らの間に広まった。つまり、ひれこそは水中スポーツの誕生と共に日の目をみたのである。」
 文献の引用というランクに達していない伝聞だから、仕方がないが、南洋諸島の住民とは、どこの地域なのだろうか,椰子の葉柄を足に縛り付けて,どうやって泳いだのだろう、バタ足なのか、あおり足なのか、それがどう進化して,足ヒレになったのだろうかずいぶん悩んで考えた。カエルなどの水かきから連想して作られた、とした方が自然である。
 ダイビングの歴史 小史「泳ぐダイビング,スクーバの始まり」で論じたい。

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 ☆ 私の体験、私のたたかい 私の過ち
 潜水病罹患回顧 稲葉繁雄 
 昭和27年の罹患 記録として貴重である。
 ダイビングの歴史でも採用予定。
 このころ潜水病といえば、慶応大学の上田先生で、ここにも出てくる。
 また晴海不当の土木工事をやっていた新清土木の再圧タンクが使われている。
 「軽い潜水病ならば一度体験した方が今後のためになると信じています。」などとまじめに書かれている。僕は潜水病など体験したくないし,体験せずにダイビングライフを終えることができそうである。
稲葉さんは県の役人で、しっかりした知的な人で、僕も伊東でスクーバの講習をやらせてもらって、お世話になっている。だから、この1963年時点ででたらめな意見ではない。





 ☆島の海 噴火の海底を行く 倉田洋二
 三宅島噴火の後の潜水記録で貴重である。

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 ☆63 新製品紹介
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 マスク フィン、
 東亞SCUBA 「ホースが太く短くなり,マウスピースの角度が手で簡単に変えられる,ドライバー一本で簡単に分解できるなど、使う人の立場にたった改良が行われている。
※ 筆者須賀が作っていたレギュレーターである。




 ☆協会だより
 関東支部、関西支部の報告 協会法人化 安東宏喬理事が説明している。




 ☆ ショッピングガイド
 日本水中開発工業株式会社
 マスクを作っている。東亞潜水機は、僕がマスクを作ろうとすると、スイチューの高橋さんに悪いからとやらせてくれない。変な義理堅い会社だった。

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 ※ 63年夏、僕は舘石さんと二人、100m実験潜水をやる。

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