「どるふぃん」 6・2 1962 秋 それにしても、この写真は何だ? どるふぃんの表紙は何だ?というのが普通
☆スキューバ潜水の安全管理についての一考察 菅原久一
☆真鶴近海の事故の実例から 後藤道夫
☆ショッピングガイド 太平潜水
池田和一郎さん 講堂館の斜め前で、ウナギの寝床のような間口が狭く奥深い店、その後湯島に移る。
太平アクアラング倶楽部は千葉の金谷をホームにしていた。
☆マルコポーロの南方見聞記
田辺栄蔵さん工藤昌男さんのグループ
はっきり言って、そのころ、田辺さん、工藤さん、安東さんは、別の族に所属していた感じ、彼らは、自称どるフィン族で僕疎外感をいつも持っている。
別に仲違いはしていない。族がちがうだけ。
式根島のことを書いていて、田辺さんの絵がとても良い。
☆漁民とダイバー問題拡大す!
神奈川県庁主催で会議が開かれ 満員になる。
真鶴町長はアクアラング禁止を
協会がアクアラング側の窓口になる。
神奈川県が間にたって、規則の改定も示唆しているような発言で気をもたせている。
☆足鰭 そのころのフィンは、ダックフィート、パシフィック型、アクアラング型、そしてチャンピオン
横浜潜水衣具は、東亜潜水機と同様、ヘルメットと,潜水服を作っていた。東亜の競争会社東亜と同じくらい歴史が古い。
潜水服については、ヘルメットダイバーたちが,東亜派と横浜派に分かれていた。後に,カービーモーガンのバンドマスク(世界で最も多用された,デマンドバルブ付きフルフェースマスク)をライセンス生産してヨコハママスクと別名をとり、世界の作業ダイバーに人気があった。現在は,なくなっている。