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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1007 ダイビングの歴史 24 どるふぃん

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ダイビングの歴史 24

「どるふぃん」 6・2 1962 秋  それにしても、この写真は何だ? どるふぃんの表紙は何だ?というのが普通 
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  ☆ そのころの安全則 バディブリージングが必須の技術、バディシステムも必至

  ☆スキューバ潜水の安全管理についての一考察 菅原久一


☆真鶴近海の事故の実例から 後藤道夫
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  ☆ショッピングガイド 太平潜水
 池田和一郎さん 講堂館の斜め前で、ウナギの寝床のような間口が狭く奥深い店、その後湯島に移る。
太平アクアラング倶楽部は千葉の金谷をホームにしていた。


  ☆マルコポーロの南方見聞記
 田辺栄蔵さん工藤昌男さんのグループ
はっきり言って、そのころ、田辺さん、工藤さん、安東さんは、別の族に所属していた感じ、彼らは、自称どるフィン族で僕疎外感をいつも持っている。
 別に仲違いはしていない。族がちがうだけ。
 式根島のことを書いていて、田辺さんの絵がとても良い。
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  ☆漁民とダイバー問題拡大す!
 神奈川県庁主催で会議が開かれ 満員になる。
 真鶴町長はアクアラング禁止を
 協会がアクアラング側の窓口になる。
 神奈川県が間にたって、規則の改定も示唆しているような発言で気をもたせている。


  ☆足鰭 そのころのフィンは、ダックフィート、パシフィック型、アクアラング型、そしてチャンピオン
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  広告
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 伊藤精機 当時レギュレーターを作っているのは 僕が作っていた東亜潜水機、日本アクアラング、菅原さんの潜水研究所、そして東亜精機 広告の伊藤精機 僕が東亜に入社する前、東亜が伊藤精機のレギュレーターを売っていたらしい。らしい、というのは、見たことがないのだ。
 横浜潜水衣具は、東亜潜水機と同様、ヘルメットと,潜水服を作っていた。東亜の競争会社東亜と同じくらい歴史が古い。
潜水服については、ヘルメットダイバーたちが,東亜派と横浜派に分かれていた。後に,カービーモーガンのバンドマスク(世界で最も多用された,デマンドバルブ付きフルフェースマスク)をライセンス生産してヨコハママスクと別名をとり、世界の作業ダイバーに人気があった。現在は,なくなっている。






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