後藤道夫の年表 「どるふぃん」と並べて行けば 当時の状況がよくわかると思う。 後藤道夫の年表を彼が死ぬ前、ニッポン潜水グラフィティを書くときにコピーでもらっている。僕がせめて、このくらいの表を自分で作っていれば、本当に良かったのに、作っていない。僕は時々狂ったように多量のニッキを書くが、日記を書いている時期と書いていない時期が斑になっている。後藤年表のように、一ヶ月に一こまでいいから書いておけば助かったのに。 僕は決して長生きなどしない。40代で死ぬという刹那的な考えを持って、その日その日を生きていたから、あとでこんなことを書くために、備忘を残すなんて考えもしなかった。 後藤年表は1955年から1975年まで、ただし、73。74。75は半ぺら、コピー忘れ?6ー12月分しかない。まあ、資料というのはそんなものだ。 プライベートな部分を抜かして、ここに時系列で整理して、自分にかかわる部分はエピソードとして書いておく。 ダイビングの歴史16に示した1956までの部分は抜いて、1957年昭和29年 から 1957 4月 自製スノーケル マスク完成 前にも書いたが彼はものを作ることにある種の天才だった。 このとき作ったマスクは後に商品化されて、1960年代前半、僕らの仲間はみんなこれを使った。今一個も残っていない。一眼で、ガラスは日本人でも鼻の高い人は、押しつけられてしまうほど、眼に近く視界を広くしており、二眼の真ん中に柱がないのでうっとうしくない。シングルリップだが水は入らない。入ってもすぐに出せる。 みんなでこんな競争をしたことがある。水中でマスクを外して着けてクリアする時間を競う。みんな1秒台でできた。 先日、ダイブウエイズに行ったとき話した。最近のマスクは確かにピッタリと慎重に着ければ水は一滴もはいらない。しかし、講習などでマスククリアーをやると水が一息ではでない。また、水中で外していい加減に着けると水がジャブジャブ入ってくる。水がでやすいマスクを作れと。 7月 房総方面 8月ー9月 毎週末真鶴で潜水 10月 日本ダイビング協会 海洋中級講習会 於真鶴 助手
12月 第一回 水中クリスマスパーティ 琴ヶ浜 ほぼ、寒中水泳?