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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0923 ダイビングの歴史1-10

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ダイビングの歴史 1-10  ダイビングの歴史フェイスブックで下書きをしている。 おおきいものはブログにしているのだが、フェイスブックの分を、やはりブログでまとめておかないと、わからなくなってしまう。 そこで1-10をまとめてブログにだしておくことにした。 下書きである。 ダイビングの歴史 1 2018/09/04 16:33 「ダイビングの歴史」は最後の著作だと考えている。が、まるで進まない。危なくなってきた。資料を分析して、まとめていく力が無くなっているのだ。でも、やらなければ。 年表の骨組みは山田さんらの協力で2016年にできている。コラムもいくつかは日本水中科学協会のシンポジュウムで発表している。ブログにも、コラムの原稿を途中までだが書いている。「ダイビング事故の歴史」これは今年のうちにまとめるつもり。その次は「第二次大戦とダイビング」構想はできている。現在進行中は、「潜水士の資格の沿革」 コラムの一つ一つは、かなり重く(量が大きく)なる。コラムと言うよりは、ストーリーと呼ぶ方が良いかな? 他に山田さんにもコラムをいくつか書いてもらっている。 もう一つ、日本のスクーバダイビングが始まって以来を毎年1ページ程度でまとめる。これは、印刷されたもの、雑誌、報告書 単行本から抽出する。年代記?年次報告? そのうちに良い名称が見つかるだろう。 ①年表 ②コラム ③年次報告 になる。歴史原稿が進まない原因・理由の一つがフェイスブックである。フェイスブックに時間がとられている。 ならば、年次抽出部分をフェイスブックに載せよう。読んだ方のコメント、異論、付加なども取り入れられる。 最後に全部まとめて、編集、切り捨て作業をする。  ダイビングの歴史 2 ダイビングの歴史どこから始めようか、区切りよく1950年とした。しかし、思い直して、プレストーリーとして1920ー30スキンダイビングのはじまりから、書いて、年次抽出を1950年からはじめることにする。 出版されている本、雑誌から題材を抜き出して並べると書いたが、まずその 資料の第一弾 「ダイバー列伝 トレバー・ノートン 関口篤訳 青土社 2000年」 これは1999年に ロンドンで出版された Stars beneeath the sea の前約で著者のトレバー・ノートンの本職は、リバプール大学の海洋生物学の教授で、英国ではダイビングの権威者だたいう。 そのままダイビングの歴史を、歴史上のダイビングのスターを列伝式に並べたもので、歴史参考書としてそのまま使える。そしておもしろい。アマゾンで1100円、急がないと7000円からになってしまう。ノートをとると 「今から140年ほど前、フランスの某海軍士官は、ダイバーの要件を次のように定めている。 ・心配事があってはならない。 ・体調が良好でなければならない。 ・冷静沈着でなければならない ・アルコールの影響下にあってはならない。 この要件を厳格に守ったら、この海軍士官が潜水の特殊チームを編成しえたかはなはだ疑問である。この条件のすべては言うにおよばず、いずれかでも満たすことはかなりの困難が伴うからである。 安全志向の強い今日、ルールブックはウエイトベルトよりも重たい。しかし、潜水の先駆者たちは規則にはまったく無頓着であった。」 ダイビングの歴史 3  50年は自衛隊の前身である警察予備隊ができた年だ。(1950年8月)  スクーバ(ジャック・イブ・クストーのシステム)が何時から日本に来たか。ルートは、①科学研究者、②軍事目的③遊び であろう。漁業は①の研究者に含めた。 ②の軍事目的は、前記予備隊ができて、掃海部隊の装備として研究試用が開始されたと考える。担当の逸見さんは、親しくさせていただいていたので確認したが、52か53ということではっきりした資料はいただけなかった。 なお、米国の潜水部隊であるUDTがアクアラングを採用したのは、1949年である。※ ※は参考書  ※「人間魚 ダグラス・フェイン 佐々木忠義訳       」には、1949とある。 フェインさんは、UDTの創始者の一人で、退役後、日本に住んでいた。 アクアラングはクストー・ガニアンが1943年に作り、フランスで売り出されたのが、    年 米国が    年 である。
ダイビングの歴史 4 フィンのルーツ ヨーロッパ、地中海のフィンのルーツは、モナコの海洋博物館に飾ってあるコリリューのフィンだ。これは、こんな重いものを本当に履いて泳いだのか?という代物だが、とにかく今のゴムのフィンの原型ではある。これが、商品化で洗練されてオウエン・チャーチルのフィンになり、第二次大戦でも使われ、ジャック・イブ・クストーも履いて、日本にも入ってきて、東亞潜水機のチャンピオンになる。  が、それとは別のフィンのルーツがあったのではないかと僕は思っている。  それは、フィリピンでバジャウ 海洋民族が使っているベニヤ板に靴を張り付けた、これは、フィンというよりも履き物だ。日本の水蜘蛛で、泳ぐ発想があったらこれになっただろう。ベニヤ板のフィンで泳ぐ姿を撮ったものを見ると、これは、フロッグキックであり あおりあしだ。今風のスクーバダイバーのキックをしている。 ダイビングの歴史 5 1950 ようやく、最初に想定した出発地点にきた。 50年は自衛隊の前身である警察予備隊ができた年だ。(1950年8月)  スクーバ(ジャック・イブ・クストーのシステム)が何時から日本に来たか。ルートは、①科学研究者、②軍事目的③遊び であろう。  漁業は①の研究者に含めた。研究者のスクーバは東京水産大学、僕の母校、から始まった。水産大学、すなわち、水産であり漁業だ。  ②の軍事目的は、前記予備隊ができて、掃海部隊の装備として研究試用が開始されたと考える。担当の逸見さんは、親しくさせていただいていたので確認したが、52か53ということではっきりした資料はいただけなかったが、52と想定している。  ここで、今振り返ると日本のスクーバダイビングの黎明期に僕もダイビングを始めたわけだし、その僕にダイビングを教えた師匠たちが、スクーバを始めた。 といって、それは1952年から56年の、たった4年間の出来事なのだが。 水産大学宇野教授、僕は宇野教室の出身だ。東亞潜水機の三沢社長、アクアラングを輸入した渋谷社長、潜水研究所の菅原久一師匠、水中処分隊の逸見隆吉隊長 それぞれから,もっと詳しい話を聞いておけば良かった。しかし、そうは言っても、その時、こんなものを後に書くとは思わなかった。そして、そんな時間、機会もなかった。また、聞いても詳しく話してはいただけなかったかもしれない。 処分隊の逸見さんには、月刊ダイバーの特集で、潮美と二人でインタビューしたのだが、初めてスクーバにさわったのが1951年だったか52年だったか、確たることは聞けなかった。 だから、今できることは、それぞれの先輩が1950年から、僕との付き合いが始まる1956年頃まで、何をしておいでだったか、そのぼやけた姿をここで書いておくことしかできない。 ベニヤ板ではなくて椰子の葉の葉柄の広い部分を足に縛り付けたのがフィンのルーツだと書いたものを見たことがあり、原典を探しているが見つけられない。誰か知っている人があれば教えてほしい。 ダイビングの歴史  6せっかく1950年まで来たのだけれど、やっぱり時計の針をもどしたい。 「1943年、6月のある朝、私はフレンチリビエラのバンドル駅にでかけて、パリから急行便で届いた一つの木の箱を受け取った。この中には将来有望な新しい一つの器械が入っていた。それは数年にわたる夢と努力の結果、エミル・ガニアンと絵私が考案した自動圧縮空気潜水肺なのである。私は大急ぎで潜水仲間の,フィリップタイエとフレデリック・デューマの待つているヴィラ・パリーにかけつけた。」  ジャック・イブ・クストーが1953年に書いた、「沈黙の世界」、日本での訳書は 「海は生きている」の冒頭の一節である。  タイエとデューマは魚突きスキンダイバーでその延長線上で、足ひれを着けて泳ぐ水中呼吸器として潜水肺は計画され開発されたのだった。「足に鰭をつけて何ものにも妨げられずに深い海の中を泳いで見ようと考えた。」 「1936年ごろ私たちは,潜水めがねをつけて、息を止めながら,海中に入ったものだ。私のもっとも身近な同僚であるフレデリック・デューマは,ある朝、100キロの魚を突くことで賭をして地中海に飛び込んだ。」  そう、銛で魚を突くためにはどうしても両手が必要だ,手放しで、自動的に水深に応じた圧力で空気が出てくる呼吸器がほしかったのだ。それも、送気ホースなどに束縛されないで,鰭をつけて自由に泳ぎながらだ、  写真は「海は生きている」から それにしても「海は生きている」なんてとぼけたタイトルだ。沈黙の世界、で映画は世界的に大ヒットしたのに。 地中海には,ダイバーが突けるような魚がいなくなったと言う話。このような大きい魚はみんな突かれて,以前,フランスのダイバーが言っていた。日本は漁業調整規則があって、魚を突いてはいけないから、魚がどこにでもいる。幸せだと、ダイビングの歴史  7   コンセプト と 構成を何度も書き直しているけれど、なかなか、きまらない。進化と考えれば決まらなくて良いのだ。   はじめに コンセプト 「ダイビングの歴史は人類の海へのチャレンジの歴史である。時系列を追った冒険、探検ドキュメンタリーにしたい。しかし、嘘は排する。事実に支えられた真実を追いたい。不確かなこと、推測、想像は断りを入れる。そのような部分が、かなり多くなるだろうけれど。」  こんなふうに行きたいのだが、ダイビングで冒険などしてはいけないのだ。どこまでも、安全を追求しなくては、冒険を排除する役務なのだ。 危ないところに行って安全を追うのが、冒険なんだけど。冒険は高気圧障害防止規則で禁じられている。冒険を看板にしてしまうと、インストラクターやガイドダイバーは業務ができない。初心者4人も引き連れて潜るのなんて、血も凍る冒険なんだけど。 冒険という刃は、後ろ手にかくして、読後に冒険だったのだとわかれば良い?  でも、歴史って、ほとんど人類の冒険の記録なんだ。だから、歴史フアンが多いのだけれど。ダイビングの歴史8 1年1pの年表をフェイスブックで書いていくというコンセプトではじめたけど、1951年でストップしている。 でも、もう少し、前置きを。 2018/09/14 14:59 前回 全体の考え方、ダイビングとは、人間の海への、海の中えのチャレンジ、海の中は人間がほんのわずかな時間しか生きながらえない世界。その世界、環境に身体をさらして入っていく、その中で安全を探り、安全を目指す活動、バランス感覚がなによりも重視される。 月刊ダイバーが届いた。良い写真で海の中のすばらしさ、楽しさを追う。その姿勢がブレていない。僕も自分の姿勢がブレないようにしよう。その姿勢、違うようでいて違わない。海にはいるとき、岸から歩いてはいるか、ボートから飛び込むか、ほどの差はない。 2018 ダイビングの歴史構成①一覧年表 インデックス:これは従来の年表 山田稔さんと共著一応できているが ②ができてから、両方とも修正する。②年表:平均して年に1P 含む ④サイドストーリー(自分記)③小史 「泳ぐダイビング:スクーバのはじまり」「スクーバダイビング事故の歴史(☆空気塞栓 減圧症より重要。)」「第二次大戦とダイビング」「潜水士資格の沿革」「日本国籍指導団体盛衰記」「マスク式潜水器」「沿岸漁業とのせめぎ合い。」「沿岸漁業の近未来」「撮影機材の歴史」「海洋開発 海底居住」 「トラック島沈船 発見記」「洞窟潜水の歴史」「水中通話 水中レポート」須賀「スポーツダイビング」須賀 小史で原稿を依頼するのは ※まだ正式に依頼していない(この本ができるかどうかわからないので、ある程度のところまで行かないとお願いできない)方もいるので、流動的、それぞれ、自分の視点で我田引水で良い。書きたいことを書いてもらいたい。 「シートピア」山田&インタビュー 「人工魚礁」高木&インタビュー 「高校教育としてのダイビング」古木&インタビュー 「スノーケリング」大橋禄郎&インタビュー 「テクニカルダイビング」久保&インタビュー 「フリーダイビング」松本恵&インタビュー まだまだ書いてもらえる人をさがさなくては。  サイドストーリー(年表の一部) 潜水グラフィティとダブルが年表部分に自分の見た目で書いていく  最新ダイビング用語事典と同じ程度の字と分量で、かなりの量の原稿が入る。たくさん書いても大丈夫ダメなら削っていけば良いだけ。  ダイビングの歴史 9 1951 フェイスブックは、あちらに跳び、こちらに戻り、未整理だが、年表部分の下書きの下書きだから、仕方がない年表だから、時系列に並べやすいから何とかなるだろう。 さて、1951  新しい潜水肺 アクアラングの目標は、①スピアフィッシング②軍事目的③科学研究者のフィールドワーク、これは海底探検でもある。④探検イコール撮影である。そう、ドキュメンタリー映画が、海底の様相を人々に紹介し、センセーショナルを巻き起こしていく。ここでは、この①②③④で追っていこう。 日本に入ってくるルートもこの①②③④である。 ②まず軍事目的 国にとって軍事は最重要課題である。アメリカとの戦争、そして敗戦、日本はGHQによって支配される。 半島というのは地政学的に戦争の発生地である。 1950年6月北朝鮮は38度線を越えて南下を開始する。 戦争の帰結は陸戦、占領であるが、海に囲まれている日本は海から戦争が始まる。1950年警察予備隊が、GHQ(アメリカ)の命令でできあがるが、実際の戦闘参加は、掃海であった。 ここから先も、ペルシャ湾での活躍など日本の実質的戦闘は掃海である。また、戦争に先立って、日本沿岸に機雷が敷設されば石油の供給が止まり、機雷を処分しなければ、日本の息の根が止まる。 機雷の処分で潜水に依存するのは一部分、特別な新型であったり、技術的に貴重であったり、また、掃海、海の中を掃海具を引き回せないような場合に限られるのだが、とにかく、何かを揚収する場合には潜水が必要であり、すでに1949年には、フランスでもアメリカでもアクアラングは販売が始まっていた。   1950年 9月、仁川への逆転上陸は旧海軍の掃海部隊が参加している。 1951年には、後に自衛隊の掃海、水中処分隊の隊長になる逸見隆吉さん、初代の隊長になる飯田さんらが胎動をはじめて居たはずで、アクアラングも検討され、その輸入元として旧海軍のOBであった渋谷氏が大同物産を発足させる。  アクアラングの黎明期から 潜水科学協会の設立、そして     年に亡くなるまで、菅原久一さんは、キーパーソンである。後藤道夫の師であり、僕の間接的な師でもあった。拙著 ニッポン潜水グラフィティにもかなりの量を書いているがここでもはずせない少し視点をずらして書いてみる。 菅原さんは、仙台の生まれでバリバリの職業軍人、戦闘の専門家である落下傘部隊、今で言うレンジャー舞台の指揮官である。北支(中国)で終戦を迎えるが、捕虜等にはならず、戦闘を続行して脱出してくる。日本に戻り潜水で、たぶんヘルメット式でアワビの密漁で生計を立てる。どこで潜水のことを研究し、覚えたのか不明であるが、1951年には東亞潜水機に居て、なんと純酸素のリブリーザ P型潜水器を作ってしまう。 肺の容積よりも少し大きな呼吸袋、苛政ソーダなどの炭酸ガス吸収剤を入れた缶、酸素タンクを蛇腹管で結べば良い。原理は簡単だから、誰でも、命が惜しくなければ作れる。 1954年には、青函連絡船洞爺丸の日本海難史上最大の事故が起こり、菅原さんは東亞潜水機から、その遺体引き揚げにでている。命があって戻ってきたのだから普通のアクアラングを使ったものと思われる。 菅原さんの経営していた潜水研究所には、その時の写真が残っていて、普通のアクアラングを使っている。  菅原さんが、今、僕が書いて居るようなものを書き残してくれた居れば、どこかにあるかもしれないので、これから探すが、残っていれば、そのころの謎が解ける。  アクアラングが日本に入ってくる動きとは別にスクーバを国産する動きもある。 機雷には触発型といい、船が触れば爆発するクラシックな型と上を通過する船の気配に感応して爆発するタイプがある。その気配とは、鉄の磁性音響、圧力 があり、しかもその三つがランダムに二つが組み合わされている。  掃海は潜水で行われるものでは無いが、潜水とは切っても離せない。僕も掃海に携わったことはなく、その専門家でもないが、掃海とは縁が深い。 水産大学の一期上級、一緒に潜水部を作った竹下徹先輩は、卒業後海上自衛隊に入り、掃海畑を歩む。 ダイビングの歴史 10 ニッセン式 過酸化水素 オキシフルで酸素を発生させて呼吸しようという潜水器である。循環させて炭酸ガス吸収剤で炭酸ガスを取り除く。山下弥三左衛門の「潜水読本」によれば、「本器の特色は過酸化水素の補給だけで一回一時間近く潜ることのできる酸素発生器を利用したもので、重量3貫・約12キロ出、これを背中に負い。腰に着けた錘と浮き袋にて水深20m程度を活動範囲とし、浮きも沈みも手軽にできるといわれている。(BCを付けていた?)このニッセン式簡易潜水器は1953年6月神田のYMCAプールで実験された。旧陸軍工科学校出身の元曹長 米良勅夫氏をリーダーとして、元海軍技術大尉等のグループ5人が3年がかりでつくりあげたものである。」 ※山下弥三左衛門先輩については1960年の項で述べる。 1953年に使用テストが行われているが3ねんがかりということは、1950年から作業を行っていた。 循環式、リブリーザの酸素供給源を過酸化水素での酸素発生に置き換えたものである。腰のあたりに浮き袋があり、BCのように浮沈ができたというところがすごい。危なくもある。
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 写真はどこのプールかわからない。神田アルバムだから、館山かもしれない。 ※この写真で見たところ、腰の周りに浮き袋などない。胸のところにあるのが過酸化水素による酸素発生器か?  この潜水器、商品として売り出されていた。 それを見たのは、城ヶ島にある。神奈川県水産試験所で1962年から64年の間の何時かである。ビニールの袋のようなスクラップで使い込まれた様子はなかった。実用にしたら、無事ではすまなかっただろう。その時、宣伝のパンフレットを見たので、ニッセン式という名称で売り出されていたことを知ったものだ。  ※神奈川水産試験場で見たビニール袋のような潜水器と、写真に見る潜水器とどうしても頭の中で繋がらない。その後、神奈川水試の工藤さんにたのんで探してもらったがない。捨ててしまったらしいという。  ニッセン式は、失敗すること、今のダイバーならばすぐにわかる。化学的な手段で炭酸ガスを除去するのは冒険である。さらに過酸化水素で酸素を発生させるのも冒険であり、こんなもので本当に潜れたのか信じがたい。それに、酸素は町場でもそんなに高価なものではない。他のオキシラングのように酸素の小瓶でいい。しかい、1950年から53年にこんなものを作った。潜水を目指す者は、みんな冒険家だったのだ。

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