ダイビングの歴史 11 1955 青い大陸青い大陸」 イタリア映画 東和の配給で劇場で大々的に航海された初めてのカラー水中ドキュメンタリー、1952年から53年に紅海でロケで制作された。日本公開は1955年7月、初めて、水中のカラー映画を映画館のスクリーンで見て、タテジマキンチャクダイのアップの美しさに驚き、そのシーンをもう一度見たくて二回みた。
そして、マンタは悪魔の魚で、最後のシーンで、スキンダイバーに殺される。 水中撮影はリブリーザが主に使用された。小さいタンクのアクアラングも写真にでているが、基本的にアクアラングはフランス、イタリーはオキシラングだ。
そして、この撮影で魚類捕獲班長:要するに魚突きだが、のレイモンドプーケルは、スキンダイビング39mの記録を樹立した。1931年当時これは大記録で、雑誌ライフにも掲載され、探検の資金集めにずいぶんと役に立った。今、100mに女性が潜る時代だが、まだ、ジャックマイヨールは、どこにいるのか知らない。 製作は、ブルーノ・バイラテイ 監督はフォルコ・クイリチである。なお、ブルーノ・バイラティはその後日本にもきて、大崎映晋さんをカメラマンにして、能登の海女の映画を撮った。なにしろ全員ヌードだ。男の主役は、館山のシークロップの成田さんだった。が、僕はその映画見ていない。日本で公開されれば見ていないはずはないのだが。もしかしたら、成田がもっているだろうか。彼は現在ジャックマイヨールの博物館を建設中だが,その博物館で上映すれば、良い。もし持っていればだが。 そのころ僕らの世代、アクアラングの第一世代だろう、は、青い大陸を見てダイビングの世界に魅了されたグループと沈黙の世界派に二分された。青い大陸が1955年7月の公開、沈黙の世界は1956年だ。だから、僕は青い大陸派だ。一年先輩ということ。